かせきさいだぁ
作詞家/ラッパー/ヒネモシスト/漫画家
誰にも頼まれずに執筆を続ける脱力系4コマ漫画「ハグトン」。
ハグトンの好物はカフェラテ(最近はソイラテ)だそう。

古墳ころがし

2010.09.03
第1回「くれふしの里 古墳公園」(後篇その1)

ウクレレさんの古墳への情熱あふれる饒舌トークを聞きながら、国道50号をひた走り、途中、近くの古民家風のお店で(そこでも、ウクレレさんの遺跡発掘バイト体験談など聞きながら)、たらいうどんと巨大いもの天ぷらを食した後、ようやく「くれふしの里 古墳公園」入り口にたどり着く。正式名称は、地名にちなんで、牛伏古墳群。


※クリックで大きな画像が開きます。

 入り口の馬埴輪にまたがる豪族気分のウクレレさんと記念写真を撮り、いざ、公園内に足を踏み入れると、すぐに現れたのが4号墳。青々と芝生が茂り、円筒埴輪(レプリカ)が2段の墳丘の周りに美しく並べられた、全長50mの前方後円墳である。復元整備された古墳のため、登ることもできる。後円部のミニステージで、家族連れ一組を観客に、ウクレレさんが歌いだす。「♪レンホー、やめて〜」


 さらに他の前方後円墳、円墳、墳丘が低すぎて見過ごしてしまいそうな小型円墳、なぜか紛れて建っていた浅野家の墓(この辺りの名家?)など、次々と現れる古墳群を見て歩く。
そして、中央の広場に出ると、前方に、異様な巨大キカイダ—が。「ええ〜、これが!?」

 いきなり、後ろの丸出しになった鉄筋部分を目の当たりにしてしまったが、正面から見ると、腰に手を当ててそびえ立つはに丸タワーの迫力は圧巻だった。奈良の大仏(16m)、鎌倉の大仏(13m)を上回る17mの巨大ハリボテならぬ、巨大埴輪。周囲に建物がないので、余計に巨大さが目立ち、低い林をバックに、かなり浮いている。いや、神秘的な雰囲気さえ漂わせる。

 タワーの裏側に回り、鉄筋階段を登る。一階には、地元の小学生が描いた、(どれも埃がかぶり、所々ピンが取れてはがれた)はに丸タワーの絵。その上の階には、「希望のはにわ」という巨大な埴輪顔のレリーフ。
はにわの口に手を入れると、(なぜか古代からではなく)宇宙からのメッセージが聞こえるという装置は、故障中のままだった。さらに上の階の「サウンドパイプ」(屋上の人と会話できる)を通り過ぎ、展望台に出る。

 はに丸タワーの巨大さを実感できる眺め。水戸の街並みがはるかに見渡せる。ケーズデンキ、コナカ、しまむら、イオン…。

 地上17mの風に吹かれながら、再びウクレレさんのオンステージ。
♪レンホー やって〜  レンホー やって〜
 事業仕分け      早くして〜
 はに丸タワーが   待っている〜
「アレ、ウクレレさん、歌詞変わりました?」

 はに丸タワー内部の荒れ果てた光景を見て、いや、そもそも、宝くじ普及との関連性がまったく見当たらない、無用の大仏ぶりに、さしものウクレレさんもさじを投げたか…。
「いや、違います。逆事業仕分けです。予算増やして、博物館建てて、グッズ販売の店も出して欲しいし、この公園で夏の埴輪フェスもやるべきです。『埴輪・ロック・フェスティバル』。8月20日(ハニワ)か8月28日(ハニワ)にやりましょう! 西の横綱が奈良の大仏なら、東の横綱は水戸の大埴輪でしょ!
はに丸タワー、サイコー! カモン! ♪レンホー、やって〜 レンホー、やって〜! ワオ!!」

 ひとしきり盛り上がり、タワーを降りると、ウクレレさんのファンらしきカップルが近づいてきた。携帯で記念撮影。さすが古墳芸人、ファンもやっぱり古墳趣味かと思いきや、「いえ、西東京から、この辺にお寿司を食べに来たので、ついでに立ち寄ってみただけで」と、何とも要領を得ない返事であった。

 今度は、ぽつんと一人、杖をついて歩いている、おばあさんを見つけ、ウクレレさんが声をかける。すぐ近くの民家に住んでいるとのこと。昔は、巣鴨によく出かけたというおばあさんに、ウクレレさんが、「今、おいくつですか? お若いんで、65歳くらいに見えますが」とお世辞を言うも、「67歳」と意外なニアピンの答え。微妙な空気のまま、その場を去る。

 その後、前方後円墳の前方の部分が小さくなっているホタテ貝式古墳など、残りの古墳を見て回り、我々は炎天下の古墳散策を終えた。


ウクレレ画

(後編さらに続く)

2010.09.30
第1回「くれふしの里 古墳公園」(後篇その2)

初のこふんころがしを終えた帰りの車中、我々は、意気揚々と今後の展望などを語り合っていた。
「くれふしの里」の前方後円墳に並べてあったようなレプリカではない(もちろん、はに丸タワーでもない)、本物の埴輪が見てみたい。

古墳の凄さをもっと実感できる巨大古墳に行ってみたい(いつかそのうち、仁徳天皇陵にも…)。博物館で古墳について、じっくり知識を深めるのもいいし、(すでにウクレレさんのバイブルとなりつつある)『関東古墳散歩』の著者の三橋さんと相原さんにも会ってみたい…。
「こふんころがし」の行く先に思いを馳せつつ、高揚した気分をわかちあう幸せな時間。
その時、下腹部へのかすかな違和感が。昼に食べた巨大いもの天ぷらが、消化に悪かったのか、何やら調子がおかしい。

持参した資料の囲み記事に目をやるウクレレさん。
「この‘前方後円墳'という呼び名を考えた蒲生君平(がもうくんぺい)って人。寛政の三奇人と呼ばれたらしいです。こういう奇人、好きなんですよ。今で言うと、さかなクンあたりですか」
蒲生君平は、江戸時代後期の尊王論者で、当時荒れ果てていた天皇陵を修復すべく、貧困と闘いながら、歴代天皇の古墳を旅して回り、その調査結果を弟子たちに講義し、『山陵志』という全2巻の本にまとめた。
彼が、当時各地で呼ばれていた「車塚」という名称に注目して、貴族の乗る屋形車に見立て、引く部分を「前方」、車の部分を「後円」としたという説と、方形部に参拝する場所があったことから、遺体を埋葬する円形部への入り口として、前後をそのように考えたという説がある。
いずれにしろ、日本独自の古墳の形状を、現代にも通用する自然な呼び名に変え、メジャーにした功績はズバ抜けて大きい。

「とにかく、古墳研究のスーパースターですよ。今で言うと吉村作治あたりですか。彼を祀った蒲生神社が、宇都宮にあるそうなんで、ここもお参りしないと」
先ほどの違和感が、キリキリとした痛みに変わり出した。
「あ、この、隣の奇人、高山彦九郎という人、京都の三条大橋で、土下座してる大きな銅像の人ですわ」
私も会話をつなげて、気を紛らわせようとする。
「何した人です?」
「え〜、ちょっと知らないですわ…」
話の合間にガムを噛むかのように、フィルムシート状の「トメダイン」を口に含む。まさかのために持っていたのが、早速、役立ったかもしれない。
<水なしでもサッと溶ける。痛くなってからでも効く>とのふれこみだが、はたして祈りは届くか? 心なしか、下腹部のあたりが軽くマヒして、痛みが遠のいていく気がする。ベルトをゆるめて、しばし、小康を保つ。
数フン後、願いを打ち砕くように、さらに大きな波が。ズボンのボタンまで外し、またしばし、危機を先送りする。しかし、予想を上回る早さで、新たな大波が。
次のサービスエリアまで、あと3km。だが、車は動いていない。さっきまではあんなに空いていた道路に事故が発生し、大渋滞に巻き込まれている。
「すんません!! 俺、古墳ならぬ、コウンが漏れそう…」
驚きとともに、静まり返る車内。容赦なく、腹の音が、鳴り響く。

事態を重く見たウクレレさんが、何とか気分を和らげるべく、耳元で、尾道の喫茶店で三時間くらい聞かされたという大林宣彦監督のダジャレ物真似を連発してくれる。
「少年はいつも正念場」
「この夏みかん美味しいねぇ。酸っぱいは、成功のもと」
「アメリカ人は夜悲しむ。クライ、クライ」
「蜂が飛んできたらどうする?ビー・ケアフル(気をつけろ)」
もはや笑う余裕は全くない。
脂汗を流し、腰は浮きっぱなし。40にして、よもやのお漏らし。ガンパウダーの車も台無し。こふんころがし、いきなし連載中止?
まさにフン死寸前、スタッフの緊急判断(諸事情のためここには書けず)で、何とか九死に一生を得た。
「すみませんでした〜」
車に戻る。
「血圧が高いと他界する」
ウクレレさんはまだ大林監督の駄洒落を言い続けていた。
帰路、車窓から眺めた、国会議事堂、ガスタンクが何となく古墳時代のものに見えた。

プロフィール

ウクレレえいじ
ウクレレ芸人。
1月18日三重県生。
みうらじゅん氏に世界でただ一人の『人間僕宝』に認定されたウクレレ芸人。

ウクレレの弾き語りで、「マニアックでごめんネ!」のフレーズで、B級映画のワンシーンや、高倉健、ケーシー高峰などのマニアックなものまねを99連発する芸は圧巻。
99曲入り1stソロCDアルバム『ウクレレ番外地』(ビクターエンターテインメント)、健さん(ウクレレえいじ)が不器用解消のためにウクレレを習うウクレレ教則DVD『笑ってマスター!ウクレレえいじのもっと楽しいウクレレ』(リットーミュージック)も好評発売中。
また、ウクレレ奏者としても定評があり、サザンオールスターズ関口和之氏、CHAGE氏(チャゲ&飛鳥)らとレコーディングやライブなどで共演している。


ゾノネム
フケ専ラッパー。
代表曲に「早漏2005」「夢~ドリーム~」「虹」。
『ザンジバルナイト in 野音』にてグレートOと3年連続オープニングアクトを務める。
カラオケの十八番は安室奈美恵の「Chase the Chance」(ただし、100回以上歌っているが、いまだに2番のラップが苦手)。
好物はナン(カレー少なめ)。