ロックバンド、ZAZEN BOYSで強烈な個性を放つボーカル・ギターの向井秀徳氏が幼少期から一環して食べ続けているのがラーメン。佐賀で育った向井さんにとって、ラーメンは単なる食べ物を超え、生活に欠かせないものとのこと。今では自らダシを取り、オリジナル・ラーメンを作るにまで至っているそうです。今回は「ロックンロールニュース・年末年始特別企画」と題して、向井さんとラーメンにまつわる話、オリジナル・ラーメン(MATSURIラーメン)制作過程、そのラーメンを試食した際の採点までを3回に分けて紹介。其の貳の今回は、いよいよ向井さんによるオリジナル・ラーメンの制作過程をご紹介。この寒い時期は特にお腹が空いてきますので、覚悟して(笑)お読みください。
取材:松田義人(deco) 写真:近藤彩子(deco)
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■魚系のダシ
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RRN すごいですね、このスープ。どうやって作ったんですか?
向井 まず、昨日の朝、とりあえず築地に行って来まして、それで素材を調達して来ました。僕は最近、鍋も味噌汁もよく作るようになったんですけど、やっぱり全部ダシで決まるんですね。それでまず、羅臼昆布。これは昆布の最上級と言われてるんですけど、これは「三」と書いてあります。羅臼昆布の中にも等級があって、「一」「二」「三」とあるんですよ。ところが築地に行ったら「『一』『二』はまだ入荷しておりません」と。なので、今回は「三等」の羅臼昆布にしました。
RRN でも、それでも高いでしょう、羅臼昆布って。
向井 まぁ大量に作れば高くない。築地はやっぱりいいものが安いから。それで、まず昨日のうちにダシを取って、それだけを飲んでも十分ハッピー、美味しかったです。それから鰹節。鰹節を荒く削ったやつを買ってきまして。それを沸騰まではさせないで、バッと煮立てて濾して終わり。これで魚系のダシは完成。

向井さんによる魚ダシの解説。

これが羅臼昆布だ。本文通り、これは三等級になる。

荒く削った鰹節。やはりこれも築地にて調達。

そういった高級素材を惜しみなく鍋にかける向井さん。
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■獣系のダシ
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RRN そして、もちろん獣のダシも。
向井 はい。だから世間でよく言われている、いわゆるWスープっていうものになるんですよ。さっきの魚系のダシと、鶏ガラ+トンコツを少し併せた獣系のダシを併せるわけです。でも、獣系のダシを取りたくて近くの肉屋さんに行っても、そういう部位はまず売ってくれない。だから、これらも築地で仕入れました。鶏専門店に行って「ラーメンのダシを取りたいんですけど」って聞いたら、すぐに「これ使いな」って鶏ガラを出してくれた。これは100グラム200円くらいでした。あとはトンコツ。これは付け足し程度で良いと思って、ゲンコツを4本仕入れました。一度、これらの骨を一度湯がいて、すぐまた出して洗います。洗い終わったら、すぐまた火にかけていきなり強火。バリバリ。
RRN バリバリ(笑)。
向井 バリバリですね。これだけの量だと、沸騰するまでも時間がかかりますから。そして、あと野菜を入れます。ネギ、セロリ、ニンニクとか。そして、やっと沸騰したら、一瞬にして気色悪いアクがブワーって出てくるので、これをひたすら取る。あと、焦げてもいけないからかき回したりもしつつ。4〜5時間ずーっとこうやって。無言で(笑)。その感じがまたいいんですよ。
RRN でも、そうなるとなかなかヤメられないですよね。
向井 うん。だから、「もう眠い」と思ったときにヤメる(笑)。そこで完成(笑)。ただ、ラーメンってアバウトなときはすごいアバウトなんですけど、Wスープで合わせる分量っていうのはとても微妙で。すごい難しいんですよ。

向井さん使用のズンドウは「DON」製。
名前が強そうだ。

向井さんが数時間かけて煮込んだ獣系スープは
ジップロックで慎重に持って来られた。

そのスープを鍋に移す。
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■焼豚に入る
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RRN じゃあ、向井さんが眠くなるまでは延々アク抜きと、焦げ防止のかき混ぜのみ?
向井 いや、まだやることがあるんですよ。いよいよアクが小康状態になってきたら、今度は焼豚に入る。
RRN 「焼豚に入る」っていう言い方がもうプロっぽい(笑)。
向井 いや、焼豚は「焼豚用」って言ってタコ糸を巻いて肉屋さんで売ってたのをそのまま使いました(笑)。その固まりをまず、表面をゴロっと焼く。そして、煮立たせているスープを別鍋に移して、酒、しょうゆ、ニンニクを足して、その中に焼いた焼豚をブチ込むんですよ。それを弱火にかけて煮込んでいく。

向井さんが仕込んできた焼豚。すでにウマそうな光線を放っている。
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■その他
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RRN メンマもウマそうですね。
向井 普段はメンマは買ってきたやつなんですけど、今回は水で煮たメンマを炒めて、煮て作りました。そして、タレね。タレは本当に大変。薄口150……、オイスターソース200……。
RRN その分量は何かレシピを見て覚えたんですか?
向井 いや、完全に感覚です(笑)。でも、ただのしょうゆと酒だけだと、そばの汁みたいになりますから。これはちょっと気を使いますね。
RRN 麺はどうするんですか?
向井 これは「肉のハナマサ」で売ってるストレート麺ですね。広島駅の立ち食いそば屋の麺がこういう普通の麺だったので、あの麺がウマかったのを思い出して、これにしました。

マトリョーシカ状態に細かく仕分けされたメンマ。

と思いきや中身は全部同じだった。 たぶん、向井さんがデカいタッパーを持ってなかったと思われる。

タッパーのうちの一つには味付玉子も。

「肉のハナマサ」で売っているという中華麺。 「今回のスープにはこれが合いそうだ」と向井さん。
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以降、助手のMOBY(SCOOBIE DO)さんを従え、次第に寡黙になっていく向井さん。果して「MATSURIラーメン」は無事完成することが出来るのでしょうか。次回はいよいよ完成したラーメンの全貌と、試食した上でのリリーらの採点結果が明らかに!
(「向井秀徳・MATSURIラーメン VOL.3は2008年元旦アップ予定です)
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ロックバンド、ZAZEN BOYSで強烈な個性を放つボーカル・ギターの向井秀徳氏が幼少期から一環して食べ続けているのがラーメン。佐賀で育った向井さんにとって、ラーメンは単なる食べ物を超え、生活に欠かせないものとのこと。今では自らダシを取り、オリジナル・ラーメンを作るにまで至っているそうです。今回は「ロックンロールニュース・年末年始特別企画」と題して、向井さんとラーメンにまつわる話、オリジナル・ラーメン(MATSURIラーメン)制作過程、そのラーメンを試食した際の採点までを3回に分けて紹介します。其の壱の今回は、向井さんの「ラーメンことはじめ」です。この寒い時期に読むと、特にお腹が空いてきてしまうかも(?)。
取材:松田義人(deco) 写真:近藤彩子(deco)
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■インスタントと言えば「マルタイ」
RRN 向井さんが最初にラーメンを食べたのは?
向井 うーん……僕が最初に食べたラーメンがナンだったかは覚えてないですけど、最初はインスタントラーメンにハマってたんですよ。
RRN それはいつですか?
向井 インスタントにハマってたのは小学校の低学年ですね。
RRN いわゆるカップラーメンですか?
向井 いや、カップラーメンじゃなくて袋入りの即席麺ですね。
僕は九州なので、インスタントと言えば「マルタイ」です。これは今でも最高に好き。ベスト・オブ・ラーメンです。あと、小学校4年生くらいのときに、「チキンラーメン」の生卵を入れるテレビCMも観たけど、あれは「気持ち悪そう」と感じた記憶がある。
RRN 気持ち悪そう(笑)。
向井 今観れば「ウマそう」と思いますけど、当時はそう思ったんですね。だから、やっぱり「マルタイ」ばっかりでした。
RRN じゃあカップラーメン・デビューは?
向井 確か「激めん」だったと思います。
RRN 「激めん」っていうカップラーメン? どんなカップラーメンですか?
向井 最高にスパイシーなラーメンで、これも好きだった。あとは普通に石立鉄男の「エースコックわかめラーメン」とか。普通に「カップ・ヌードル」とかも食べてましたね。
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マルタイ
1947年、泰明堂として福岡県で製麺業を始め、棒状のインスタントラーメン「マルタイラーメン」を1959年に開発。現在では九州地方だけでなく、全国のスーパーで購入できるようになった。

チキンラーメン
日清食品創業者の安藤百福氏が自宅に作業小屋を建てて、天ぷらの食感をヒントにして生まれた。この商品開発以降、「ラーメン」という言葉が国民に定着した。

激めん
マルちゃんの商号で有名な東洋水産が1978年に発売したカップラーメン。隠れたヒット商品で、シリーズには定番のワンタンメンの他、カツカレーラーメンなども発売された時期もあった。

エースコックわかめラーメン
大阪のインスタント・ラーメンの大手、エースコックが開発。テレビCMに石立鉄男を起用し、国民に定着させた。

カップヌードル
1971年発売。言わずと知れた日清食品の大ヒット作。1972年の「あさま山荘事件」で機動隊員らが極寒の中、食べていたことでヒットに繋がったのはあまりにも有名。
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■ラーメンが食べられず泣きわめいた幼少期
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RRN お店でラーメンを食べたのは?
向井 小学生か幼児の頃かは定かではないんですけど、佐世保に「大阪屋」っていうラーメン屋さんがあるんですよ。「そこがウマい」って兄貴に連れられて、初めてトンコツを喰った。
RRN 向井さんが暮らした佐賀から佐世保って遠くないんですか?
向井 うちの母方の地元が佐世保だから。博多まで映画を観に行ったついでに行ったりとかはよくしてましたよ。その初めてトンコツを喰ったときの感想は「うわぁ、すっごい濃い」と。今はすごい好きなラーメン屋さんですけど、そのトンコツが子供だった僕にはパンチが強過ぎたのを覚えている。あと、やっぱり小学生の頃に、豪華な円卓があるような中華料理屋にたまたま家族で行ったんですよ。円卓のそういう店って初めてだったからメニューを見てもよくわからない。とりあえず「ラーメン」っていう文字を見つけて安心してそれを頼んだんです。当然、「出前一丁」みたいなラーメンを期待するじゃないですか。そしたらですね、今でいう汁ナシ坦々麺みたいなものが出てきた。麺の上に肉だけが乗っているような。僕はこのときすごい泣きわめいた。
RRN 「これは『出前一丁』とは違う」と(笑)。
向井 もう泣いて泣いて(笑)。そういうショックな思い出もあります。
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大阪屋
佐世保を代表する老舗ラーメン店。自家製麺と濃厚スープが味わい深い。
(住所)長崎県佐世保市下京町9-1

出前一丁
1968年発売。オーソドックスなしょうゆラーメンだが、その味は日本のみならずアジア全域ででも大ヒット。特に香港では即席麺の約5割が本商品(シリーズ全体)という。
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■向井秀徳のお勧め久留米ラーメン店
RRN そういうトラウマがありながら、お店でのラーメン……九州のいわゆるトンコツラーメンを好んで食べ始めたのは?
向井 中学・高校くらいから久留米ラーメンを食べに行くようになりました。まぁコッテリしていますよ。
RRN 九州に行くと、東京で食べるトンコツラーメンとの違いに免を喰らいますよね。
向井 そうそう。最初は兄貴に連れられて、そのうち友達と食べに行ったり。高校を卒業したら、今度は熊本までバイクで食べに行ったりしてました。
RRN 当時の向井さんお気に入りのお店は?
向井 久留米ラーメンなら、発祥の店と言われている「南京千両」です。
RRN 「南京千両」は有名ですよね。
向井 うん。ただ、「南京千両」は何店鋪かあるんですけど、味がそれぞれ違う。中でも西鉄久留米駅の裏側にある「南京千両」は本当にもう今でもすごい好きですね。
RRN 「南京千両」もいわゆるオーソドックスなトンコツラーメンですか?
向井 いや、九州のラーメンはストレート麺ですけど、その店の麺は少し縮れている。そして、細切りにした焼豚が乗っておる。これがウマい。
RRN ほかにはありますか?
向井 あと、久留米なら他にも「大砲ラーメン」とか「大龍ラーメン」も美味しいですよ。あと、「満州屋」も。ここは餃子が旨い。あと、「潘陽軒」っていういつツブれてもおかしくないようなボロ屋のラーメン屋さんがあるんですけど、ここもなかなかクラシックな味がして好きですね。
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南京千両
1937年、九州初のラーメン屋台として創業し、トンコツラーメンを定着させた。現在では数店鋪を展開。向井さんのお勧めは西鉄久留米駅からすぐの「南京千両 屋台」。
(住所)福岡県久留米市東町、熊本ファミリー銀行付近

大砲ラーメン
1953年創業。「いいスープが出来た日は親父の口数が増えた」というエピソードにもあるように、九州ラーメン創成を担ったラーメン屋さん。数店鋪を展開。
(本店住所)福岡県久留米市通外町11-8

大龍ラーメン
国産のトンコツだけを使ったスープはコクがまろやか。もちろん、麺や具材にもこだわったトンコツラーメン。
(花畑本店住所)福岡県久留米市西町1434-1

満州屋が一番
トンコツラーメンの人気店。2007年には「ラーメン改善宣言」と題し、メニューの改善を行った。九州以外にも数店鋪を構え、通信販売も積極的に展開。
(本店住所)福岡県久留米市日吉町13-7

潘陽軒
1948年創業の老舗ラーメン屋さん。ツルツルとした麺と濃厚なスープが美味しい。スープは季節や天気によって微調整されるという徹底ぶり。
(住所)福岡県久留米市六ツ門町7-59 |
■東京には九州ラーメンがなかった
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RRN 九州と聞くと、どうしても博多・長浜のラーメンが思い浮かびますが……。
向井 バンドを始めて、博多のほうへよく行くようになって、当然ラーメンも食べてましたけど、やっぱり久留米に比べればパンチが弱い。麺も細い。食べ応えがない。久留米ラーメンは一応トンコツラーメンのオリジナルと言われているんですけど、それに比べると、長浜系はあっさりしてるんですよ。やっぱり市場がすぐ近くにあって、チャッチャチャッチャやらないといけないから、そういう味になったんだと思いますけど。だから、博多のラーメンだったら僕はあえて長浜系とは違う「しばらく」っていう店で食べますね。そこは美味しいですよ。
RRN やがて向井さんはバンドで全国を回るようになり、上京し……。
向井 そう。東京に来てまず哀しかったのが自分の口に合うラーメン屋がないということ。
RRN 九州には東京式のラーメン屋さんはなかったんですか?
向井 ほぼない。本当にない。たまに出来てもすぐツブれる。だから、東京に来た頃あの西鉄裏の「南京千両」が夢に出てきて、起きたら枕が濡れていた……なんていうこともありました。
RRN それは涙ですか、ヨダレですか。
向井 両方でしょうね(笑)。 |

しばらく
1953年創業。創業当時、「知り合いが多いので儲かるかと思いきや、食べに来た知り合いからはお金が取れず掛け倒れ」というエピソードも。九州以外にも数店鋪を展開。
(本店住所)福岡県福岡市早良区西新1-11-28
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■スープ見せちゃり事件
RRN 以前、向井さんから「渋谷のラーメン屋でキレた」話を聞いたことがありますが。
向井 あれは非常に悲しい思い出ですよ。
RRN 悲しい思い出(笑)。
向井 僕は一時期、渋谷まで自転車で数分で行ける距離のマンションに住んでたんですけど、夜中にすごいお腹が空いたことがあって。「渋谷まで行けばなんか喰えるやろう」と、自転車をこいで行ったんですよ。そこで某「博多●●」というラーメン屋さんがあって。なんか名前がウサン臭いけど、腹も減ってるし、そこに入ったんです。すると、もういきなり若い店員2人組がベチャクチャ喋りながら、ダラダラやっとる。それで「大丈夫かなぁ」と思ったんですけど、もやしラーメンを頼んだ。それで出てくると、もやしラーメンのはずが、もやしが乗っとらん。そしたら片方の店員が気付いて「悪ぃ悪ぃ」みたいな感じで、そこからようやくもやしを茹で始めるわけです。まぁそれでも美味しければまだ良いんですけど、麺、もやし、焼豚……全部のアイテムが腐り果てたような味がするわけです。「洗い物のカスが入ってるんじゃないか」くらいのマズさ。「これは喰えん」と一口食べて席を立ったんです。そしたら店員が慌てて「何かお口に合わなかったでしょうか」って言うからもうキレて。「スープ見せちゃり! これスープはなんば使っとっとか?」と言って厨房に入っていった。
RRN すごい(笑)。
向井 あまりの悲しさについ声を荒げてしまったという話ですけど。あれは悲しかった。 |
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■トマトラーメン事件
RRN あと、トマトラーメンでキレた話もありますよね。
向井 ちょうど、その「博多●●」でキレたのと同時期ですね。ちょうど駒場東大のすぐ近く、山手通りが入ってすぐのところに「ラーメン山手」という店がある。そこに食べに行こうとしたら、もう夜中で終わってたんです。でも、もうラーメンのスイッチが入ってるから、とにかくラーメンを喰わないと気が済まん。それで、ふと近くを見たところ、小さな店で「ラーメン」っていう看板が出ていたのでその店に入ったんですよ。店主はバンダナを巻いたオッチャンで、いかにも「ラーメン好きが高じて脱サラした」みたいなノリ。まぁそれはいいんですけど、僕は普通にしょうゆラーメンを頼んだんですよ。そしたら店主が「……しょうゆラーメン、やめときな」って言ってくる。
RRN なんでまた(笑)。
向井 「若い奴はトマトラーメン喰いなよ」って言うんですよ。それで僕はカッチーンときて。「アンタ、しょうゆラーメンって子供からお年寄りまで食べるもんでしょうが! ラーメンに『若い奴』とかそんなん関係ない!」ってキレて。
RRN ガハハハハハ(爆笑)。
向井 あれは頭来た。そしたら、その店主は「ハイハイ」みたいな感じで、厨房の奥に引っ込んで。その後、奥さんが出てきて、しょうゆラーメンを出してくれたんですけど。
RRN 味は?
向井 普通にウマかったですけどね(笑)。 |

らーめん山手
トンコツなのに、どこか上品な味がするラーメン。自家製麺はコシがあり、ツルツルと何杯でも食べられそうな食感。
(住所)東京都渋谷区富ヶ谷2-21-7
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■九州ラーメン以外への理解
RRN 前後しますけど、東京ラーメンを食べられるようになったきっかけは?
向井 あるとき、「東京に来て九州ラーメンを探してるからイカンのだ」と思いまして。「ここは東京だから、東京ならではの東京ラーメンでウマい店を探そう」と思い立ったわけです。それで「荻窪に美味しい店が多い」という話を聞いて、まず「春木屋」に行ったんですね。これがね、本当に涙がチョチョ切れるくらい感激した。「これはウマい。こんなウマいしょうゆラーメンを、喰ったことない」と。それで九州ラーメン以外も食べるようになったんです。それまでは「九州ラーメン以外はラーメンじゃない」くらいの変な感じも持ってたけど(笑)。それからはツアーで全国に行くたびに、その土地土地のラーメンを食べる楽しみが出来ました。
RRN 各地方のお勧めはありますか? 特に向井さんが行く度に必ず食べるラーメン屋さんとか。
向井 それはいっぱいありますよ。まず北海道・札幌なら「めん三郎」。eastern youthの吉野さんから教えてもらったラーメン屋さんですけど、ここの味噌ラーメンが「ザ・味噌」という感じで最高ですね。ショックを受けました。あと、札幌で言うと最近は「千寿」っていう店も好き。その土地で育ってきた味噌ラーメンの文化を感じます。それとは反対に、旭川ラーメンになると、ちょっと九州ラーメンのムードがあったりして、これも好きなんですけどね。
RRN 北海道なのに九州のムードがするなんて不思議ですね。
向井 不思議ですよね。なんで旭川にトンコツ系の濃厚なスタイルが出来たのか。あと、岡山も京都も徳島も。一時期、僕は九州からラーメン職人が地方に分散して、その作り方を広めて行ったんじゃないかと思ったこともありました。 |

春木屋
東京・荻窪ラーメンの老舗。毎朝6時から仕込まれるスープ、麺は従業員全員でその都度チェック。日本そばの趣も感じられる東京ラーメンを代表する店の一つ。
(本店住所)東京都杉並区上荻1-4-6

めん三郎
長野県から取り寄せた厳選味噌に10種類のスパイスを混ぜ合わせた秘伝の自家製味噌が美味しい。スープはゲンコツと少量の野菜を7時間煮込んだものを使用。麻生区から東区に移転した今も大繁盛。
(住所)北海道札幌市東区北42条東2-3-1

千寿
味噌が強烈なアタックを放つ札幌の人気店。もちろん、味噌ラーメン以外にも、塩やしょうゆも人気。トロトロの焼豚や半熟煮卵など、具材も仕事が繊細。
(住所)北海道札幌市中央区大通西8-2-39 北大通ビルB1
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■幻となった岡山ラーメン
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RRN 徳島や岡山のラーメンはあまり聞いたことないですね。
向井 ウマいですよ。徳島だったら「ラーメンショップ」。あと、岡山だったら「丸天中華そば」。この店はもうなくなったですけど、最高にウマいしょうゆトンコツで。岡山でライブをやった晩、「腹も減ったし、『丸天中華そば』を喰いに行こう」と思って1人で行ったんですよ。「楽しみだー」と思って行ったんだけど、お店が近付いてくると電気がついてない。「おかしいなー」と思って店の前に来たらシャッターが閉まってるんですよ。そこには「店主逝去のため、閉店いたしました」という貼り紙があったんです。「継ぐ人がいなかったんだな、残念だ……」と思ったんですけど、よく見ると、その貼り紙の回りにブワーっと寄せ書きがあるんですよ。「ウマかったよ」とか「安らかに」とか「ありがとう」とか。「丸天中華そば」に対する感謝の言葉が書いてあった。それを見てジーンと来ましたね。「愛されていたんやなぁ」と。
RRN それで向井さんも書き込んだ?
向井 いやジーンとしただけで書き込まなかったけど。でも、写真は撮りましたよ。
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徳島ラーメン
四国・香川の名物、うどんに対して、徳島の麺文化はラーメンのほうが主流という。基本的にしょうゆラーメンのみだが、甘辛く煮た豚バラ肉が乗っていたり、生卵が乗っていることも。。

そばの店 丸天
岡山ラーメンの老舗。鶏ガラベースの昔ながらのしょうゆラーメン。本文中、向井さんのコメント通り、店主逝去のため一度閉店したものの、2007年に復活。
(住所)岡山県岡山市駅前町2-2-4
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■ショッキングな弘前ラーメン
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RRN でも、地方のラーメンだと、あの東京に来たばかりのことと同様に、とんでもない思いもされたことがあるんじゃないですか。
向井 ある(笑)。青森の弘前っていう町に「たかはし」っていうラーメン屋さんがあって、ここは本当にビックリした。ショッキングだった。完全に魚ダシなんですけど、サバの味噌缶があるじゃないですか。あれをそのまま全部入れたような感じなんですよ(笑)。もうウマいマズいとかを通り越した味でしたね。ビックリしたなぁ、あれは。「まさか!」と思いましたよ。ただ、あれはあれで好きな人はすごい好きなのもわかる。ショッキング・ラーメンでしたね。
RRN バンドのツアーで全国のラーメンはだいたい食べましたか?
向井 だいたい食べたと思いますよ。ラーメンは各地どこにでもありますから。「絶対にラーメンがない県」っていうのは僕の行った限りでは仙台くらい。仙台っていうのはラーメンない、何故か。福島にも秋田にも山形にもあるのに、仙台にだけない。あと、名古屋でもラーメンを喰ったことがない。名古屋には薬膳ラーメンとかがあるそうですけど。 |

たかはし中華そば店
青森・弘前で魚介ダシスープと言えばここ。強烈な魚介ダシに中太の若干縮れた麺が個性的。好き嫌いがハッキリ別れるというが、熱烈なファンが多い。
(住所)青森県弘前市撫牛子1-3-6
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■MATSURIラーメンの構想
というわけで、向井秀徳さんが実際にラーメンを作ります。その名も「MATSURIラーメン」。どんな行程を経てラーメンが完成していくのか、そしてその味は果して……。
(「向井秀徳・MATSURIラーメン VOL.2は2007年12月29日頃アップ予定です)
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90年代の音楽シーンを作り上げてきた名盤復刻シリーズ「standard of 90's」を語る、その最後に登場するのはTOKYO No.1 SOUL SETである。彼らのような異才を誇るグループは、あとにも先にもまったく存在していない。文字通りの唯一無二、独創のカタマリのようなこのグループが、90年代の半ばに『TRIPLE BARREL』『Jr.』という傑作を作り上げ、先鋭的な耳の持ち主たちを驚嘆させた事実は、もっともっと高く評価されるべきだ。その当時の楽しいエピソードから、12月1日に配信リリースされた楽曲「Innocent Love/Please tell me」の紹介まで、渡辺俊美、川辺ヒロシ、BIKKEの3人が縦横無尽に繰り広げるフリートーク。お楽しみください。
対話_宮本英夫 撮影_ロックンロールニュース編集部
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全員が若くて、
理想と希望に燃えてましたね。(川辺ヒロシ)
——というわけで、今回再リリースされる2枚のアルバム『TRIPLE BARREL』『Jr.』について語っていただけたらと。
渡辺俊美 もう忘れました。
——そこを何とか(笑)。この『TRIPLE BARREL』は、僕も当時買ったCDを聴き直してみたんですけど、当時から音は良かったと思うんですね。低音の迫力とか。
川辺ヒロシ 当時も古い音だったんで。それで古くならないのかな。田島さんは、相当立ち会ったらしいですね? 小鉄さんのリマスタリングに。
——そうですね。
川辺 逆なんですよね。田島さんはずっとデジタルでやっていて、今回小鉄さんのところに行って。僕らは当時、小鉄さんで、アナログでやってたんで。一回、アセテート盤に落としてるんですよ。12曲だったら12枚の12インチを作って、それをプレイヤーでかけながらマスターCDにした。それは画期的でしたね。それ以降誰もやってないけど。
渡辺 それを次に真似したのがフィッシュマンズ。
川辺 パクられた(笑)。フィッシュマンズはA&Rが同じだったので。ミキサーがソウルセットと電気グルーヴをやっていて、当時はリアルタイムで“向こうはどうやってるの?”とか、面白かったですね。
——こんなノリでいいので、アルバムごとに何か思い出やエピソードをいただければと。
川辺 とにかくレコーディングというものがよくわかってなかったんで。初めてスタジオを自由に使えるということで、ものすごい無駄な使い方をしてましたね。今思うとバチがあたるような、ものすごいぜいたくな。行って、レコードを聴いてそのまま帰ったりとか。
渡辺 ちょうどスペースシャワーとかが始まった頃で、ずっとテレビを見てたりとか。
川辺 スタジオ代というのは天から降ってくるものだと思ってたからね(笑)。
渡辺 当時は江戸屋レコードで、スタジオ(スタジオ・アライブ)は会社の持ち物で、タダなんじゃないかと思ってたんですよ。そしたらいつのまにか使いすぎて、つぶれちゃったという(笑)。
BIKKE か、どうかはわからないけどね。
渡辺 わからないけど、かなりの比重はあるんじゃないかと。上原(キコウ)さんっていうエンジニアの人がいたんですけど、レコーディングが半年として、実質3か月は上原さんは寝てましたね。卓の向こう側で。
川辺 プリプロなしで、ゼロからスタジオで作るということをやってたんで。だからボツ曲がないんですよ。フルに使ってます。レコード会社の人A&Rの人も全員若くて、俺らと同じぐらいの年だった。
渡辺 27歳ぐらい?
川辺 全員それぐらいで、理想と希望に燃えてて。まだ挫折前で(笑)。スタジオは自由に使えるし、新しいオモチャを手にした子供って感じでしたよ。シメる人がいなかった。怒る役の人も一緒になってはしゃいでたから。
——BIKKEさんは?
BIKKE そういう意味で僕らもレコーディングは初めてだったんで、ソウルセットをやったあとはどのレコーディングも楽でしたね。すごく時間をかけてたし、そういうもんだと思ってたから。よそのレコーディングに行くと、こんなんで終わりでいいのかな?って。もっと何回も歌い直さなくていいのかなとか思ってたけど、大体がそうだったみたい(笑)。
渡辺 というか、どこにもハマんないんですよね。ヒップホップな感じでもないし。実際作り方はヒップホップなんだけど、でも違うし、バンドでもないから、もうほんとに何かが降ってくるのを待ってる感じ。偶然と、狙ってるものと。まぁぼくらはただ、遊んでただけなんですけど。
川辺 慎重すぎるほど慎重だった。絶対ヘタこけないって。
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『standard of 90's』
今もなお、熱いリスペクトを集める90年代音楽シーンを作り上げてきた名盤復刻シリーズ『standard’s of 90’s』。第1弾、オリジナル・ラヴ、スパンク・ハッピーに続き、第2弾として登場するのが、TOKYO No.1 SOUL SET、スチャダラパー、Great3の3組。アーティスト公認、リマスタリング、当時のアナログを紙ジャケ化(一部除く)という07年リマスター決定版となっています。他詳細はstandard of 90'sまで。
『 Triple Barrel』
(95年リリース)
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広いスタジオで、サラウンドで、
爆音でゲームをやってた(笑)。(渡辺俊美)
——『TRIPLE BARREL』は今でも気に入ってますか。
川辺 しょうがないよね。これはこれとしてありますということで。あそこをああすれば良かったとかも別にないし、これはこれで完結してるんで。
BIKKE うん。これはこれ。その時のもの。そんなこと言ったら、全部作り直すことになっちゃうから。“今の俺だったら”みたいなことじゃないですか。俺が小学生だったら、みたいな。
川辺 しみじみと聴きながら“若かったな〜”みたいなこととか、ないですからね。まだ。ライヴでもやってるし。しかも10枚ぐらい出してりゃアレですけど、まだ4枚ぐらいしか出してないから。少なすぎ(笑)。
——で、その1年半後にはあの問題作『Jr.』がもう出てしまうんですね。
川辺 相当待たせた感じでしたけどね。そんなにすぐレコーディングした記憶がないんだよな。けっこう間があいて、せっつかれて作った気がする。
渡辺 いや、ずっとせっつかれてた気がする。ツアーのスケジュールが入ってて、本当はその前にやりたかったんだけど、その後までもやってたから。本当は1年後に出したかったんだろうけど、半年延びた。ここのタイミングでね、プレイステーションが出たんですよ。だから“鉄拳”でね、けっこう時間がかかっちゃったという(笑)。サラウンドでやってたからね。
BIKKE あぁ、よくスタジオでゲームやってたな。俺はやんないけど。
渡辺 すっごい広いスタジオで、サラウンドで、爆音でやってた(笑)。
川辺 確かその時に、子供が生まれたんだよ。
渡辺 俺か?
川辺 うん。それで『Jr.』なんだから。子供の鼻が詰まって、どうしていいかわかんないから“トシちゃん、どうにかして”って電話がかかってきて、鼻水をすすりに家に帰ったりしてたから。鼻水もすすれないのか!って、嫁を叱り飛ばしてきたって(笑)。
渡辺 すぐに風邪引いちゃうの、子供のがうつって。まぁ、そういう話も全部入ってるアルバムです(笑)。
川辺 あと、ベンツをインロックしちゃったりね(笑)。
渡辺 俺ら、運動不足だなっていうことで——。
BIKKE 時間があいたんだよね。で、近所にバッティングセンターがあって。
渡辺 ちょうど僕、バット持ってたんですよ。野球もちょっとやってて。それで行こうということになったら、なぜだかわからないけどトランクにカギを入れたまま閉めて……。
川辺 バットを取る時にキーを置いて、バターンと閉めて、ウワーッて(笑)。全部のドアがきれいに閉まっちゃって、ベンツだから頑丈で。
渡辺 JAFの人が来たのが夕方の5時くらいなんですよ。終わったのが夜中の1時ぐらい。
川辺 結局開かなくて、もうガラスを割るしかないですよって。ガムテープを貼って、俊美くんがハンマーを持ったんだけど、“…オレ、割れない”って(笑)。俺は“そんなの簡単じゃん、ベンツ割るなんてやってみたいよ”とか言って(笑)。結局割ったんだけど、ガシャーン!と行くかと思ったら、ガムテで貼ってあるから“グシュ”っていう、すべてが吸収されて、それを機に欝に入るぐらいの感覚があって(笑)。で、ガチャッて開けて……。
渡辺 開けたんだけど、トランクが開かない。
川辺 え〜っと、トランクを開けるカギは? ……あっ(笑)。
渡辺 意味なかったね。
川辺 JAFを呼んで、JAFの人がお手上げで、カギの110番を呼んで、車が1台、2台、3台と増えて行って(笑)。大事件だった。そしたら次の日にカギの110番から電話があって、“昨日のクルマのカギ、型をとらせてくれ”って。
渡辺 そのぐらい難しい。かなり腕がいい人じゃないと開けられない。3人ぐらい来たもんね。
川辺 面白かったな。……それしか覚えてない(笑)。『Jr.』のレコーディング・エピソードで一番鉄板なのはそれですね。
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『Jr.』
(96年リリース)
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若い人には、これを過去のものだとは
思ってほしくないね。(BIKKE)
——あの〜、できれば、音楽的なことも聞きたいんですけども。
渡辺 (笑)
——聴き手として、この2枚の変化にはものすごいビックリしたので。
川辺 あぁ、でも『Jr.』はね……そうだ、俺がヒルトンに3週間ぐらい泊まってプリプロして。そのうち半分はレコード会社にお金を出させて、クボタ(タケシ)と一緒にやった作品のプリプロとして。それで“ヤード”とか、『Jr.』に入れる曲を作ってたんですけど、そのぜいたくな感じが…今なら考えられないけど。
BIKKE あの頃、みんなそんなのやってたよね。歌詞を書くために旅行とか行かせてもらってたよね。
川辺 スタジオを借りるよりは、一泊5万のヒルトンの部屋のほうが安いっていう。考えられない時代ですよ。そのフロアはプリプロ用フロアで、ほかにミスチルとかも入ってたりとか。音を出してもいい、デカイ2LDKみたいなところで。
渡辺 様子を見に行ったら、バスローブで出てきたから(笑)。
川辺 そこで面白ビデオを延々見て。
渡辺 何回もルームサービス頼んで。いいソファーがあるんですよ。70万ぐらいする。ふっかふっかですもん。
——そうすると、こういう音になる?
渡辺 (笑)
川辺 そう。ラグジュアリーな音に(笑)。高層ビルから下を眺めてるような音になる。“アリのようだな、人が”って。
渡辺&BIKKE (笑)
川辺 でもいろいろ予算のことがわかってくると、もうそういうことはできないんだなって気づきましたね。残念です。でも良かったです。楽しかったです。
BIKKE 人生でね、そういうことができない人もいるからね。もう十分味わいましたって。
川辺 それで、売れてもいないんですよ(笑)。
——では総括として。ここで初めてソウルセットを聴く若い人もいると思うので、そういう人に向けたひとことを。
BIKKE 若い人ね……そうだなぁ、過去のものだとは思ってほしくないね。
川辺 だから当時、これを作ってる頃に“はっぴいえんど再発”とか言ってるような感じで、この再発を受け止められるとそれは違うかな。もっと近いし。今とつながってる話だし、“名盤発掘”みたいな感じじゃないほうが。
BIKKE そこまで、僕も懐かしくないしさ。あの頃は若かったなぁっていう、そこまでの勢いではないから。だって、一応まだやってるわけだし。
——もちろんですよ。だからこそこうしてお話を聞きに来ているわけですし。
川辺 これでまた少しずつ、口座にチャリーンチャリーンと小銭が振り込まれることをね。
BIKKE それを祈ってます。最近ちょっと、ここらへんのアルバムからは入って来ない感じがしてるんで(笑)。
川辺 まぁ、小銭なんだけどね(笑)。
——それと96年に出た初の映像作品『真昼の完全試合』のDVDも同時再リリースされるので、これについてもコメントをもらえますか。
川辺 DVDはね、たぶん面白いと思いますよ。若きタケイ・グッドマンの、才気あふれる作品になっていて。あそこも、オレらよりもっとぜいたくなスタジオを使い方をしてたから。最初の10秒を作るのに何か月かかってるんだ? みたいな。 |
『真昼の完全試合』
(96年リリース)
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売れたいです。人知れずとか、
そういうのはもういいです。(BIKKE)
——では最後に「今」と「これから」の話をしたいんですけども。まずは12月1日からデジタル配信されている「Innocent Love/Please tell me」の紹介を。BIKKEさん、どんな曲ですか。
BIKKE 売れそう。売れそう。
川辺 チャリーン、チャリーン(笑)。
BIKKE いや、ドサッドサッと(笑)。売れそう。好きそう。
川辺 俊美くんが歌いまくってますよ。止めるのも聞かずに。
渡辺 いい瞬間が、その都度その都度来たなぁって。トラックができて、BIKKEと話して詞ができてっていう感覚が、時間がすごく短くて、レスポンスが早かった。答えがすぐ出たって感じかな。見えた、というか。
川辺 いやもう、またフレッシュな感じですね。その秘訣は何ですか? って感じですね。
渡辺 (笑)
川辺 俺が逆に聞きたい(笑)。そんな感じですかね。
渡辺 こっちも戸惑うぐらいですからね、そのフレッシュ感には。
——このあとは来年の1月1日にまた配信シングル「just another day」が出て、春にはアルバムが出る予定です。前作『OUTSET』から2年たちましたけど、今のモードはかなり変わって来てるんですか。
渡辺 作り方は若干変わってますけど、どうだろうな。ヒロシくんのDJのスタイルも変わったというか——スタイルというよりも、かけてる感じは一緒なんですけど、音楽的に言うと、デジタルなものが多くなったというだけで。それで『OUTSET』を作っていったんだけど、今回は意外と原点に戻って、まずサンプリングをして、いろいろ入れていって、最終的にサンプリングがなるべく見えないようにするというか。『TRIPLE BARREL』や『Jr.』はサンプリングが前面に出てますけど、今回はそういうのがあまりない。アルバムも、そうなると思います。それが、『OUTSET』から変わったところかな。
川辺 まぁ『OUTSET』もそうだったんだけどね。『9 9/9』からだんだんそうなってきて、あれは割と半々で、『OUTSET』で完全にそうなって。
渡辺 『TRIPLE BARREL』と『Jr.』は、僕、楽器は若干しか弾いてませんから。足すぐらいで。そこの比重は変わったかな。
——BIKKEさんは今、どんな気持ちで新曲に取り組んでますか。
BIKKE とにかく締め切りを守ること。
川辺 考えられないことですよ。BIKKEの口から“締め切りを守る”なんて。俺もここ2年ぐらい、すべての締め切りを守れてますからね。ちゃんと期日内に上げれるようになってきました。
BIKKE もうなんか、ちょっとだけ年もとってきて、長いこと集中できないのかもしれない。前のレコーディングみたいに、1年ぐらいとか。
川辺 ちょっと、偏執狂みたいなところがありましたからね。普通じゃないみたいな。
BIKKE だから、短期間で終わらせたいです。集中力がそんなに長くもたないです。
——新しい音は新鮮ですか。
BIKKE そうですね。エンジニアの人も違うし、いろいろ違うと思いますよ。…あんまりね、考えてないんですよ。
渡辺 正直に言えば(笑)。
BIKKE 歌詞書いてデモ録って終わり、みたいな感じですね。録り方も、前だったら一個一個気にしてたテイクを、今はもうそういうのが嫌だから、たくさん録って、まずいいのを選んで、駄目なのを差し替えてって。あんまり考えてないです、だから。勢
い重視で。
——その上で「売れたい」と。
BIKKE 売れたいですよ、そりゃ。あの頃みたいになりたいですよ。…いや、そうでもないけど(笑)。でも今、あの頃みたいな感じだったらもうちょっとうまくできるのになっていう感じはある。普通に売れたいです。売れたいというか…いや、そういうことです。いいことは言いません。みんなに届いたらいいとか、そういうことじゃない。売れたい。人知れずとか、そういうのはもういいです。
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2008年1月1日より 第2弾デジタルシングル"just another day"配信中!
TOKYO No.1 SOUL SET オフィシャルサイト
http://www.t1ss.net/
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前半に引き続き、世代別に別れた「いい曲」の定義を探るべく、【10代・代表】HALCALI、【20代・代表】菊池亜希子さん、【30代・代表】シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)、【40代・代表】リリー・フランキー、【50代・代表】秋山道男さんの計6人の方にお集りいただき、それぞれの音楽観を語ってもらいました(後半ではリリーが登場です)。また、読者の皆さんからお寄せいただいた「心のベストテン」も別途紹介。是非ご覧ください。
取材:松田義人(deco) 写真:木本健太
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【座談会出席者】
【10代・代表】
HALCALI
1987、88年、ともに東京都生まれ。HALCA、YUCALIの2人組ガールズヒップホップユニット。小学校の頃から都内の同じダンススクールに通い、「FEMALE RAPPER オーディション」で、見事グランプリに輝き、O.T.Fの全面プロデュースのもと、デビュー。 |
【20代・代表】
菊池亜希子
1982年、岐阜県生まれ。モデルとして活躍する他、女優としても映画・テレビで多忙な毎日をおくっている。リリーとは映画「ぐるりのこと。」で共演。 |
【30代・代表】
シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)
1970年、神奈川県生まれ。90年、スチャダラパーとしてデビュー。現在はSLY MONGOOSE+スチャダラパーのユニット、THE HELLO WORKSで活躍中。
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【40代・代表】
リリー・フランキー
1963年・福岡県生まれ。作家、イラストレ−ター、エッセイスト、ミュージシャン。
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【50代・代表】
秋山道男
1948年・千葉県生まれ。プロデューサー&クリエイティブディレクター。多領域の仕事群を「魅力づくり」として遂行。俳優としてもNHK大河ドラマ「秀吉」、朝ドラ「天うらら」、ネスカフェCM「うるさい日本人」他に出演。
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「港のヨーコ」を買ってもらったんだけど、
「親に対して照れくさい」みたいな感じだった(リリー)
RRN リリーさんが遅れてやって来ました。リリーさんが最初に買ったレコードってナンですか?
リリー たぶん、最初に買ってもらったのはアニメのテレビマンガのやつとかだと思う。その後に、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコヨコハマヨコスカ」を買ってもらったんだけど、このときは「親に対して照れくさい」みたいな感じだった。子供の音楽じゃないじゃん、あれは。だから「毛が生えちゃった」みたいな照れくささがあったのを覚えている。
RRN ハルカリのお2人は「港のヨーコ」知ってますか?
HALCA 知ってますよ(笑)。
YUCALI もちろん(笑)。
一同 爆笑
リリー 菊池さんも知ってると思うけど、この人は岐阜出身で、中津川フォークジャンボリーの血が残ってるから。むしろ新しいと思ってるかもしれない。
一同 爆笑
菊池 そんなことないですよ(笑)。
リリー その「港のヨーコ」の後、今度はラジカセを買ってもらったの。それでテレビでかかってる曲とかをラジカセに録って聴いたり。あと、それらをダビングして自分のラジオ番組をよく作ってた。それを友達と交換するっていう。
YUCALI 楽しそう。
シンコ 男の子はやってましたよね、みんな。ラジカセをテレビの前に置いて、テレビで流れた音楽をテープに録音する。でも、家の人が喋っちゃったりして。「ごはんよ!」みたいな。
一同 爆笑。
リリー そう(笑)。当然、ダブルカセットでもないから編集も出来ない。だから、まず前枠を自分で喋って、「じゃあ、この曲を聴いてください」みたいなことを言って、テレビでかかるのを待ってる。本番で音楽を入れていかなきゃいけない。
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ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 「港のヨーコヨコハマヨコスカ」
1975年リリース。当初はアルバム内での楽曲だったが、人気が出てシングルカットに。曲中のセリフは当時の流行語にも。
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その「君」の指先にいた女の人は
必ず失神します(秋山)
RRN リリーさんが音楽をやり始めたのもその頃?
リリー いや、中1くらい。お祭りに行ったら、周りの人はみんなフォークギターなのに、一人だけThe Venturesみたいなエレキギターを持って演奏している人がいてカッコ良かったのがきっかけですね。
秋山 フォークギターからThe Venturesに流れる人は多い。あのテケテケテケっていうのをみんなやりたかったわけよ、当時。
リリー やっぱりギターなんですよね。周りにピアノをやってる人とかいなかったから。学校に1人だけピアノを習ってる人がいたけど、「金持ちか、お前は」みたいな感じでいじめられてた。秋山さんはもろフォークでしょ?
秋山 フォーク、フォーク。それから、ジャズ、スクリーンミュージックでしょ、やっぱりThe Beatlesでしょ、和製ポップスでしょ、その後ウルトラすごかったのがGSと呼ばれるグループ・サウンズね。あなた、わからないでしょ?
菊池 わからないです。
秋山 The Beatlesが青春歌謡的に変形してGSになったわけだけど、フリルのついたシャツとかを男が着て絵になったのは初めてなんじゃないかな、あれが。それを観てオバサンたちが失神するんだから。オバサンって言っても当時はまだ小娘ちゃんだったと思うけど。The Beatlesも失神があったけど、それと違ったのは歌詞が日本語だったっていうこと。GSの歌詞には「君」っていうのが多くてさ、3つポーズがある。上から指を指して「君」って行くパターンと、横から指を指して「君」、それから下からもあって。その「君」の指先にいた女の人は必ず失神します。
一同 爆笑
秋山 つまり演劇的だったわけ。
リリー 岸部四郎で失神してた時代があったんですから(笑)。それで僕はそのGSの人たちが落ち着いてソロになったり俳優になったりしているのを見ていた世代。ショーケンとかジュリーとか。
シンコ マチャアキとかもそうですよね。
リリー うん。あとドリフターズも。ドリフターズなんてThe Beatlesの前座やってる。
RRN でも、秋山さんにしたら、もともとフォークなわけじゃないですか。そのブームが去ってGSに移ったとき寂しく思ったりしなかったんですか?
秋山 全然寂しくない。青春は移り気ですから(笑)。
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The Ventures
1959年結成。アメリカのインストゥルメンタル・バンド。1960年代の日本にエレキブームを巻き起こした。

岸部四郎
1969年兄・一徳からの誘いでGSバンド、ザ・タイガースに加入。後に俳優として「西遊記」などに出演。

ショーケン
萩原健一。1968年ザ・テンプターズのボーカルとしてデビュー。解散後は映画監督を志していたが、1972年の映画「約束」の撮影現場に助監督として参加していたところ急きょ代役として出演。以降、俳優業とソロシンガーとして活躍。

ジュリー
沢田研二。1967年ザ・タイガースのボーカルとしてデビュー。デビュー当時は日本初の長髪アイドルと呼ばれた。解散後、ソロ活動でのヒット多数。

マチャアキ
堺正章。1965年ザ・スパイダースのボーカルとしてデビュー。バンド解散以降はコメディアン、俳優、司会業と多方面で活躍。

ドリフターズ
1950年代に結成後、いかりや長介がリーダーになった1964年より本格活動へ。1966年のThe Beatles来日時には前座を務める。以降、日本のお茶の間に笑いの旋風を巻き起こす。
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そのまま生声で唄うとかくらいで、
そんな変わりはないと思う(YUCALI)
RRN GSって生演奏だったんですかね?
秋山 生とドーナツ盤。
リリー そんなことよりもキャーっていう歓声で音楽自体が聴けない。
秋山 うん。でも、演奏はヒドかった気がする。The Beatlesも演奏下手クソだったけどね。レコーディングではあんなに素晴らしいのに、ヒドい。
RRN CDとライブとすごい差が出るアーティストって今でも結構いますよね。
YUCALI 私たちはどうかな(笑)。でも、CDでは声に効果を入れてた音をそのまま生声で唄うとかくらいで、そんな変わりはないと思う。
リリー ハルカリみたいな場合はライブ用にアレンジした、実際のCDと違和感のない音源があるしね。昔の歌番組なんてオーケストラが必ずいたでしょう。それは番組ごとにオーケストラが違うんだけど、その都度、譜面を配って演奏してもらって、歌手が唄ってたの。オケが常に同じわけじゃないから、唄う人も合わせないといけない。
シンコ そうなんですよね、あれ(笑)。「ザ・ベストテン」って生放送だったから、時間が押してると、オーケストラが曲を早くして辻褄合わせるっていう本当のプロがいたらしいですよ。
菊池 すごいですね。 |
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Kraftwerkって器材だけで
6トンとかを持ってきた(シンコ)
RRN 一方で口パク、手パクというのもありますよね。
リリー もちろん。というか、歌番組で生のオーケストラが出るのは日本特有の文化だったみたいでさ、アメリカでもイギリスでも絶対カラオケだったみたいで。俺ショックだったのがアメリカの音楽番組で、Dave Clark Fiveを観たらメンバーが一斉に手を挙げるシーンでもう音が鳴っているの。
一同 爆笑
秋山 日本でもあるよね。アイドルとか。ある時期、コンサートは全部口パクで、あらかじめ全部入れといたやつに合わせてフリだけという。それには理由があってさ、常に同じコンディションではないから、お金を払って観に来ていただいたお客様に、ベストのときのものを聴いていただきたい、ということらしいけど。
リリー 極端なパターンだと、「Kraftwerkが来日したときは人形がステージに立ってた」って週刊誌に書いてあったから。演奏中、メンバー4人は楽屋でポーカーしてたらしいんだけどさ、そうなるともう日本に来た意味がない。
一同 爆笑
シンコ Kraftwerkって器材だけで6トンとか持ってきたんですよね。すごくない?
HALCA すごそう(笑)。
リリー Kraftwerkなんて、あんなドイツの理系のインテリの人たちが「音楽始めました」みたいな感じなのに、日本に来て無茶苦茶セックスしてたみたいで。なんかエロい会社の慰安旅行みたいな気分で来てたみたいよ。 |

Dave Clark Five
1962年にデビューしたイギリスのロックバンド。1964年リリースの「Grad All Over」が大ヒットし、一時はThe Beatlesのライバルと囁かれたことも。

Kraftwerk
1970年結成のドイツのバンド。斬新な電子音響を用いて、活動初期はジャーマン・プログレッシブ・ロックと呼ばれていた。打ち込みのみならず、あらゆる音楽ジャンルに影響を与えた。
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そこのマスターが色々教えてくれるんですけど、
高田渡さんを教えてくれて(菊池)
RRN 最近聴いた音楽で気になってるものはありますか?
菊池 私は……高田渡さんとか。
RRN 最近の音楽じゃない(笑)。
菊池 いや、でも、本当に知らなかったんですよ、それまで。私、あんまりお酒が飲めないんですけど、中目黒に「拓郎」っていう名前の飲み屋さんがあってよく行くんですよ。そこに行くと、マスターが色々教えてくれるんですけど、高田渡さんを教えてくれて。CDを聴いてみたら、曲と曲の間に何喋ってるかわかんないトークが入ってて面白いなって。あえて入れてるのかなんなのか謎なんですけど。
RRN でも、すごい店があるんですね。
リリー HALCALIはやっぱりダンス・ミュージックしか聴かないの?
HALCA いやいや、そんなわけはないですよ。
YUCALI ロックとかも全然普通に聴きますよ。
RRN 音楽を聴いて感傷的になったりとかは?
HALCA HALCALIにも感情はありますから(笑)。それはもちろんです。
リリー 泣きながら踊ったりとか?
YUCALI 泣いてる時はさすがに踊らないですけど。でも、泣きながら踊るって、なんか青春っぽくていいですね。そういうの、やっとけばよかった。
リリー そうだよ。泣きながら踊ったり、泣きながらDJこすったり……。
シンコ でも、DJで自分がかけた曲に、自分で感動して泣いている人がいたのは知ってますけど。
リリー シンコも自分で泣けるくらいのをかけないとダメでしょ。だって、シンコのDJよりももっと前のディスコの時代はDJが喋ったりしてたんだから。「これでノラなきゃウソだよ〜ん!」とか言って。
一同 爆笑
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高田渡
1960年代中盤よりフォーク・シンガーとして活動し、関西フォーク・ムーブメントの中心的存在。シニカルな歌詞や独特のボーカルで現在まで根強い人気を得た。
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いつもニュアンスとかで覚えてるんで、
実際に唄える歌がない(HALCA)
RRN 前半でもチラっと聞きましたけど、カラオケ。菊池さんは意地でも行きませんか?
菊池 意地でも行かないわけではないですけど、行ってもみんなが喜ぶような歌を唄えないんで。。
リリー ナンシー関さんが「私、カラオケは絶対行かない。嫌いだ」って言っててさ。ナンシーさんってなかなか携帯電話すら持たなかった人でさ、新しい文化に簡単に入っていけない人だったの。それで、ナンシーさんはみんながカラオケしてるのをただ聴くだけだったんだけど、朝までそれに付き合って、翌日目が覚めたら太モモにすごい青タンが出来てたんだって。「唄わない」と決めてたから、もう必死に太モモでタンバリンを叩いてらしいんだけど。
一同 爆笑
リリー でも、その青タンを見てナンシーさんは「気持ちのどこかでは唄いたいんだね、私は」って覚ったらしくて。それからは諦めてメチャクチャカラオケ行くようになったらしいよ。それでまた、ナンシーさんは歌もウマかった。
RRN カラオケに行くと、歌詞が画面に流れるから、それまで聴いてた音楽と印象が変わることもありますよね。
菊池 カラオケで改めて歌詞を再確認することは結構ありますね。
RRN 具体的にはどんな曲?
菊池 やっぱりかぐや姫なんですけど。
一同 爆笑
リリー もう君は秋山さんと僕の世代の席に座ったほうがいい。
菊池 中学校のとき、読書感想文的な授業で好きなミュージシャンの曲を挙げて、自分がどういうフレーズを好きなのかっていうのを書く課題が出たんですよ。それで私はある曲を挙げたんです。すごく人がうらやましがるような女房を貰ったのに、男の心には冷たい風が吹いていたみたいな歌詞で、普通に課題の感想文に書いたんですけど、最近カラオケでその歌を唄ったら中学の頃とは違う、男の人の気持ちがちょっとわかったような発見がありましたよ。
RRN ハルカリはカラオケに行くと、「HALCALIの曲を生で唄えー」とか言われない?
YUCALI あんまり言われないかな。
HALCA うん。もともとカラオケが嫌いなわけじゃないけど、そんなには行かないし。私も歌える曲が少ないんですよ。いつもニュアンスとかで覚えてるんで、実際に唄える歌がない。
リリー 俺は六本木のオカマバーでシンコの「今夜はブギーバック」を聴いたことがある。
YUCALI えぇ! かなりレアですね。
リリー シンコの「ブギーバック」と、ピエール瀧の「Shangli-La」。わっ、本物だ!とか思ったんだけど、そういえば唄ってたっけ、お前? みたいな。本物なのに、本物じゃない有り難みがあったけど。 |

「今夜はブギーバック」
1994年にリリースされた小沢健二とスチャダラパーによる楽曲。コラボレーションがまだ新しかった頃で、別々のレコード会社より小沢健二fearturingスチャダラパー、スチャダラパーfearturing小沢健二と2アイテムが同時発売。ちなみにTHE HELLO WORKSの最新アルバム「PAY DAY」では「今夜はブギーバック」のカバーが収録されている。

「Shangli-La」
石野卓球、ピエール瀧によるテクノユニット・電気グルーヴが1997年にリリースしたヒット曲。
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尾崎豊と永ちゃんと
長渕を認めるのは男の子のハードル(リリー)
RRN リリーさんはカラオケで何を唄うんですか?
リリー 俺、永ちゃんとか、尾崎豊。尾崎豊ってCDは聴かないけど、カラオケで唄って、あんなに気持ちいいものはない。
シンコ 意外ですね。そうなんですか。
リリー 歌詞を読むとさ、やっぱりあの人早熟だったんだよね。ようやく俺もそこに追いついた感じでさ。だって、俺今盗んだバイクで走りだいたい感じだもん。今ガラスとか割りたい。
一同 爆笑
リリー 尾崎豊と永ちゃんと長渕を認めるのは男の子のハードル。そこを認めると、あとは男として楽なんだけど、やっぱそこに抵抗するとね。なんかそういうことを否定するということは、熱いとか感情的なものを否定して生きていくということだから。
シンコ でも、長渕って言うと、「順子」とか「GOOD-BYE青春」の頃じゃないですよね。
リリー それはまだ俺らの世代の、髪サラサラ時代の長渕だから。俺が好きなのは角刈りになってからのドロドロした長渕。
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尾崎豊
1983年デビュー。社会や学校や体制に反発する楽曲が多く、若者の代弁者としてカリスマ的存在に。

永ちゃん
矢沢永吉。1972年キャロルのボーカルとしてデビュー。解散後はソロ活動を展開し、スーパー・スターの地位を築く。

長渕
長渕剛。1977年「雨の嵐山」でデビュー。俳優としても映画、ドラマなどで活躍。持論に「アコースティックギターは弾くものではなく、叩くもの」がある。
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負の部分が音楽に昇華されてるのが
「いい曲」だと思うんだけど(リリー)
RRN 色々伺ったんですけど、まとめに入りたいなと思ってまして、すごく漠然としますが、いい曲の定義をお聞かせください。
リリー 本当に漠然としてるけどさ(苦笑)。ただ、その人の趣味の問題だけど、やっぱり自分の中では甘酸っぱい曲なんでしょうね、たぶん。すごいアップビートでも、そのハイテンションのアレンジでもなんでもいいんだけど、唄ってる人が憤ってるとかの負の部分が音楽に昇華されてるのが「いい曲」だと思うんだけど。楽しいことばっかりの歌われてもね。
一同 爆笑
リリー コラムニストが、自分が今日何を喰ったとか、何を買ったっていう話を延々読まされるような気分。ただ、それとは逆に、音楽からそういう負の部分を感じたくない、音楽なんて生活のリズムに弾みをつける程度でいいんだ、っていう人もいるかもしれないし。だから、人によるとしか言いようがないけどね。
一同 爆笑
シンコ そうですね。ただ、僕は「いい曲」と言っても色々あって。シンミリしたいときはシンミリしたいい曲、燃料になるようないい曲もあるし。
菊池 それはよくわかります。私、音楽をパソコンでフォルダごとに分けてるんですけど、そのフォルダに「しみじみ」とか「ぶらり」とかで、音楽を分けてるんですよ。よく聴くのは圧倒的に「しみじみ」ですけどね。電車に乗ったときに聴ける音楽をそこに入れてます。。
YUCALI 歌詞は関係ないんですか?
菊池 いやもちろん関係ありますよ。
YUCALI 私、やっぱりメロディとかノリも大事だけど、歌詞を読んでいい曲だなと思うことのほうが多いんですよ。
HALCA 私はむしろ歌詞は要らない。インストのほうがいいかな。テクノとかもそうですね。この人どうやってこの曲作ったんだろう? みたいな。音楽で何も言ってないから、テーマとかその人の言いたいこととかわかんないですけど、単純に気持ちいいなと。なんか自由に考えられるから、そこが好きなんです。
RRN 秋山さんにとっての「いい曲」は?
秋山 好きな曲がいい曲。それと、なんかこう「帰れる曲」っていうか。「何故、帰るか」っていうと、そこにずーっといるんじゃなくて、また出掛けるためにいったん帰るわけだからね。そういう実家みたいな曲が「いい曲」なんじゃないかな。
リリー よく「無人島に1枚レコードを持っていくなら?」みたいな質問があるけど、決められないよね、そんなもの。そういうので欲張ってる人は「The Beatlesの『White Album』を持っていく」っていう人がいるんだけど、あれは2枚組だから。
一同 爆笑
RRN ありがとうございました。 |
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年末になると、つい振り返るのがその年に聴いた音楽、歌。勇気づけられた曲、切なくなった曲、笑った曲……「いい曲」は数あれど、時代によってその定義も変わっていっているような気がします。今回は世代別に別れた「いい曲」の定義を探るべく、【10代・代表】HALCALI、【20代・代表】菊池亜希子さん、【30代・代表】シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)、【40代・代表】リリー・フランキー、【50代・代表】秋山道男さんの計6人の方にお集りいただき、それぞれの音楽観を語ってもらいました。また、読者の皆さんからお寄せいただいた「心のベストテン」も別途紹介。是非ご覧ください。
取材:松田義人(deco) 写真:木本健太
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【座談会出席者】
【10代・代表】
HALCALI
1987、88年、ともに東京都生まれ。HALCA、YUCALIの2人組ガールズヒップホップユニット。小学校の頃から都内の同じダンススクールに通い、「FEMALE RAPPER オーディション」で、見事グランプリに輝き、O.T.Fの全面プロデュースのもと、デビュー。 |
【20代・代表】
菊池亜希子
1982年、岐阜県生まれ。モデルとして活躍する他、女優としても映画・テレビで多忙な毎日をおくっている。リリーとは映画「ぐるりのこと。」で共演。 |
【30代・代表】
シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)
1970年、神奈川県生まれ。90年、スチャダラパーとしてデビュー。現在はSLY MONGOOSE+スチャダラパーのユニット、THE HELLO WORKSで活躍中。
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【40代・代表】
リリー・フランキー
1963年・福岡県生まれ。作家、イラストレ−ター、エッセイスト、ミュージシャン。
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【50代・代表】
秋山道男
1948年・千葉県生まれ。プロデューサー&クリエイティブディレクター。多領域の仕事群を「魅力づくり」として遂行。俳優としてもNHK大河ドラマ「秀吉」、朝ドラ「天うらら」、ネスカフェCM「うるさい日本人」他に出演。
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歯医者に行くのが怖くて
KANの「愛は勝つ」を聴いてました(YUCALI)
RRN ちょっとリリーさんがまだ来ていませんが(笑)、始めたいと思います。今回は皆さんにとっての「心のベストテン」……つまり「いい曲」に関してお話を伺えればと思いお集りいただきました。まず、世代ごとの代表としてご意見をお聞きしたいのですが。
YUCALI 実は私、ハタチになったばかりなので、10代・代表というわけでもないんですけど(笑)。私の音楽初体験はなんだろう……あ、保育園のときに歯医者に行くのが怖くてKANの「愛は勝つ」を聴いてました。
RRN 歯医者に行って愛は勝ったんですか?
YUCALI 勝ちませんでした(笑)。でも、我慢してたら歯が治ったのでもう歯医者に通わなくて良くなりました。あとは小学生の頃、体が弱くて病気がちだったんですけど、それを克服するためにダンスを始めてMissy Elliottとかを聴き始めたんです。もともとは健康の一環でダンスを始めたんですよ。「オバサンがエアロビやる」みたいな感じで。
RRN 健康的ですね。
秋山 恥ずかしい話ない? 「好きな人に歌をプレゼントしちゃった」とか。
一同 爆笑
HALCA ないですね(笑)。
秋山 そこが面白いよね。どうも僕は今の若い子たちを見ていると、その僕達が思ってるような「甘酸っぱい思い出の横には必ず音楽がある」っていうのとはちょっと違う感じがするんですよ。
RRN 昔は「好きな人に自作セレクトのテープを作ってプレゼントする」とかありましたよね。
シンコ ありましたよね。自分もしてました(笑)。
RRN シンコさんはやっぱりDJですから、そのテープを作るにしてもツナぐところまで気を使いますよね。
シンコ はい(笑)。
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KAN「愛は勝つ」
1990年リリース。200万枚を超える大ヒットとなり、翌年には日本レコード大賞(ポップス・ロック部門)を受賞。

Missy Elliott
アメリカ・ヴァージニア州出身の女性ラッパー。音楽プロデューサー、女優などとしても活躍。
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そうすると周りから
「そんな歌知らないよ」となるんです(菊池)
RRN 一方、20代・代表の菊池さんはそういうテープをもらうほう(笑)。
菊池 いいえ(笑)。私はまず、子供の頃にカラオケが流行ってたんですよ。田舎だったんで、カラオケボックスが田んぼの中にポツンとある箱っていう感じだったんですけど、あれが苦手で。カラオケが苦手だったんですよ、私は。
RRN 唄うのが恥ずかしい?
菊池 いや、そうじゃなくて。カラオケって他人の歌を聴かない雰囲気があるじゃないですか。誰かが唄ってるとき、周りの人は自分が唄いたい歌を探してる。それで唄ってる人は一人で満足してるみたいな空気が馴染めなかったんですよ。あと、カラオケで唄うとモテる歌、モテない歌っていうのもあるじゃないですか。
秋山 つまり菊池さんはみんなからモテたい?
一同 爆笑
菊池 いや、そうじゃなくて。高校くらいになると、クラスの子とかとカラオケに行くと、みんなaikoとかを唄う。でも、aikoも聴く分には好きなんですけど、私自身はアニメソングとかを唄いたいんです。そうすると周りから「そんな歌知らないよ」となるんです。これがちょっと苦手で。
RRN もともと音楽自体に興味がない?
菊池 いや、親が聴いてた音楽がずっとフォークだったんで、興味がないわけじゃないんですけどね。かぐや姫とか吉田拓郎さんとかが体に染み付いてるんです。
秋山 ご両親は今おいくつ?
菊池 52です。父親がフォーク大好きで、自宅に音楽用の部屋を作っちゃう感じです。お父さんが音楽を聴いているとき、部屋に近寄っちゃいけないんですよ。その部屋には髪の毛に栄養を与える装置……美容院にある赤く光るのがあるじゃないですか。あれが部屋に置いてあって、お父さんが音楽を聴いてるときはそれを被ってるんです。だから、部屋の中が真っ赤になっている。
秋山 じゃあ、お父さんったら、真っ赤ンなって泣いているんだ。
菊池 いや、泣いてはないと思いますけど。
秋山 じゃあ、育毛サロン経営のまぼろしを追いかけてる……。
菊池 それもないですね。
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aiko
1998年デビュー。ヒット・シングルは数知れず。ちなみに菊池さんが中学時代にヒットしていたのは「ハチミツ」「あした」など。

かぐや姫
1970年デビュー。南こうせつ、山田パンダ、伊勢正三から成るフォーク・グループ。「神田川」「赤ちょうちん」などはあまりにも有名。

吉田拓郎
かねてからフォーク・シンガーとしての活動をした後、1970年エレックレコードと契約。「結婚しようよ」などはあまりにも有名。
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唄いながら
アハン、アハンとか言ってるんですよ(HALCA)
RRN HALCAさんの音楽体験は?
HALCA YUCALIちゃんもさっき言いましたけど、私もやっぱり音楽自体よりもダンスから入ったんです。でも、小さい頃になんか自分で勝手に歌を作って唄ってたんですよ。お風呂場でシャワーを浴びながら唄ってるビデオがいまだに残ってて。「あぁ、小さい頃から私は音楽が好きだったんだなぁ」って思ってます。唄いながらアハン、アハンとか言ってるんですよ。
RRN ナンなんですか、そのアハン、アハンとは。
HALCA 4歳児が思うセクシーなイメージ(笑)。
シンコ かわいいね。 |
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そういうのを観て「いいなぁ。
俺もやりてぇなぁ」と思うようになったんです(シンコ)
RRN シンコさんの音楽初体験は?
シンコ 最初に買ったレコードは映画「Grease」のシングル。あとはやっぱり「およげ!たいやきくん」とか(笑)。その後、自分の意志で買ったのは「熱中時代」の「ぼくの先生はフィーバー」ですよ。「ザ・ベストテン」をガッチリ観てたから投資みたいな感じがありました。
秋山 投資?
シンコ 「何を買うか」みたいな。「どれがヒットするか」っていうのももちろんあったけど、ヘンなものを買うと友達と共有できない。昔、クリエーションっていうハード・ロックバンドの「ロンリーハート」と、イモ欽トリオの「ハイスクール・ララバイ」と、どっちのレコードを買おうか迷ってたんですけど、僕はクリエーションを買っちゃった。そしたら「ハイスクール・ララバイ」がヒットして、すごい寂しい思いをした記憶がある。
一同 爆笑
HALCA ないですね(笑)。
シンコ 「クリエーションはみんなと共有できねぇなぁ」って(笑)。その後はもう本当に清志郎さんとか日本のインディーズにどんどんのめり込んで行きましたけど。そういうのを観て「いいなぁ。俺もやりてぇなぁ」と思うようになったんです。 |

Grease
1978年のJohn Travolta主演のアメリカ映画。避暑地で知り合った高校生の恋愛を描く。

「ぼくの先生はフィーバー」
1978年に放映された水谷豊主演のドラマ「熱中時代」のテーマソング。平尾昌晃ミュージックスクール出身の原田潤という子供が唄っている。

およげ!たいやきくん
1975年、子門真人が唄って500万枚の大ヒット。あまりにも有名な定番の現代童謡。

クリエーション 「ロンリーハート」
1980年リリース。日本テレビ系の刑事ドラマ「プロハンター」の主題歌として使われた。

イモ欽トリオ 「ハイスクールララバイ」
1981年リリース。「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から派生したユニットの楽曲で150万枚の大ヒットに。ちなみに楽曲はYMOの細野晴臣らによる。
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勇気づけられるというよりも
音楽で気分はどこへでも持っていけてたの(秋山)
RRN でも、皆さんのお話を伺ってると、「音楽に勇気づけられた」みたいな体験はあまりないというか、もう少しカルめに音楽を楽しんでますね。
秋山 いや、この司会進行のオジサンはさ「勇気をゲットしないと生きていけない」っていう男子だからそんな質問をしてるんだろうけど、音楽よりも前に女子はもともと勇気があるんだよ、きっと。
RRN 「音楽に勇気づけられる」っていう発想がもう古い?
秋山 古いっていうか……病気だよね。
一同 爆笑
RRN じゃあ、そういう記憶はいっさいない?
秋山 ないわけじゃないけど、ほら僕の世代は60's後半でしょ。つまりサイケ、アングラ、ポップ。すでにあったロックンロールが熟れてきてニューロックとかアートロックがめばえたり、ジャズも新陳代謝しまくりですごかった。そういう音楽の多様性が出てきた頃だからさ、どこに行っても、生活の中でも、とにかく音楽が鳴ってたんですよ。洋楽もあれば演歌もある。だから、勇気づけられるというよりも音楽で気分はどこへでも持っていけたの。今さ、居酒屋とかそういうところで唄ってる人っていないじゃん。でも、僕らが子供の頃は沢山いたんですよね。居酒屋はだいたい演歌でトランスって感じで、手拍子&これモン(小指を立ててマイクを持つポーズ)で唄ってるの。「これモン」とか言うのも時代だけどね。ところがさ、今の若い子たちはヒップホップならヒップホップって細分化して音楽を聴くでしょ。そこが今と昔の青春の音楽の大きな違いで、面白いところですよ。
RRN でも、個人的にはジャンルにこだわらず色々斬新な音楽を聴ける時代は良かったと思いますけど。
秋山 うん。だから、僕らの世代だとさ、菊池さんのお父さんじゃないけど、青春の頃に受けた衝撃とか貯金みたいなのを今出してきてもさ、楽しめるものが多いんですよ。だから、今回のお題をいただいてさ、難しいのは「ナンバーワンの音楽を選ぶ」っていうのは大変なことだなぁと思ってさ。強いて言えばThe Beatlesとジャズが大きな打撃だったけどね。 |

The Beatles
世界で最も有名なイギリス・リヴァプール出身のロックバンド。1962年デビュー、1970年解散。
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感受性の測りがあったら、
今の子とハッキリと差が出るかもしれない(笑)(秋山)
RRN 音楽にまつわる環境はこの20年で目まぐるしく変わりましたよね。レコードからCDになり、今はi-podですから。
HALCA でも、私が初めて音楽を聴いたときはレコードでしたし。一応ヒップホップなので、レコードに愛着はあります。
秋山 今はi-Pod以外はアルバムがメインでしょ。僕らが音楽を聴き始めた頃はレコードのシングル、ドーナツ盤だよね。それはまさしく、青春の必須アイテムだった。その一方でアルバムならではの力をガツンと見せつけられたのはThe Beetles。曲順の流れのワクワク感、超カッチョいいわけよ、やっぱり。
シンコ ジャズもそうですよね。
秋山 ジャズもブルーノートとかジャケットのデザインもカッチョよくなってきて、ビートニクなノリのLPアルバムにシビれてたね。
RRN 日本の音楽メディアはこの頃から盛んになりましたよね。
秋山 最初はテレビのCM音楽ね。僕らが子供だった頃はまだ街頭テレビがあって、そこでプロレスかなんかをみんなで観て、最後のほうにCMが流れる。その音楽がまた良くてさ、喜びがまずあった。そしてテレビが一家に一台時代になるまで、紅白歌合戦、和製ポップス、グループサウンズ、そのうち青春時代になると、「ベストヒットUSA」とかUKものとかが入ってくるようになって。次から次へとノンジャンルでラジオからもテレビからもステレオやラジカセからも、親のエサならなんでもオッケーなツバメの子みたいに、新しいものならなんでも聴きまくった。それはやっぱり毎週待ち遠しかったよね、強欲なまでに。だから、50代の人に音楽を喋らせると、うるさい。
一同 爆笑
秋山 そのくらい感受性を養っていく時期に、大きな役割を与えてくれたのが音楽だったんですよ。感受性の測りがあったら、今の子とハッキリと差が出るかもしれない(笑)。 |
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お父さんが「それは昔、俺たちが聴いてた音楽だ」
みたいな感じで(菊池)
菊池 私が中学生くらいの時期に、野島伸司さんのドラマがヒットしてて。ドラマの中でCarpentersとかチューリップとかが使われていたんですよ。それで「いいなぁ」と思って聴いてたら、お父さんが「それは昔、俺たちが聴いてた音楽だ」みたいな感じで。ちょっと悔しかったですよ(笑)。
秋山 「なんだ、おさがりかよ」みたいな?
菊池 そうです。
RRN でも、そう考えると、菊池さんは意識せずそういうアコースティックな音楽をチョイスしてたんですね。
菊池 そうです。学校では「どのジャンルが好きなのか」っていうのをハッキリさせておかないと浮くんですよ。ダンス系が好きなのか、何系が好きなのかっていう中で私はCarpentersとかチューリップとかだから、ちょっと違ってたかもしれない。
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Carpenters
Richard CarpenterとKaren Carpenterの兄妹からなるデュオ。1960年代の中盤よりアメリカで活動。

チューリップ
財津和夫を中心に結成。1972年デビュー。フォークでもロックでもないニューミュージックの先がけとして知られている。ヒット曲に「心の旅」などがある。
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結構ハルカリで2人でいると、
懐メロとか唄っちゃうしね(HALCA)
RRN そういう菊池さんみたいな人を「あの人、変わってるよね」って言ってたタイプがハルカリの2人ですよね。
YUCALI 違いますよー(笑)。
HALCA 全然ないですよ、そういうのは。私たちも色んな音楽を聴いてきたし、知らない音楽があったら教えてもらったり、教えてあげたり……。
秋山 教えるって言ったって、さすがにかぐや姫はないだろ。
一同 爆笑
YUCALI はい(笑)。でも、フォークはわからないですけど、親が聴いていた音楽をカラオケで唄う子とかはいましたよ。でもね、意外と私たちの親が聴いていた音楽のほうが耳に残ることが多いんです。最近の曲って結構忘れちゃいますけど、昔の曲のほうが覚えてることが多いんです。
HALCA 結構ハルカリで2人でいると、懐メロとか唄っちゃうしね。
秋山 あなたたちの懐メロって例えば何?
YUCALI なんだろうな……槇原さんの昔の曲とか。
シンコ 懐メロでもない(笑)。関係ないけど、僕、槇原さんと学校が同じで、先輩なんですよ。
秋山 槇原の昔の曲って10年前のものでも、20年くらい昔に感じるところはあるかな。今、ものすごく早いじゃない、回転が。だから、当然古いものがどんどん増えてくる。だから、余計に昔に感じるのかもしれないね。 |

槇原敬之
1990年デビュー。1991年にリリースしたシングル「どんなときも。」の大ヒットの他、各アルバムの総売上も1,000万枚を超えるなど、日本では3本の指に入る男性シンガーソングライター。
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今は「とにかく踊るぞ」
みたいなことが念頭にある(シンコ)
RRN 音楽技術的な面での移り変わり……例えば、アコースティックからエレキになり、打ち込みになっていった経緯は秋山さん、シンコさんが一番詳しいですかね。
秋山 打ち込み以前/以降っていうのは、全く違うと思うんだよね。僕らの頃はまったく打ち込みの曲なんてなかったから、どこか手の跡というかヒューマンタッチ。The Beatlesですらオーガニックですからね。これは今の子たちと大きな差だろうね。僕らは人間が手でやる、人間の臭みが残ってしまってる音楽で育ってきてるから、どうしてもホットな性分になるんだよ。だから、ちょっとウザかったり暑苦しかったりして、「オヤジは嫌われる」みたいになる。
一同 爆笑
シンコ でも、最近のことで言うとさ、90年代後半にヒップホップがガンガンきてさ、R&Bにしても甘く歌い上げるものが少なくなってきた。だいたい踊るじゃないですか、みんな。男の人だとまた違うけど、女の人だったらほとんど肌出しでさ。今は「とにかく踊るぞ」みたいなことが念頭にある。それはベースの音がメチャクチャ低くなったからだと思うんですよ。低いベースの音ってすごく体にくるじゃない? 体がまず受け止めてるから踊りたくなるんじゃないかな。
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ライブ会場とかだと
特に低音が響くから無性に踊りたくなるんです(YUCALI)
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YUCALI それはあるかもしれない。重低音が鳴ってると、おーってなるもん。ライブ会場とかだと特に低音が響くから無性に踊りたくなるんです。
シンコ なるよね。これはそれまでの音楽と大きな違いだと思うんだよな。それでまたみんなセクシーな格好をしているのにエロくない。あれはなんでしょうね。
秋山 ということは今の音楽は「体系」ってことか。
シンコ そうですね。オーディオとか再生装置の影響もあると思うけど。
秋山 僕らの頃はトランジスタラジオを抱きながら、ゆるやかに踊ってたけどね。
一同 爆笑 |
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というわけで、前半にはリリーが来ませんでしたが、後半でいよいよ登場。引き続きお楽しみください。
(後半は12月12日アップ予定です)
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ここでは読者の皆様からお寄せいただいた「心のベストテン第1位」を紹介します(応募くださった方ありがとうございました)。それぞれのエピソードと世代が興味深く、また「いい曲」の定義もやはり人それぞれであることが伝わってきます。
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曲名 |
アーティスト |
エピソード |
ペンネーム |
| 最後の言い訳 |
徳永英明 |
6年越しで交際した彼女にコテンパンにフラれた際に、部屋で一人号泣しながら聴いたトラウマ・ソングです。 |
ジントニック・27歳・男 |
| 真夜中のギター |
千賀かほる |
nycでベロンベロンで帰った夜、家の鍵を忘れて誰にも電話出来なかった私……。エアーギター弾きながら家の前で泣いた。ちなみにニティングファクトリー(エアーコンテスト会場)の上に住んでました。 |
リリードンキー*・30歳・女 |
| ラブホテル |
下田逸郎 |
風営法が変わる前には回るベッドという世界遺産があったことを知りました。 |
しけった柿の種・41歳・女 |
| 未来予想図? |
Dreams Come True |
友達が彼に裏切られその時のBGMとしてかけたら大泣きされた。 |
yamariko・30歳・女 |
| タッチ |
岩崎広美 |
将来有望でカッコよく、自分のことが大好きな双子の幼なじみがいる気になっていた。 |
浅はか南・30歳・女 |
| Only Holy Story |
Steady&Co. |
クリスマス・イヴに一人でエンドレスで聞いてたら、朝方、気が狂いそうになった。 |
学生・24歳・男 |
| やぁ、調子はどうだい? |
TOKYO No.1 SOUL SET |
曲を初めて聴いたときから歌詞のイメージを持っていて、今思うと全くその通りに生きてきた気がする。「そんな君はけして若くはない」からよけいに心に染みる。 |
魔離呼・33歳・女 |
| Deep Breath |
ribbon |
高校時代に友達とパート分けして練習してカラオケで歌い上げてました。佐藤愛子が好きでした。 |
リッツ・32歳・女 |
| アジアの純真 |
PUFFY |
当時の彼氏の影響で2サイズでかいジーンズを履いていました。 |
冬でもTシャツ・31歳・女 |
| 東京紅葉 |
野狐禅 |
無職時代、ヘル嬢と入ったラブホの有線で流れ、プレイを中断して問い合わせ。 |
チーポン・27歳・男 |
| Driver's High |
L'Arc-en-Ciel |
アメリカに旅行した際、この曲を聴きながら車をかっ飛ばしました。 |
あっぷる・24歳・男 |
| 空も飛べるはず |
TR2メンバー (SPITZ) |
伝説のラジオ番組「TR2」の最終回で、リリーさん、メメタン、ゾノネムさん他、沢山の方たちで大合唱した曲。私も泣きながら歌いました。深夜の6畳一間。すっごく楽しそうな歌声が最後に途切れてしまい、ホントにもう終わりなんだ……って悲しくなりました。忘れられません。 |
るか。・37歳・女 |
| たとえば僕が死んだら |
eastern youth (森田童子) |
嫁の目の前でうんこもらした。@家のトイレ |
そっと忘れて欲しい・32歳・男 |
| 15の夜 |
尾崎豊 |
学生時代、皆が絶叫していた頃にはなにも感じなかったが、寒さに負けて盗んだ元彼の自転車で走り出した35の夜からNo.1ソングになりました。 |
後日返した・37歳・女 |
| 私がオバさんになっても |
森高千里 |
西の横綱が「HONKY TONK WOMEN」で、東の横綱がこれ。悩んだり、疲れたときに帰る場所。 |
アフロ・39歳・男 |
| BABYBABY |
GOING STEADY/銀杏BOYZ |
中学2年生のときに初めてゴイステを聴いた。革命だった。この曲を聞くとそのときに好きだった男の子を思い出す。 |
さー・20歳・女 |
| MajiでKoiする5秒前 |
広末涼子 |
あれはそう、高校の休み時間の出来事。男子のグループ、女子のグループと分かれて、みんなワイワイ騒いでいるいつもの光景。女子のグループから、「ずっとまえからぁすぅきだぁったぁ~♪ かれぇ~のことぉだれ~よりもぉぉぉぉぉ♪」」と、可愛らしい猫撫で声が聞こえた。ヘアブラシをマイク代わりに、PVの広末涼子髪型まで真似して歌う一人の女子と、それを見て笑い転げる周りの女子たち。歌っている女子は、今まで気にも留めなかったMさん。楽しそうに歌いながら笑っているMさんをボーっと見てると目が合ってしまったので、慌てて剃らしたが、それからしばらくずっとMさんのことが気になってしまいました。テレビやラジオからこの曲が聴こえてくるたびに、Mさんの歌っている楽しそうな笑顔が脳裏をよぎり、知らない間に一曲丸々覚えてしまいました。通学途中に、「ずっとまえからぁ~」と声変わりした野太い声でボソボソと口ずさんだりしてみたり……。僕にとって淡いそして青い思い出の1曲です。
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農協は漁業組合じゃない!!!・29歳・男 |
| ガッツだぜ!! |
ウルフルズ |
女はかわいく厳しくね! の意味を大きく履き違えて散った初恋の思い出。 |
スイートレモン・24歳・女 |
| 卒業 |
ガガガSP |
もうハマッていた風俗嬢には会わないと決心した時。 |
回転休業・34歳・男 |
| 皆殺しのトランペット |
BLANKEY JET CITY |
合唱会で、「お前は口パクでいいから」って言われた。 |
俺の声は人を殺せる・22歳・男 |
| 孤独のランナウェイ |
B'z |
22歳の時家出した。家を出た瞬間に聴いてた曲。 |
2年で強制送還・37歳・女 |
| 今夜はブギーバック |
スチャダラパー |
高校生の時、文化祭のカラオケ大会でみんなで熱唱しました。思い出の曲です。 |
山岡士郎・27歳・男 |
| Unchained Melody |
Righteous Brothersy |
今の旦那と出会った頃によく聴いていた曲です。今でもふとした瞬間に口ずさんでしまいます。 |
栗田ゆう子・54歳・女 |
| 夏の終わりのハーモニー |
安全地帯 |
職場の忘年会のカラオケで大ウケした曲です。それ以来、車でエンドレスで流しながら、さらに鍛錬をしています。 |
海原雄山・56歳・男 |
| コーヒーミルク・クレイジー |
フリッパーズ・ギター |
中学生の時、家庭教師のちょっとカッコイイめのお兄さんに教えてもらった曲です。洋楽に興味を持つきっかけになりました。 |
今はすごく太っててまるで別人・33歳・女 |
| God Only Knows |
The Beach Boys |
昔の彼氏がビーチボーイズマニアで、「夏」「海」「サーフィン」ではないビーチボーイズの魅力について懇々と洗脳されました。自伝も読まされました。ちなみに兄はビートルズマニアだそうです。 |
キノッピー・35歳・女 |
| 僕たちの失敗 |
森田童子 |
ドラマに影響されて、本当に教え子に手を出してしまった……。 |
教師失格・41歳・男 |
| 恋をした夜は |
江口洋介 |
とにかく毎日、頭にバンダナを巻いていた気がする。 |
渋谷っ子・32歳・男 |
| ドリームラッシュ |
宮沢りえ |
宮沢りえのおかげでサンタフェという地名を知った。 |
写真集は2冊買い・29歳・男 |
| Take me to the sunshine |
スティング |
シーガイアでバイトをしていました。 |
どっとコム・32歳・男 |
| 白い雲のように |
猿岩石 |
ヒッチハイクで栃木県まで行きました。 |
子供好き・29歳・男 |
| can't un do this!! |
MAXIMIZOR |
扇子を振り過ぎて、腱鞘炎になった……。 |
荒木師匠の弟子・38歳・女 |
| 夏の日の1993 |
class |
ナタ・デ・ココを思い切りノドに詰まらせた……。 |
自称未亡人・30歳・男 |
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オリジナル・ラヴの田島貴男が自らの音楽ヒストリーについて語る、その「後編」は、「standard of 90's」としてリリースされた6作品の直後から現在に至るまでの道のりである。肉体的なグルーヴを極めたあと、マシーン・ミュージックに接近するなど、常に未知なる音を求めて変遷を繰り返してきた田島貴男の音楽哲学はどこにあったのか? 気になる次回作の展望も含めて、2007年末現在の彼の胸のうちを語ってもらった。
対話_宮本英夫 撮影_ロックンロールニュース編集部
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『風の歌を聴け』『Desire』『ビッグクランチ』は、
僕の作った中でマッドなアルバム。
ポピュラー・ミュージックがここで終わるのか、
もう一回新しいものが出てくるのか。
それが今すごく楽しみですね。
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——そして前作『東京飛行』が出てからそろそろ1年になりますが、次回作というのは……?
田島 全然違うものを作ってるんですよ、今。曲はだいたいできてて、歌詞を今書いてるんですけど、『東京飛行』とは全然違いますね。次のやつは。
——何かヒントかキーワードをもらえます?
田島 何だろうなぁ? キーワードは、自分でも今探してる最中で、歌詞も違うものができてきてて。何か、ポップ・アートみたいな感じですね。ポップ・アート・シンガーソングライター・アルバムみたいな感じです。これからちゃんとレコーディングして、ミックスダウンするまではわかんないんだけども。今音楽の現場はものすごい変化してる時期なんですよ。以前までは、たとえばサンプラーやターンテーブルが新しい楽器だったけど、今はソフトウェアが新しい楽器なんですね。ノートブック・コンピューター1台で、プロがスタジオで録ったサウンドがほぼ再現できることに、今年ぐらいからなってきたんですよ。スティーヴ・アルビニが録ったドラムの音のソフトウェアがあったりとかさ、そういうものを使って曲が作れちゃうんですよね。しかも、すっごい安いんですよ。3〜4万円ですから、一個のソフトが。だから、今のアマチュアがうらやましくてしょうがない。僕が15年ぐらい前にやってたデモテープ作りって何だったの?と思うくらい、サウンドのクオリティがすごく上がってる。そのソフトウェアのサンプルを録ってるドラムやサックス・プレイヤーが海外のけっこう一流のプレイヤーだから、楽器の鳴りもいいんですよね。そういう音が入ってるから、そういうデモが出来上がってきてるんだけど。だから今、ミュージシャン関係とか音楽制作の人間と話すと、“あれ聴いた? あのソフト”っていう、そんな感じなの。
——CDじゃないんですか。
田島 CDはね、みんな聴いてない。ハッハッハッハッ(笑)。ソフトの音源を聴いてる。“あれ聴いた? マジかよあれ”とか言ってるんだけど、CDは“あぁ、あれ、まぁまぁ良かったね”っていう感じ(笑)。ソフトはね、すごいいろんなものが出てきて、これから音楽はどうなっていくのかな。それを使い倒す奴も出てくるだろうし。今、そういう感じのサウンドのアルバムを作ってますね。それを元に、次回のアルバムの方向性がこれからどう変わっていくのかわからないけど、そのまま行くのか、生の音を入れるのか。でみまぁ、すごいポップですね。…ポップスって言うのかなぁ? 僕が言うポップスっていうのは、Jポップとは違うんだよね。なんか変なものになっちゃう、どうしても。去年から今年にかけて、曲のアイディアがすごいいっぱい出てきちゃって、これもできるあれもできるってさ、“ちょっとロイホで曲作ってみようか? おぉ、できた!”とかさ。面白いんですよ。朝起きてから、気がついたら次の朝の5時くらいまでずーっとソフトをいじってたりとかさ。そういう感じなんですよね。音作りの現場では今そういうことが起こってるから、どういう音になるのか、他の新しい奴もどういう音を作り始めてるのか?って思うんだけど。音楽を発表する場も、どんどん変わってきてるからね。こないだレディオヘッドがネット上でダウンロード販売したニューアルバムは買い手の言い値で買えるものだし、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーもそうするんじゃないか?とかさ。メジャーをやめて全部自分でやるかもしれない、とか言ってるしね。曲を作ってそれがお金になるということ自体が変わってきちゃうというかさ。コンピューターのインターフェースもいろいろ変わってきていて、ソフトをマウスで動かすんじゃなくて、楽器のように操るインターフェースがいっぱい出てきてるの。やっと、コンピューターソフト音源が楽器になり得るかもしれないというさ、楽器的な要素が出てきた。まぁそういうことをやったりしながら、曲を書いてますけど。ここでもう一回新しい音楽ができてくるのか、もしくは終わっちゃうのか、っていう感じがするんですよね、今。ポピュラー・ミュージックとかロック・ミュージックがここで終わるのか、もう一回新しいものが出てくるのか。それが今すごく楽しみですね。でもそういうことを一方で考えながら、一方ではまったく気にせずに、せっせと曲を作ってます。せっせと“いい曲”というものを、なにも考えずに作りたいなと思ってます
——とても楽しみにしてます。
田島 これからは、生楽器に行く人とコンピューターで作る人と、バックリ分かれちゃうんじゃないかな。両方できる奴はもっとすごいと思うけど。僕も、コンピューターの画面の中に住んでるような時もあるんだけど、その反動として、今トランペットを練習してるんだけど、やっぱり生楽器って最高! って思うんだよね。その両方を行ってるなっていう感じですね。
——そういうお話を聞いたあとに、今回再発された初期の作品を聴くのも、また面白い体験だと思いますね。
田島 僕にとっては今さらという感じなんだけどさ。自分の昔の作品は他人みたいな感じがするというか、僕にとっての自分というのは、現在のこの自分だからさ。でもこれをみんな聴いてくれるとうれしいですよ、ほんと。『風の歌を聴け』を聴いてほしいね、僕としては。これ、オリコン1位になってるしね、いちおう。いろんな参加ミュージシャン達の“やったるぞ!”っていう意気込みがさ、僕のギターだけじゃなくていろんな楽器のエモーションで出てるアルバムなんですよね。こういうのがヒット・チャートに上がっていたというのは、うれしいじゃないですか。参加ミュージシャンのみんなが汗をびっしょりかいてプレイして、それがレコーディングされたアルバムなので、すごく音楽的なアルバムだと思うな。今回は『風の歌を聴け』が一押しですね、僕は。ハッハッハッハッ(笑)。
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『東京 飛行』
(06年リリース)
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ORIGINAL LOVE オフィシャルサイト
http://www.originallove.com/
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スチャダラパーとSLY MONGOOSEとロボ宙が合体し結成されたTHE HELLO WORKS。お互いに交流は深かったとはいえ、かたやヒップホップ、かたやインストゥルメンタルを基調としたバンドがどう化学反応を起こすのかが楽しみでしたが、意外にも音楽通だけが喜びそうなシブさはなく、ジャンルを超えたポップ・アルバム「PAYDAY」に仕上がりました。BOSEいわく「ヒネりを抑えたほうが面白い」とのことで、ライブでも何も考えずに盛り上がれることウケアイです。今回はリリースを目前にして、BOSE(MC)× 笹沼位吉(Bass)に出会い・THE HELLO WORKSの結成秘話・「PAYDAY」の内容までのイロイロを聞きました。
取材:松田義人(deco) 写真:ロックンロール編集部
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僕らって六本木とかで遊ぶような感じでもないし、
渋谷にもそういうクラブはなかったから(BOSE)
RRN まず、笹沼さんとBOSEさんとの出会いはナンだったのですか?
BOSE ハナちゃんと僕らはね、90年代のアタマに下北沢の「ZOO」っていうクラブで知り合ったのが最初。川辺ヒロシ(Tokyo No.1 Soulset)とかその辺を介して友達になって。当時、ハナちゃんはCOOLSPOONっていう前のバンドをやってた。
笹沼 その「ZOO」でCOOLSPOONが毎月イベントをやってたんですよ。
RRN 「ZOO」っていまだに伝説のクラブと言われていますよね。どんなクラブだったんですか?
BOSE もともとは「下北ナイトクラブ」。そのあと「ZOO」になって、その後「スリッツ」っていう名前に変わっていったんですけどね。そこの店長の山下さんっていう人が僕らみたいな音楽シーンの中でもちょっとハズれてるような若い人らに、「なんでもイベントやっていいよ」って自由に使わせてくれるようなところだった。
笹沼 当時、あそこまで特化したクラブって他になかったんですよ。
BOSE ヒップホップだけじゃないしね。山下さんの好みが、僕らみたいなムードの人たちと合ってたんですよね。小山田君とかのTrattoriaの前みたいなのとか、川辺ヒロシとかもやってたし。
笹沼 あと、キミドリも。
BOSE そうそう。キミドリね。で、僕らとかは「LB祭り」をやってたりとか。僕らって六本木とかで遊ぶような感じでもないし、渋谷にもそういうクラブはなかったから。
笹沼 あそこに集結してた感じだね。
BOSE うん。ちょっとサブカル寄りな人たちが(笑)。だから、普通のクラブっぽくはなかったんですよね。「ZOO」の常連はちょっと特殊みたいな感じ(笑)。
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いつこっちに火の粉が降り掛かってくるか、
みたいなさ(笹沼)
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RRN そういう変わったクラブでもお客さんは入ってたんですか?
笹沼 200人も入ったら「ギュウギュウ」って感じだったけどね。
BOSE その「ZOO」でCOOLSPOONが毎月イベントをやってたんですよ。
笹沼 当時、他じゃ聞けない音が聞けた。曜日によってはルーツ・レゲエやアフリカの音楽ばかりとかね。あと、マッドな雰囲気があったよね。
BOSE バイオレンス的な(笑)。
笹沼 いつこっちに火の粉が降り掛かってくるか、みたいなさ。
RRN じゃあ、「ZOO」じゃなかったらそんなに仲良くはならなかった?
笹沼 それはわからないけど。
BOSE そこに集まる「面白さ」をわかる友達ですね。
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そういう微妙なことって、
一生伝わらないこともあると思うんですよ(BOSE)
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RRN そこからミュージシャンとして笹沼さんとスチャダラパーがカラんだのは?
BOSE シンコが脱線3のアルバムをプロデュースしたときに、ハナちゃんにベースを弾いてもらったり、僕らもライブでベースを弾いてもらったりするようになって。それが最初かな。僕らはね、普段ドラムマシーンとかでしか音楽を作ったことがないから、普通のミュージシャンとは全然違うんですよ。だから、普通のミュージシャンに頼むのはちょっと申し訳ないみたいな(笑)。「こういうのやってください」って言って「え!?」みたいに言われたらイヤだし。でも、ハナちゃんは聴いてる音楽も幅広くて、もちろんヒップホップも聴いてるから「こういう感じにして」って言うと、すぐわかってくれるからやりやすかった。
笹沼 たぶんミュージシャンとしてのこだわりみたいな部分が希薄なんですよ。音楽をやる手段としてベースを弾いてるって感じ。スタジオ・ミュージシャンみたいにトータルバランスが備わってない。
BOSE でも、ヒップホップってスカスカな音楽だから。ベースが普通にズーズーって鳴ってると、ラップが乗りにくいんですよ。だから、そのベースをヌッキヌキでやってくれるのがハナちゃん。面白いな、この人って思った。
RRN 逆にSLY MONGOOSEのレコーディングにスチャが入ったときはどんな感じだったんですか?
BOSE それも同じでさ、ラップが入ることを想定した感じのトラックだったから、僕らはやりやすかったんだよ。普通のバンドが「ラップやってくださいよ」って来たらこんな感じにはきっとなってないだろう、っていう。
笹沼 この曲はもともとスチャに頼みたかったし。もし断られてたらたぶんあの曲はやらなかったから。
BOSE 微妙に伝えにくいことがお互い伝わるというかね。上手なミュージシャンはいっぱいいるけど、そういう微妙なことって、一生伝わらないこともあると思うんですよ。そこがわかる。
笹沼 でも、プレイヤーとしてはもっとうまくなりたいんですけどね(笑)。
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「俺たちも同じようなもの」
っていう自分たちなりの結論でね。(笹沼)
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RRN そして、THE HELLO WORKSの結成へ。
BOSE 「こんなオッサンがみんな揃ってやってヤバすぎない?」みたいな(笑)。そこでバンド名を考えているうちに、THE HELLO WORKSっていうタイトルが思い浮かんで。最初は「厳しいバンド名だな」「ツラいんじゃない?」っていう意見もあったんだけど、でもキャッチーな感じもしてきて面白いなって決まっちゃった。
笹沼 色々デリケートにとらえる人もいるんじゃないかとか悩んだりもしたんだけど。「俺たちも同じようなもの」っていう自分たちなりの結論でね。
BOSE うん。オッサンが「でもやるんだよ」的な感じが出るといいなーとか
RRN 「PAYDAY」に収録されている「プロジェクトX」のパロディ、「プロジェクトHELLO」そのものの世界観。
BOSE なんかそういう劇的ななんか「ひどい」みたいな感じの曲があったら面白いな〜みたいなね。哀しすぎてこう、「何の救いもない」みたいな。それで「プロジェクトX」を借りてきて「とにかく・お金が・ない……」とか冗談で言ってたらみんなが面白がってきて。「これは本人にナレーションを入れてもらったほうがいいな」っていう(笑)。
RRN 「プロジェクトHELLO」のエピソードはだいたい本当ですか?
BOSE まあ基本的にはウソはないけど、ロボ宙はべつにロボットではないしね(笑)。
笹沼 でも、僕のところは本当。たぶんこれ聴かせたらうちの家族全然笑わないと思うよ(笑)。食卓しんみりしちゃう。 |
同じメンバーで長くやってると
「煮詰まった状態がデフォルト」みたいになってくる(BOSE)
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RRN そうやって仲の良い友達同士から始まったとはいえ10人ともなると、意見をまとめるのはもちろん、レコーディングしていくのだって単純に10通りの音をカブせていくわけですから大変だった面もあったんじゃないですか?
BOSE でもね、僕らは特にそうだけど、バンドで曲を作るなんてやったことがなかったから、それがいちいち新鮮でした。普通に初心者っていうか初歩的な面白がり方で。ずーっと新鮮だったですけどね。
笹沼 でも大変だったんじゃないかな。バンドだとドラムのマイクセッティングから始まるんだけど、そこから付き合わなくちゃなんないしね。
BOSE そういう単純なことがすごく感動的だったりとかして。いつもだったらおやつを食べながら「どうする?」みたいな感じで動きがないから(笑)。
笹沼 あと、この歳でイチから新しい事を始めるのって、ものすごくエネルギーがいることってわかってるから当初心配は確かにあった。6人でも大変なのに「おっさん10人か」って(笑)。でもふたを開けてみたら終始楽しかった。
BOSE 新しい曲を作るにしても、同じメンバーで長くやってると「煮詰まった状態がデフォルト」みたいになってくる。「じゃあ、何する?」みたいな段階から始まるのが普通なんだけど、一切何もなく「何をやってもいい」って感じだからね。それが良かったんじゃない?
笹沼 うん。形式やセオリーを壊すとか大仰なことじゃないんだけど、ここで順当にギター・ソロ的なものとか、そういうことに辟易している部分もあるんですよ。でもスチャはバンドでやるのが初めてだからそういうのをおもしろがったりするんだよね。
BOSE たぶんさ、SLY MONGOOSEだけで普通に演奏してて「はい、素敵なギターソロが始まりました」っていうのはやっぱ恥ずかしいんだよね。恥ずかしいんだけど、僕らはさ「はい、ギター!」とかやるでしょ。そうすると、テケテケテケテケ……これだけで全然面白いの。
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ライブで肉付けされていったものを
ベースにして出来た感じ。(笹沼)
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RRN ラップはどうですか?
BOSE ラップも同じですね。今回は特にシンプルにストレートなわかりやすいことを言ったほうが面白いなっていうのはあったね。スチャでやってると、2ヒネりくらいしちゃうところを、ヒネるまえに言っちゃおうみたいな。
笹沼 そうかもね。割とストレート。
BOSE つい、ヒネりがちな人たちが集まってるから。がんばってヒネらないように、ヒネらないように。でも、やっぱヒネっちゃってるんだけど。まあいつもよりはね。
RRN でも、そのことでポップな音楽に仕上がってて、聴く人が限定されないものになってると思ったんですけど。
BOSE そうだよね。出来上がってみると、本当にそう思う。
RRN ジャンルにも括れない新しい感じもするし。
BOSE うん。「まったく聞いたことねえな」って感じのものにはなってる。別にヒップホップバンドって感じでもない。じゃあ、ロックバンドにこれできるかっていったら出来ないし。だから、結果的には良かったんじゃないかと思ってますよ。
RRN 「どんな環境で聴いて欲しい」とかはありますか?
笹沼 まぁ「ご自由に」って感じですけどね(笑)。
BOSE 僕だったら車とかで乗って聴いてると、割とテンション上がりますよ。じっくり家で聴くよりはなんか動きながら聴いたほうがいい気はする。「プロジェクトHELLO」とかにしても、246で渋滞している途中で聴くと、あまりにヒド過ぎて笑えるかもしれない(笑)。
RRN ライブでどうなるのかも楽しみですね。
BOSE 楽しみだね。でも、今年はずーっとTHE HELLO WORKSのライブをやってたんですけど、「PAYDAY」はライブをしながら作っていったところもあって。
笹沼 うん。ライブで肉付けされていったものをベースにして出来た感じ。プリプロの時点で30〜40曲くらいあったんだけど、結果的にライブでやってた曲が収録された。ライブを意識しないで、作品のことをだけを考えてたらもっと違うアルバムになってたと思うけど。
BOSE うん。もう、これでライブを盛り上げられなきゃウソだろ〜って感じ(笑)。もう全然大丈夫です。
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よくわかるTHE HELLO WORKS BOSE×笹沼位吉のメンバー所見
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松田浩二
Keybords
(THE HELLO WORKS,SLY MONGOOSE)
1969.11.20生
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BOSE ハナちゃん以外のメンバーは、塚本君をちょっと知ってたくらいでTHE HELLO WORKSでやっと知り合ったって感じだったんですよ。そこから徐々にみんなをいじるようになったんだけど、いじってて一番面白いのは松田さんだね(笑)。松田さんはいじりがいがある。
笹沼 本当に真面目な人だから。
BOSE 年下でも敬語だもん。
笹沼 彼はAB型だから実は二面性があって、外とは対極に家では嫁にDVとかだったら嫌だなとか思ってたんだけど、やっぱり嫁にも敬語だった(笑)。
BOSE でも、実はやっぱり異常なものを持ってそうな……おとなしく「このフレーズでいいですか?」って弾いてるんだけど、心の中では何を思ってるかわかんねぇっていう。裏で爆弾作っているタイプ。
笹沼 スタジオの便所の壁をパンチしてるかもしれない(笑)。
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塚本功
Guitar
(THE HELLO WORKS,SLY MONGOOSE)
1970.5.21生 |
BOSE 塚本君はTHE HELLO WORKSの中では音楽的に一番プロっぽいというかね。音楽的なことを聞くと、なんでも返ってくる。
笹沼 エフェクターいっさい使わないんだよね。
BOSE そうそう。塚本君にさ、「ちょっとワウとか入ったギターとか出来ますか」って聞いたら「あ、俺ギターこれしか持ってないんで」って。え、これしかもってないの? そうなんだー! みたいな。でも、それが逆に「凄みある」みたいな。エフェクターみたいな音の小細工ナシ。ディレイ的なことまで人力でやっちゃう。
笹沼 そうそう。それって一番アラとかも出ちゃうんだけど、彼はテクニックがあるから。
BOSE 職人だね。でも、ものすごく毒舌。すごいピシャリと「ダメでしょ」みたいなことを言う人(笑)。
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武村国蔵
Drums
(THE HELLO WORKS,SLY MONGOOSE)
1966.9.23生 |
BOSE 武村さんはね……一番ダメな人間(笑)。
笹沼 そうだね。
BOSE 人間的な弱さ、メンタルの弱さのある人。それでいて、あのルックス(笑)。
笹沼 酒を飲ませないと本音を言ってくれない。でも、バンドの中では一番優しい人間かも。
BOSE そう。普段はおとなしいのに酒が入ると「この野郎〜」みたいになってきて、一番ウザい(笑)。
一同 爆笑
笹沼 彼に関しては以上ですね(笑)。
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富村唯
Percussion&Drums
(THE HELLO WORKS,SLY MONGOOSE)
1967.7.10生 |
BOSE そして富村さんね。THE HELLO WORKSの中では富村さんが一番バカっていうか……。
一同 爆笑
笹沼 どんな状況でもマイペースっていうのあるよね。THE HELLO WORKSで写真とかを撮ってる時も、誰も頼んでないのに一人だけおもしろいポーズしてたりする。
BOSE みんな真顔で写ってるのに、富村さんを見たら……(笑)。「なんでこんなノリになってんの?」みたいな。みんなとテンションが絶対に違う。
笹沼 全体のムードを感じてくれないんだよね(笑)。
BOSE 「沖縄生まれ、沖縄育ち」特有の明るさ。富村さんのそういうところに救われるところがあるよね。ライブとかでも心強い。
笹沼 どんなハプニングがあっても笑顔だからね。
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KUNI
Trumpet
(THE HELLO WORKS,SLY MONGOOSE)
1970.3.23生 |
BOSE KUNIさんはちゃんと学校で音楽を学んだ人。お父さんも当時のディスコのハコバンで、すごいアフロでファンキーな音楽をやってたらしい。だから、音楽的素養がもともとすごくて、THE HELLO WORKSの中で理論的レベルが高い。それでいて、人間的にはハッピーでお酒を飲むと一番明るくて。いつまででもずっと飲める感じ。
笹沼 でも、それでいて割と形式とか礼儀とか、そういうことを一番重んじてる人かもね。「僕こういうの本当に許せないんですけど」的なことをよく言うもんね。
BOSE うん。ちゃんとしてる。なんかその全部を含めて「育ちがいいな」って感じするよね。
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ANI
MC
(THE HELLO WORKS,スチャダラパー)
1967.7.18生 |
BOSE ANIはみんなが思ってる通り、あるいはみんなが思ってる以上の人。例えば、スタジオでみんなが本気で悩んでるときに「ガーッ」って寝てるみたいな。
一同 爆笑
笹沼 腕組んでハナちょうちんね。
BOSE リハスタでみんなでiPodを持ち寄って「この曲どう?」って聴かせ合ってるとき、ANIも自分のiPodをずっと見てるから「探してくれてるのかな」と思ったら、トランプのゲームをやってる。ずーっと2時間くらい。
笹沼 みんなの夢ですよ。「ANI君になりたい」っていうのは(笑)。
BOSE それでいて、最後の最後は「オレのラップが出来たから大丈夫」みたいな態度(笑)。だから、一番先生っぽい人というか。一番最後に目を描いて完成みたいな。人生においてそういう感じ。もう40ですからね、あの人がね。奇跡ともいえる。
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SHINCO
DJ
(THE HELLO WORKS,スチャダラパー)
1970.6.9生 |
BOSE SHINCOはTHE HELLO WORKSに関して言えば最終的な音のジャッジをする人。だから、音楽的な決断はハナちゃんとSHINCOが決めていった。ビジョンが常に何かあって、みんなが思ってる先のことを考えてる人。「普通に出来上がってきた」ってときに、とんでもない変な音を入れてきたりして。「ブチ壊したい!」みたいなのがあるんだよね。音楽として破綻しちゃうまでのギリギリのところを、とにかく常に考えてる。
笹沼 聴感上、気にならなければOKみたいなね。その微妙なズレだったりがおもしろかったりするんだよね。本当に感覚の人。
BOSE だからまあ人生としてはメチャクチャなんだろうけどね(笑)。リリー・フランキー、石野卓球、SHINCOっていう感じ。
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ロボ宙
MC
(THE HELLO WORKS,ロボ宙)
1967.12.14生 |
BOSE THE HELLO WORKSで改めて気付いたことは、「この人すごい特殊だな」っていうか。ビジョンが見えてるわけじゃなくて、「気付いたら楽しくなってた」「気付いたら楽しくなくなってた」みたいな(笑)。ライブでも、ロボ宙に決まりごとを求めると、だんだん堅くなってきて萎縮して思うように出来なくなる。でも、すごいハプニングがあったり自由な環境だと、すごい楽しそうだし、良くなるんだよね。
笹沼 飄々として見える人。自分から率先して何かを説明するようなことはまずしないというか。
BOSE 考えてああなったのか、無意識でああなったのかは謎なんですけどね。考えてなさそうで実は色んな本を読んでたりして。でも、「何読んでるの?」って聞くと作家名を全然間違えてたりとか(笑)。あと、博多のフェスがあったときにさ、バックステージパスっていう出演者が首からブラ下げるやつがあるでしょ。そのときのバックステージパスがさ、エコみたいな感じで皮みたいなヒモにプレートと木の葉っぱみたいなのが付いてるかわいいやつだったんですよ。それで、ライブが終わってホテルに帰ってパッと見たらロボ宙がそれをまだ付けてるの。その時点でもうおかしいんだけど、よく見たらプレートはどこかに落としちゃって、もう木の葉っぱしか残ってない(笑)。
一同 爆笑
BOSE どこに入ろうと思ったんだよ、そのパスで(笑)。
笹沼 スタジオとかで、自分のライターがいつもなくなるんですよ。で、あるときロボ宙に「ライターなくしたから、貸して」って言ったら、俺の過去の歴代のライターが全部出てきたことがある。
一同 爆笑
笹沼 全然悪気ないんだけど、無意識に持ってっちゃう。あと、2人きりで飲んだりするとすごく色々話してくれるんだよね。それこそ色恋の話まで。
BOSE 「そんなこと普段考えてたんだ」みたいな。すごい不思議。ミステリアスな人。
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笹沼位吉
Bass
(THE HELLO WORKS,SLY MONGOOSE)
1968.10.18生 |
BOSE ハナちゃんはバンドでやりたいことが明確にある。そのことに対する執着心がすごい。ANIとは真逆な感じで、こだわり続けたい感じ。ANIだと、「いいんじゃない」みたいなことしか言わないから何回も聞き直さなくちゃいけないんだけど、ハナちゃんは「これ絶対いい」ってみんなが言っても、「もう一度弾かせてください」みたいな。ミュージシャンとしてというよりも、人間として作ることに対する執着心。プラモデルとかでも削って、ピカピカになるまでは絶対にイヤだみたいな。そういう人ですね。
笹沼 だから、「夢はANI君」なんだって(笑)。
BOSE でも、1回突き抜けるとANIになれるんじゃないの? 次のステージがあると思うんだけど。
笹沼 まぁ仕方なくっていうところもあるんですよ。こういう人、ひとりいないと無政府状態になる時あるじゃない。でも、ボーちゃん(BOSE)もそういうところがあると思うけど。
BOSE うん。僕も同じだね。でも、ハナちゃんを見てると「ハナちゃんはもっとすごいな」と思っちゃう。
笹沼 疲れるんですよ。自分の性格(笑)。歳を取るごとにアリ・ナシの幅がどんどん狭まってくる。
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BOSE
MC
(THE HELLO WORKS,スチャダラパー)
1969.1.15生 |
笹沼 今言ったけど、ボーちゃんも僕と似てるところがあるから本当に大変だろうと思うんですよ。色々なこと気になっちゃう人だから。みんなの言葉足らないところをボーちゃんが補足したりとか。
BOSE 僕も本当にANIになりたいですよ。でも、そんなANIから「なんでこいつら、細かいことばっか気にしてるんだろうな」って思われてるというこの悔しさね(笑)。
一同 爆笑
笹沼 「何で楽しく出来ないんだろう」とかね(笑)。本当にボーちゃんが、がんばってくれたからTHE HELLO WORKSは統率がとれたと思いますよ。だいぶ助けられました。
BOSE だって、血液型がA型の奴が僕しかいないんだもん。
一同 爆笑
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スチャダラパー、SLY MONGOOSEのエイベックス/tearbridge records移籍第1弾、THE HELLO WORKSのデビューアルバム「PAY DAY」。初回受注限定生産盤は、福岡サンセットライブの映像と、PVを収録したDVD付。
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THE HELLO WORKS オフィシャルウェブサイト
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