かせきさいだぁ
作詞家/ラッパー/ヒネモシスト/漫画家
誰にも頼まれずに執筆を続ける脱力系4コマ漫画「ハグトン」。
ハグトンの好物はカフェラテ(最近はソイラテ)だそう。

ロックンロール文庫 ゴボウくんのたしかにニガイブラックコーヒー伝説

2009.09.02
vol.13「青春の墓標」

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学校は冬休みに入り、寮の玄関には小さなもみの木が置かれ、武蔵境の商店街や、高円寺の駅前にも色鮮やかな電球が飾られ始めた。
シャテニエにはクリスマスらしい飾り付けはおろか、シーズンメニューも一切ない。
他店は季節ごとに工夫を凝らしてメニューを変えるが、この喫茶店は変化というものがまるでない。しかし変化していく街を眺めるにはこれ以上ない最高の場所だった。

冬がきた。

クリスマスだからといって特に予定がない人間で構成されているシャテニエには、12月の勤務表を作成する際ほかでならあるクリスマスの有休争いはなかった。その代わり「若いんだからクリスマスくらい遊んで来い」「家族があるんだし店長こそ休んで下さい」といった譲り合いが延々と続いた。その譲り合いに負けたぼくはクリスマス当日どう時間を過ごしていいかわからず、かといって寮にいても侘びしいだけだから賑わいのある街で人混みにまみれてみようと思い立ち、夕方近く原宿へ行った。どこを見渡しても幸せそうに寄り添って歩く男女。表参道のクリスマスは街の隅々まで幸福感に溢れていた。
暗くなってぼくは原宿駅前の歩道橋の上に立ち、表参道に一直線に並ぶイルミネーションでいっぱいの街路樹を眺めた。光り輝く星屑が月への道標になっているかのような光景は、現実味も生活感もなくひたすら美しかった。その側を歩いている男女も宝石のようにキラキラ輝いている。ささやき合い、寄り添って歩く恋人たちの流れを歩道橋の上で眺めながらぼくは幸福感でいっぱいになった。

クリスマスの夜から三日後。
シャテニエから正月休みをもらい、ぼくは故郷山形へ向かった。
朝、帰省ラッシュで混み合う東京駅を後にし山形へ向かう新幹線の中で、みねたが作ってくれた三本目のミックステープを聴きながら窓の外の風景を眺めた。雲が果てしなく続き街を覆っていた。ぼくは目に見える風景と関係なくイヤホンから溢れる音楽が作りだす世界に身を任せていた。60分テープも二周目に入りA面が終わったころ、山形新幹線は福島駅を越え長いトンネルを抜けた。突然いっぱいの光に襲われる。真っ白い世界が視界に広がった。

雪だ。

雪が山全体を覆って真っ白に燃えていた。トンネルを抜ける前に見えたありふれた街の風景は一変し、真っ白い雪山がどこまでも続いている。眼下に見える川と、その川から突き出た岩の上に積もった雪は白と黒の水墨画の中で大胆に描かれていた。
新幹線は雪を蹴ってどんどん進む。次から次へと目の前を通り過ぎる木々には大きな餅のような雪ががっしりとしがみついており、それらは皆あたかも雪の原から生い茂った神秘の木のように見えた。
氷の花びらをいっぱいつけた白い結晶は降り続けた。
雪景色は東京での短い暮らしの記憶を真っ白に飛ばし、同時にぼくを少年らしい気持ちにさせて懐かしい家族の温かい記憶を蘇えらせた。その多くはぼくが生まれてから高校二年までの16年間を過ごした、両親が最初に買った一戸建ての小さな家での冬の思い出だった。
小学生の頃、兄たちと雪だるまや屋根まで届きそうなほど高い滑り台を作り、かまくらを作っては中で熱いミロを飲んだ。友達が来たときの雪合戦は、雪玉が誰かしらの顔に当たり大喧嘩になって、必ずそのうちのひとりが泣きじゃくって終わった。それにクリスマス、正月、1月のぼくや兄の誕生日会に学校や町内会のスキー教室など、冬はイベントが目白押しでそのぶん他の季節よりも思い出がたくさん詰まっていた。

ぼくは車内販売で紙コップに注がれたホットコーヒーを買い、それに懐かしさをいっぱいに溶かしてゆっくりと飲んだ。

思いをめぐらせているうちに、突然あることが思い出された。忘れていた思い出。

高校一年の冬。

雪が降り始めた休日の午後、V&Cという近所のレンタルビデオショップで金髪米人18禁ビデオを三本借り、家に帰る途中でコンビニエンスストアに寄った。自転車をコンビニの前に停めると、店の中から髪と眉毛を金髪に染めた少年がぼく目掛けて勢いよく出てきた。とっさにその少年がAくんだとわかった。Aくんの噂は耳に入っていた。喧嘩の圧倒的な勝率やその残虐な勝ち方、中学生にして車を盗み、盗んだ車で笹谷トンネルを抜け山形を越え宮城まで車を走らせ仙台で捕まったことなど噂をあげればきりがない。小学生の頃はぼくの隣町のサッカーチームにいて山形市の選抜チームにも入っていた程の熱血スポーツ少年で有名だったが、それがどういうわけか中学になって札付きの悪になった、しかも大学生の彼女がいるらしいと聞いていたから余計忘れられなかった。中学も高校も別だったが、肥大した噂話はいまだに橋の下にエロ本を探しに行くぼくの耳にも入っていた。
見た目もそれまでの田舎のヤンキーとは違い、洒落た古着なんかを着ていて、ぼくを含めエロ本と部活しか知らない高校生からすると街で見かけるAくんは浮いた存在だった。後々ファッション雑誌に渋谷のチーマーに関する特集記事が掲載されてあったが、Aくんはそういう都会の洒落てはいるが極悪の匂いを漂わせていた。

そのAくんが明らかに殺気立ってぼくに向かってくる。

そして目の前に顔を押し付けて、ぼくの手持ちの三千円を「借り」、ぼくがこの近所に住んでいることを確認するとあることに協力しろ、と言い、ぼくの家に連れて行け、話はそこでするからと言った。ぼくは唇を震わせながらも家には親がいるから、と断ったが、Aくんのキツい睨みに負けて結局家に来ることになった。

当然18禁ビデオを借りているぐらいだから家には誰もいない。小さな小さな平屋のぼくら家族の憩いの居間で当然のようにタバコに火を点けるAくん。ぼくが吸ったにしろ友達が吸ったにしろ、父は平手打ちでは済まさないはずだ。煙がこもらないよう窓を開けると「寒いがら閉めろ」と低い声ですかさずAくんが言う。出会ってから僅か10分あまり、Aくんはぼくだけでなく、この家の支配者にもなっていた。窓を全開にし雪に埋もれて凍え死んだほうがまだましだ。ぼくからしたらこの悪魔がぼくら家族の家に侵入し、ぬくぬくとコタツに足を入れているだけでも到底許すことの出来ない事態だ。だがそんな気持ちをよそに、ぼくが18禁ビデオを借りたことを知ったAくんはそれをビデオデッキに入れて再生し、しばらく眺めてからぼくに目の前でヌいでみろ、と言った。
ぼくは怒りを通り越して恐怖感でいっぱいになった。
思いついたままに命令するAくんに、ぼくの困惑した表情を見て楽しんでいる様子はなく、真っ直ぐぼくを見つめる顔は冷たく無表情で、それが余計ぼくに恐怖を植え付けさせた。
これから協力しなけゃいけないことはどんな恐ろしいことなのか想像も出来ない。得体の知れないAくんを前にぼくの精神は完全に沈み、腐り始めた。脇下から尿意が、口から便意が、へそから吐き気が立ち上がる。
Aくんが、憎い。

困惑し小刻みに震えるぼくを見てAくんは、行ぐぞ、と言って突然立ち上がった。なんのことかわからずに股関から手を離すと、Aくんがこれから実行しようとするあることを言葉少なに説明した。

「これからある男の家に行ぐ、俺は外で待ってっから、お前が玄関まで行って男を呼んで来い、偶然道で会った怖い兄ちゃんに脅さっだって言えばいいがら、男が出で来たらもう帰っていいがら」

そう言って玄関先でAくんは男に血雨を降らせる武器用の傘を選び取ると、ぼくを置いて外に出た。
慌ててぼくも靴をはき、外に出る。歩いているうちに顔色が変わり、最初コンビニで会ったときのようにイライラし出すAくん。それからAくんはこの近くで雪が積もっていないとこ、足元が濡れないところはどこだと聞いて、ぼくは建物の一階が駐車場になっている屋内プール施設の場所を教えた。
なんで喧嘩すんの、と言葉を震わせて恐る恐るAくんに訳を聞くと、女絡みのことだ、とだけ言ってポケットからタバコを取り出した。


ここ数年通らない道だが、懐かしい場所だった。ここは小学生の頃の通学路だった道だ。
ぼくはAくんの仇敵である男の家の前まで行き、今日で何度目だろう、つま先から頭のてっぺんまで小刻みに震わせ、Aくんから聞いていた男の名前を呼んだ。

「すいません、〇〇〇くんいらっしゃいますか!?」
「はーい」
「すいません、〇〇〇くんいらっしゃいますか!?」
「〇〇〇!?うぢは娘しか居ねよ。あなだどちら様?」

……。

目をまんまるさせてAくんのとこに戻ると、「違ったか、じゃ次行ぐぞ」と言って何事もなかったかのように仇敵の男と同じ名字の家を探し出した。
だいたいの場所は把握しているようだったが、二軒目も違う。インターホンごしに爺さんにいたずらなら帰れ、と叱られた。
仇敵の宿探し。いつまで付き合わされるのか知れたもんじゃない、いっそのこと逃げ出そうかと考えたが圧倒的な力の前ではやはりただ従うだけで精一杯だった。

そして三軒目。玄関先まで行き名前を呼び、「あー、俺だけど」と出てきた男を見て閉口した。

仇敵の男とは、ぼくのひとつ年上の先輩だったのだ。同じ小学校のサッカークラブにいた先輩。
五年ぶりだ。
先輩に当時の少年らしい面影はなく、不良特有のだるく濁った表情だったが、それでも一瞬懐かしさに胸を踊らせた。

ぼくは「久しぶりだな、どうした!?」と言われて言葉に詰まった。

Aくんの顔が頭をよぎる。

ぼくは先輩から視線をそらし、Aくんに言われたことを棒読みした。先輩は外に出て行った。そしてAくんと二人で何か話し出したが、ぼくはそれを見て逃げるように家に帰って行った。
家に着くや否や窓を全開にし、タバコ臭い空気を新聞紙で外に追いやった。むやみに新聞紙を振っている間、外から新聞紙の軌道を逃れた粉雪が居間のカーペットの上に降りてはじんわり溶けていく。
ぼくは胸につかえた毒を吐き出したくて友達に電話して事の成り行きを話し、すぐに家に来てもらえないか頼み、ぼくの尋常じゃない高ぶりに反応した友達はやはりすぐに来た。そして顔を見るまで名前も思い出せなかったぼくの少年時代の先輩とAくんが向かったであろう屋内プールの駐車場へとぼくらは急いだ。


骨が骨を打つ音がこれほど凄まじいとは思わなかった。
その音は長いこと鳴り止まない。
ぼくと友達は向かいの公営アパートに潜んだ。
既に使用済みであろう傘はくの字に曲がってAくんの足元に転がっていた。先輩の低く苦しい唸り声が聞こえる。先輩は地面に押しつぶされた体を横たえ血を流し、顔や頭を代わる代わる覆っていたが、それでもなおAくんは拳を全力で打ち続けていた。
口を開け目をかっと見開き怒りを全身にみなぎらせたその姿は、金剛力士像のように輝きを放っているように見えた。ぼくはAくんに恐怖を感じながらも悪の煌めきに体を震わせていた。Aくんの暴力に興奮し、感動すら抱いたのである。

そのとき、Aくんに殴られ顔中から血を噴き出していた先輩が公営アパートのあるこちら側に視線を向けた。覗き見をしているぼくが最初からここにいることを知っているかのように。どうして俺を売ったんだ、と恨みと悲しさを含んだ目でぼくを見つめているような気がした。

「見でらんね、もう見でらんねわ、帰っぴゃあ」
友達が言った。
帰り道、ぼくはAくんの暴力に加担しているような錯覚に襲われ、罪悪感を抱きながら道にうっすら積もった雪に足跡を残して友達と無言で歩いた。

記憶の奥で凍っていたあのときの暴力。ぼくは暴力がたまらなく怖い。少年時代の思い出と共に思いがけず蘇ったあのときの暴力を、ぼくは一から再生した後でずっと遠い彼方に追いやった。

雪は降り続いたままだ。

やがて山形新幹線は赤湯駅を過ぎ上山市に入る。遠くに堂々とそびえる真っ白い蔵王が見えてきた。

帰ってきた。
山形駅に着き、次男の兄が車で待つ通りまで歩きながら、子供の頃よくそうしたようにぼくは天へ向かって大きく口を開けた。すると雪のひとひらは口の中へ散ってきて、ぼくは雪が融け染み入るのを久しぶりに味わった。
「まもるぅ!!おらぁー!!」
弟を目にした兄が全力で投げた雪玉は、避ける間もなくぼくの肩に命中した。


実家に着いて両親と夏以来の再会を果たし、高校の二年間を過ごした部屋に荷物を置き床にあぐらをかいた。兄はぼくが山形に滞在してる間この部屋を譲ってくれると言う。
この部屋は既に兄の部屋のようだ。だが、ぼくにはまだ兄の部屋には思えなかった。
この家に引っ越したときにはもう二人の兄は山形を出ていた。そのあとぼくが上京したのと入れ替わるように次男の兄が山形で、この家で暮らすことになる。そしてぼくの部屋に兄のいろいろなものが加わった。
それ以来この部屋はなりかけのままの状態で止まっている。
本棚の中や勉強机の上、壁に貼ってあったものは配置が変わり、そこに兄の物が足されている。兄の部屋になりかけているが、まだぼくのものがこの部屋の大半を占め、ぼくの匂いを残したままだ。

勉強机の引き出しを開けた。引き出しには化石化したぼくの細々としたものが入っている。ここには兄のものは入っていなかったが、もはやなぜここに閉まってあるのかもはっきり思い出せないものばかりだった。レシートやサービス券、使用済みのテレホンカード、五円玉と一円玉、ボタン、証明写真、カセットの入ってないテープケース、アイスの当たり棒、おちょこ、釘や乾電池に石、袋の中で溶けた飴、小学生の頃のネームプレート、よくわからないキーホルダーに和紙や折れた色鉛筆が忍び込んでいた。
思い出深いものもあった。
東映まんがまつりの下敷きや、ビートたけしのコメントが書いてあるブコウスキーの本の帯。それに遊園地の未使用の入場券に映画の半券…。
引き出しを覗きながら物思いにふけっていると、ノックもなしに戸を開け顔だけ出した父が出し抜けに「何してんだ!?」ときた。

ぼくは「考えごと」と答える。
父は「そうか」と言って鼻で笑う。父とぼくの昔から変わらない親子の会話だ。それから「コーヒーでも飲むか」と付け足し、ぼくがうなずいたのを見ると父はいつもそうするように戸を開けっ放しにして居間へ戻って行った。

なりかけの部屋と変わらない父。居間で飲むコーヒー。

夕方になって母は夕飯の準備をし、ぼくは兄相手に決して詰むことのない将棋を指し、父はタバコをくゆらせ黙って新聞を読んだ。

大晦日になると千葉で働いている長男が帰省し、久しぶりに家族五人が揃った夕飯は団欒そのものだったが、五月から骨折を機に無職になり実家で生活する次男の兄の話になると、家族全員が憂鬱な気持ちになった。そして、仕事で帰りが遅い父に息子のことを相談できずに日頃うっぷんを募らせていた母親が、とうとうヒステリックに怒鳴り散らした。団欒は船頭を失い沈没しかけたが、それでも長男が次男をさとし末っ子のぼくが母をなだめ、夜食に年越しそばを食べてコタツに十本の足をぎゅうぎゅうに詰め込んで屁をこきながら終盤に差し掛かったNHK紅白歌合戦を観ている頃には船は安定を取り戻していた。それからゆく年くる年を観てどこからともなく聞こえる除夜の鐘の音に耳を澄ませ、例年通り家族揃って新年の挨拶をしてから各々の布団に潜った。


ぼくは母があらかじめ暖めてくれた部屋に戻り、電気を消したまま窓をそっと開けて顔を出した。外の冷たい空気が一気に部屋になだれ込み、同時に灯油の匂いがする暖かい空気が外に逃げていく。ぼくは家々の屋根にもっさりと積もった闇に浮かぶ真っ白い雪を眺めてタバコに火を点け、深呼吸するように静かに大きく煙を吸った。澄んだ冬の空気と共に煙が肺を通ってゆっくりと吐き出される。どこまでも続く暗い海のような街に煙が漂う。辺りは生き物の死を全て飲み込んだかのような静寂さに包まれていた。

灰色の冬空を見つめて悶々としているうちにじりじりと時間が経っていく。
二本目のタバコに火を点ける。つい一年前までここで生活していたぼくもこうやって山形の夜の冬空を眺めていた。そのとき東京は現実味も生活感もないユートピアだと、そう幻想を抱いていた。

当然東京にそんなものはない。あるのはここと変わらない人間の生活だ。一体、ぼくのユートピアはどこにあるんだろう。ベッドに寝ころんで天井を眺めているときだけ、ぼくは世界の支配者だ。ユートピアは妄想の中にだけ存在する。

だが、これでいいのだろうか。
自分が化石のように思えた。変わらない過去を引きずり、何かになりかけのまま固まった化石。外の世界は動いている。時の川はぼくの側を流れていく。川の流れに決して交わることがない小さな化石。何かになりかけているようで何者にもなっていないそいつは、都会の片隅にある学生寮の四畳半の一室、汗と精液の匂いがする一室で生活しているだけの東京のただの生活者だ。

東京が生活の場になっても四畳半の私的な世界はいつまで経っても打ち破ることが出来ない。何か始めなきゃいけない、東京で動き出さなきゃいけない。
そういつものように焦りを募らせ、ぼくは重たい布団を被って目を閉じた。

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