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MATSURIラーメンその貳 「ラーメン仕込み中」

 ロックバンド、ZAZEN BOYSで強烈な個性を放つボーカル・ギターの向井秀徳氏が幼少期から一環して食べ続けているのがラーメン。佐賀で育った向井さんにとって、ラーメンは単なる食べ物を超え、生活に欠かせないものとのこと。今では自らダシを取り、オリジナル・ラーメンを作るにまで至っているそうです。今回は「ロックンロールニュース・年末年始特別企画」と題して、向井さんとラーメンにまつわる話、オリジナル・ラーメン(MATSURIラーメン)制作過程、そのラーメンを試食した際の採点までを3回に分けて紹介。其の貳の今回は、いよいよ向井さんによるオリジナル・ラーメンの制作過程をご紹介。この寒い時期は特にお腹が空いてきますので、覚悟して(笑)お読みください。

取材:松田義人(deco) 写真:近藤彩子(deco)

■魚系のダシ

RRN すごいですね、このスープ。どうやって作ったんですか?

向井 まず、昨日の朝、とりあえず築地に行って来まして、それで素材を調達して来ました。僕は最近、鍋も味噌汁もよく作るようになったんですけど、やっぱり全部ダシで決まるんですね。それでまず、羅臼昆布。これは昆布の最上級と言われてるんですけど、これは「三」と書いてあります。羅臼昆布の中にも等級があって、「一」「二」「三」とあるんですよ。ところが築地に行ったら「『一』『二』はまだ入荷しておりません」と。なので、今回は「三等」の羅臼昆布にしました。

RRN でも、それでも高いでしょう、羅臼昆布って。

向井 まぁ大量に作れば高くない。築地はやっぱりいいものが安いから。それで、まず昨日のうちにダシを取って、それだけを飲んでも十分ハッピー、美味しかったです。それから鰹節。鰹節を荒く削ったやつを買ってきまして。それを沸騰まではさせないで、バッと煮立てて濾して終わり。これで魚系のダシは完成。

向井秀徳氏
向井さんによる魚ダシの解説。

羅臼昆布
これが羅臼昆布だ。本文通り、これは三等級になる。

鰹節
荒く削った鰹節。やはりこれも築地にて調達。

向井秀徳氏
そういった高級素材を惜しみなく鍋にかける向井さん。


■獣系のダシ

RRN そして、もちろん獣のダシも。

向井 はい。だから世間でよく言われている、いわゆるWスープっていうものになるんですよ。さっきの魚系のダシと、鶏ガラ+トンコツを少し併せた獣系のダシを併せるわけです。でも、獣系のダシを取りたくて近くの肉屋さんに行っても、そういう部位はまず売ってくれない。だから、これらも築地で仕入れました。鶏専門店に行って「ラーメンのダシを取りたいんですけど」って聞いたら、すぐに「これ使いな」って鶏ガラを出してくれた。これは100グラム200円くらいでした。あとはトンコツ。これは付け足し程度で良いと思って、ゲンコツを4本仕入れました。一度、これらの骨を一度湯がいて、すぐまた出して洗います。洗い終わったら、すぐまた火にかけていきなり強火。バリバリ。

RRN バリバリ(笑)。

向井 バリバリですね。これだけの量だと、沸騰するまでも時間がかかりますから。そして、あと野菜を入れます。ネギ、セロリ、ニンニクとか。そして、やっと沸騰したら、一瞬にして気色悪いアクがブワーって出てくるので、これをひたすら取る。あと、焦げてもいけないからかき回したりもしつつ。4〜5時間ずーっとこうやって。無言で(笑)。その感じがまたいいんですよ。

RRN でも、そうなるとなかなかヤメられないですよね。

向井 うん。だから、「もう眠い」と思ったときにヤメる(笑)。そこで完成(笑)。ただ、ラーメンってアバウトなときはすごいアバウトなんですけど、Wスープで合わせる分量っていうのはとても微妙で。すごい難しいんですよ。

向井さん使用のズンドウは「DON」製。
向井さん使用のズンドウは「DON」製。
名前が強そうだ。

向井さんが数時間かけて煮込んだ獣系スープ
向井さんが数時間かけて煮込んだ獣系スープは
ジップロックで慎重に持って来られた。

スープを鍋に移す
そのスープを鍋に移す。


■焼豚に入る

RRN じゃあ、向井さんが眠くなるまでは延々アク抜きと、焦げ防止のかき混ぜのみ?

向井 いや、まだやることがあるんですよ。いよいよアクが小康状態になってきたら、今度は焼豚に入る。

RRN  「焼豚に入る」っていう言い方がもうプロっぽい(笑)。

向井 いや、焼豚は「焼豚用」って言ってタコ糸を巻いて肉屋さんで売ってたのをそのまま使いました(笑)。その固まりをまず、表面をゴロっと焼く。そして、煮立たせているスープを別鍋に移して、酒、しょうゆ、ニンニクを足して、その中に焼いた焼豚をブチ込むんですよ。それを弱火にかけて煮込んでいく。

向井さんが仕込んできた焼豚
向井さんが仕込んできた焼豚。すでにウマそうな光線を放っている。


■その他

RRN メンマもウマそうですね。

向井 普段はメンマは買ってきたやつなんですけど、今回は水で煮たメンマを炒めて、煮て作りました。そして、タレね。タレは本当に大変。薄口150……、オイスターソース200……。

RRN その分量は何かレシピを見て覚えたんですか?

向井 いや、完全に感覚です(笑)。でも、ただのしょうゆと酒だけだと、そばの汁みたいになりますから。これはちょっと気を使いますね。

RRN 麺はどうするんですか?

向井 これは「肉のハナマサ」で売ってるストレート麺ですね。広島駅の立ち食いそば屋の麺がこういう普通の麺だったので、あの麺がウマかったのを思い出して、これにしました。



メンマ
マトリョーシカ状態に細かく仕分けされたメンマ。

メンマ
と思いきや中身は全部同じだった。
たぶん、向井さんがデカいタッパーを持ってなかったと思われる。

味付玉子
タッパーのうちの一つには味付玉子も。

中華麺
「肉のハナマサ」で売っているという中華麺。
「今回のスープにはこれが合いそうだ」と向井さん。


 以降、助手のMOBY(SCOOBIE DO)さんを従え、次第に寡黙になっていく向井さん。果して「MATSURIラーメン」は無事完成することが出来るのでしょうか。次回はいよいよ完成したラーメンの全貌と、試食した上でのリリーらの採点結果が明らかに!
(「向井秀徳・MATSURIラーメン VOL.3は2008年元旦アップ予定です)

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MATSURIラーメン「ラーメンことはじめ」その壱

 ロックバンド、ZAZEN BOYSで強烈な個性を放つボーカル・ギターの向井秀徳氏が幼少期から一環して食べ続けているのがラーメン。佐賀で育った向井さんにとって、ラーメンは単なる食べ物を超え、生活に欠かせないものとのこと。今では自らダシを取り、オリジナル・ラーメンを作るにまで至っているそうです。今回は「ロックンロールニュース・年末年始特別企画」と題して、向井さんとラーメンにまつわる話、オリジナル・ラーメン(MATSURIラーメン)制作過程、そのラーメンを試食した際の採点までを3回に分けて紹介します。其の壱の今回は、向井さんの「ラーメンことはじめ」です。この寒い時期に読むと、特にお腹が空いてきてしまうかも(?)。

取材:松田義人(deco) 写真:近藤彩子(deco)

■インスタントと言えば「マルタイ」

向井秀徳氏

RRN 向井さんが最初にラーメンを食べたのは?

向井 うーん……僕が最初に食べたラーメンがナンだったかは覚えてないですけど、最初はインスタントラーメンにハマってたんですよ。

RRN それはいつですか?

向井 インスタントにハマってたのは小学校の低学年ですね。

RRN いわゆるカップラーメンですか?

向井 いや、カップラーメンじゃなくて袋入りの即席麺ですね。 僕は九州なので、インスタントと言えば「マルタイ」です。これは今でも最高に好き。ベスト・オブ・ラーメンです。あと、小学校4年生くらいのときに、「チキンラーメン」の生卵を入れるテレビCMも観たけど、あれは「気持ち悪そう」と感じた記憶がある。

RRN 気持ち悪そう(笑)。

向井 今観れば「ウマそう」と思いますけど、当時はそう思ったんですね。だから、やっぱり「マルタイ」ばっかりでした。

向井秀徳氏 RRN じゃあカップラーメン・デビューは?

向井 確か「激めん」だったと思います。

RRN  「激めん」っていうカップラーメン? どんなカップラーメンですか?

向井 最高にスパイシーなラーメンで、これも好きだった。あとは普通に石立鉄男の「エースコックわかめラーメン」とか。普通に「カップ・ヌードル」とかも食べてましたね。

マルタイ
マルタイ
1947年、泰明堂として福岡県で製麺業を始め、棒状のインスタントラーメン「マルタイラーメン」を1959年に開発。現在では九州地方だけでなく、全国のスーパーで購入できるようになった。

チキンラーメン
チキンラーメン
日清食品創業者の安藤百福氏が自宅に作業小屋を建てて、天ぷらの食感をヒントにして生まれた。この商品開発以降、「ラーメン」という言葉が国民に定着した。

激めん
激めん
マルちゃんの商号で有名な東洋水産が1978年に発売したカップラーメン。隠れたヒット商品で、シリーズには定番のワンタンメンの他、カツカレーラーメンなども発売された時期もあった。

エースコックわかめラーメン
エースコックわかめラーメン
大阪のインスタント・ラーメンの大手、エースコックが開発。テレビCMに石立鉄男を起用し、国民に定着させた。

カップヌードル
カップヌードル
1971年発売。言わずと知れた日清食品の大ヒット作。1972年の「あさま山荘事件」で機動隊員らが極寒の中、食べていたことでヒットに繋がったのはあまりにも有名。


■ラーメンが食べられず泣きわめいた幼少期

RRN お店でラーメンを食べたのは?

向井 小学生か幼児の頃かは定かではないんですけど、佐世保に「大阪屋」っていうラーメン屋さんがあるんですよ。「そこがウマい」って兄貴に連れられて、初めてトンコツを喰った。

RRN 向井さんが暮らした佐賀から佐世保って遠くないんですか?

向井 うちの母方の地元が佐世保だから。博多まで映画を観に行ったついでに行ったりとかはよくしてましたよ。その初めてトンコツを喰ったときの感想は「うわぁ、すっごい濃い」と。今はすごい好きなラーメン屋さんですけど、そのトンコツが子供だった僕にはパンチが強過ぎたのを覚えている。あと、やっぱり小学生の頃に、豪華な円卓があるような中華料理屋にたまたま家族で行ったんですよ。円卓のそういう店って初めてだったからメニューを見てもよくわからない。とりあえず「ラーメン」っていう文字を見つけて安心してそれを頼んだんです。当然、「出前一丁」みたいなラーメンを期待するじゃないですか。そしたらですね、今でいう汁ナシ坦々麺みたいなものが出てきた。麺の上に肉だけが乗っているような。僕はこのときすごい泣きわめいた。

RRN 「これは『出前一丁』とは違う」と(笑)。

向井 もう泣いて泣いて(笑)。そういうショックな思い出もあります。

大阪屋
大阪屋
佐世保を代表する老舗ラーメン店。自家製麺と濃厚スープが味わい深い。
(住所)長崎県佐世保市下京町9-1













出前一丁
出前一丁
1968年発売。オーソドックスなしょうゆラーメンだが、その味は日本のみならずアジア全域ででも大ヒット。特に香港では即席麺の約5割が本商品(シリーズ全体)という。


■向井秀徳のお勧め久留米ラーメン店

向井秀徳氏

RRN そういうトラウマがありながら、お店でのラーメン……九州のいわゆるトンコツラーメンを好んで食べ始めたのは?

向井 中学・高校くらいから久留米ラーメンを食べに行くようになりました。まぁコッテリしていますよ。

RRN 九州に行くと、東京で食べるトンコツラーメンとの違いに免を喰らいますよね。

向井 そうそう。最初は兄貴に連れられて、そのうち友達と食べに行ったり。高校を卒業したら、今度は熊本までバイクで食べに行ったりしてました。

RRN 当時の向井さんお気に入りのお店は?

向井 久留米ラーメンなら、発祥の店と言われている「南京千両」です。

RRN 「南京千両」は有名ですよね。

向井 うん。ただ、「南京千両」は何店鋪かあるんですけど、味がそれぞれ違う。中でも西鉄久留米駅の裏側にある「南京千両」は本当にもう今でもすごい好きですね。

RRN 「南京千両」もいわゆるオーソドックスなトンコツラーメンですか?

向井 いや、九州のラーメンはストレート麺ですけど、その店の麺は少し縮れている。そして、細切りにした焼豚が乗っておる。これがウマい。

RRN ほかにはありますか?

向井秀徳氏 向井 あと、久留米なら他にも「大砲ラーメン」とか「大龍ラーメン」も美味しいですよ。あと、「満州屋」も。ここは餃子が旨い。あと、「潘陽軒」っていういつツブれてもおかしくないようなボロ屋のラーメン屋さんがあるんですけど、ここもなかなかクラシックな味がして好きですね。

南京千両
南京千両
1937年、九州初のラーメン屋台として創業し、トンコツラーメンを定着させた。現在では数店鋪を展開。向井さんのお勧めは西鉄久留米駅からすぐの「南京千両 屋台」。
(住所)福岡県久留米市東町、熊本ファミリー銀行付近

大砲ラーメン
大砲ラーメン
1953年創業。「いいスープが出来た日は親父の口数が増えた」というエピソードにもあるように、九州ラーメン創成を担ったラーメン屋さん。数店鋪を展開。
(本店住所)福岡県久留米市通外町11-8

大龍ラーメン
大龍ラーメン
国産のトンコツだけを使ったスープはコクがまろやか。もちろん、麺や具材にもこだわったトンコツラーメン。
(花畑本店住所)福岡県久留米市西町1434-1

満州屋
満州屋が一番
トンコツラーメンの人気店。2007年には「ラーメン改善宣言」と題し、メニューの改善を行った。九州以外にも数店鋪を構え、通信販売も積極的に展開。
(本店住所)福岡県久留米市日吉町13-7

潘陽軒
潘陽軒
1948年創業の老舗ラーメン屋さん。ツルツルとした麺と濃厚なスープが美味しい。スープは季節や天気によって微調整されるという徹底ぶり。
(住所)福岡県久留米市六ツ門町7-59


■東京には九州ラーメンがなかった

RRN 九州と聞くと、どうしても博多・長浜のラーメンが思い浮かびますが……。

向井 バンドを始めて、博多のほうへよく行くようになって、当然ラーメンも食べてましたけど、やっぱり久留米に比べればパンチが弱い。麺も細い。食べ応えがない。久留米ラーメンは一応トンコツラーメンのオリジナルと言われているんですけど、それに比べると、長浜系はあっさりしてるんですよ。やっぱり市場がすぐ近くにあって、チャッチャチャッチャやらないといけないから、そういう味になったんだと思いますけど。だから、博多のラーメンだったら僕はあえて長浜系とは違う「しばらく」っていう店で食べますね。そこは美味しいですよ。

RRN やがて向井さんはバンドで全国を回るようになり、上京し……。

向井 そう。東京に来てまず哀しかったのが自分の口に合うラーメン屋がないということ。

RRN 九州には東京式のラーメン屋さんはなかったんですか?

向井 ほぼない。本当にない。たまに出来てもすぐツブれる。だから、東京に来た頃あの西鉄裏の「南京千両」が夢に出てきて、起きたら枕が濡れていた……なんていうこともありました。

RRN それは涙ですか、ヨダレですか。

向井 両方でしょうね(笑)。

しばらく
しばらく
1953年創業。創業当時、「知り合いが多いので儲かるかと思いきや、食べに来た知り合いからはお金が取れず掛け倒れ」というエピソードも。九州以外にも数店鋪を展開。
(本店住所)福岡県福岡市早良区西新1-11-28


■スープ見せちゃり事件

向井秀徳氏

RRN 以前、向井さんから「渋谷のラーメン屋でキレた」話を聞いたことがありますが。

向井 あれは非常に悲しい思い出ですよ。

RRN 悲しい思い出(笑)。

向井 僕は一時期、渋谷まで自転車で数分で行ける距離のマンションに住んでたんですけど、夜中にすごいお腹が空いたことがあって。「渋谷まで行けばなんか喰えるやろう」と、自転車をこいで行ったんですよ。そこで某「博多●●」というラーメン屋さんがあって。なんか名前がウサン臭いけど、腹も減ってるし、そこに入ったんです。すると、もういきなり若い店員2人組がベチャクチャ喋りながら、ダラダラやっとる。それで「大丈夫かなぁ」と思ったんですけど、もやしラーメンを頼んだ。それで出てくると、もやしラーメンのはずが、もやしが乗っとらん。そしたら片方の店員が気付いて「悪ぃ悪ぃ」みたいな感じで、そこからようやくもやしを茹で始めるわけです。まぁそれでも美味しければまだ良いんですけど、麺、もやし、焼豚……全部のアイテムが腐り果てたような味がするわけです。「洗い物のカスが入ってるんじゃないか」くらいのマズさ。「これは喰えん」と一口食べて席を立ったんです。そしたら店員が慌てて「何かお口に合わなかったでしょうか」って言うからもうキレて。「スープ見せちゃり! これスープはなんば使っとっとか?」と言って厨房に入っていった。

RRN すごい(笑)。

向井 あまりの悲しさについ声を荒げてしまったという話ですけど。あれは悲しかった。

■トマトラーメン事件

向井秀徳氏

RRN あと、トマトラーメンでキレた話もありますよね。

向井 ちょうど、その「博多●●」でキレたのと同時期ですね。ちょうど駒場東大のすぐ近く、山手通りが入ってすぐのところに「ラーメン山手」という店がある。そこに食べに行こうとしたら、もう夜中で終わってたんです。でも、もうラーメンのスイッチが入ってるから、とにかくラーメンを喰わないと気が済まん。それで、ふと近くを見たところ、小さな店で「ラーメン」っていう看板が出ていたのでその店に入ったんですよ。店主はバンダナを巻いたオッチャンで、いかにも「ラーメン好きが高じて脱サラした」みたいなノリ。まぁそれはいいんですけど、僕は普通にしょうゆラーメンを頼んだんですよ。そしたら店主が「……しょうゆラーメン、やめときな」って言ってくる。

RRN なんでまた(笑)。

向井 「若い奴はトマトラーメン喰いなよ」って言うんですよ。それで僕はカッチーンときて。「アンタ、しょうゆラーメンって子供からお年寄りまで食べるもんでしょうが! ラーメンに『若い奴』とかそんなん関係ない!」ってキレて。

RRN ガハハハハハ(爆笑)。

向井 あれは頭来た。そしたら、その店主は「ハイハイ」みたいな感じで、厨房の奥に引っ込んで。その後、奥さんが出てきて、しょうゆラーメンを出してくれたんですけど。

RRN 味は?

向井 普通にウマかったですけどね(笑)。

らーめん山手
らーめん山手
トンコツなのに、どこか上品な味がするラーメン。自家製麺はコシがあり、ツルツルと何杯でも食べられそうな食感。
(住所)東京都渋谷区富ヶ谷2-21-7


■九州ラーメン以外への理解

RRN 前後しますけど、東京ラーメンを食べられるようになったきっかけは?

向井 あるとき、「東京に来て九州ラーメンを探してるからイカンのだ」と思いまして。「ここは東京だから、東京ならではの東京ラーメンでウマい店を探そう」と思い立ったわけです。それで「荻窪に美味しい店が多い」という話を聞いて、まず「春木屋」に行ったんですね。これがね、本当に涙がチョチョ切れるくらい感激した。「これはウマい。こんなウマいしょうゆラーメンを、喰ったことない」と。それで九州ラーメン以外も食べるようになったんです。それまでは「九州ラーメン以外はラーメンじゃない」くらいの変な感じも持ってたけど(笑)。それからはツアーで全国に行くたびに、その土地土地のラーメンを食べる楽しみが出来ました。

RRN 各地方のお勧めはありますか? 特に向井さんが行く度に必ず食べるラーメン屋さんとか。

向井 それはいっぱいありますよ。まず北海道・札幌なら「めん三郎」。eastern youthの吉野さんから教えてもらったラーメン屋さんですけど、ここの味噌ラーメンが「ザ・味噌」という感じで最高ですね。ショックを受けました。あと、札幌で言うと最近は「千寿」っていう店も好き。その土地で育ってきた味噌ラーメンの文化を感じます。それとは反対に、旭川ラーメンになると、ちょっと九州ラーメンのムードがあったりして、これも好きなんですけどね。

RRN 北海道なのに九州のムードがするなんて不思議ですね。

向井 不思議ですよね。なんで旭川にトンコツ系の濃厚なスタイルが出来たのか。あと、岡山も京都も徳島も。一時期、僕は九州からラーメン職人が地方に分散して、その作り方を広めて行ったんじゃないかと思ったこともありました。

春木屋
春木屋
東京・荻窪ラーメンの老舗。毎朝6時から仕込まれるスープ、麺は従業員全員でその都度チェック。日本そばの趣も感じられる東京ラーメンを代表する店の一つ。
(本店住所)東京都杉並区上荻1-4-6


めん三郎
めん三郎
長野県から取り寄せた厳選味噌に10種類のスパイスを混ぜ合わせた秘伝の自家製味噌が美味しい。スープはゲンコツと少量の野菜を7時間煮込んだものを使用。麻生区から東区に移転した今も大繁盛。
(住所)北海道札幌市東区北42条東2-3-1

千寿
千寿
味噌が強烈なアタックを放つ札幌の人気店。もちろん、味噌ラーメン以外にも、塩やしょうゆも人気。トロトロの焼豚や半熟煮卵など、具材も仕事が繊細。
(住所)北海道札幌市中央区大通西8-2-39 北大通ビルB1


■幻となった岡山ラーメン

RRN 徳島や岡山のラーメンはあまり聞いたことないですね。

向井 ウマいですよ。徳島だったら「ラーメンショップ」。あと、岡山だったら「丸天中華そば」。この店はもうなくなったですけど、最高にウマいしょうゆトンコツで。岡山でライブをやった晩、「腹も減ったし、『丸天中華そば』を喰いに行こう」と思って1人で行ったんですよ。「楽しみだー」と思って行ったんだけど、お店が近付いてくると電気がついてない。「おかしいなー」と思って店の前に来たらシャッターが閉まってるんですよ。そこには「店主逝去のため、閉店いたしました」という貼り紙があったんです。「継ぐ人がいなかったんだな、残念だ……」と思ったんですけど、よく見ると、その貼り紙の回りにブワーっと寄せ書きがあるんですよ。「ウマかったよ」とか「安らかに」とか「ありがとう」とか。「丸天中華そば」に対する感謝の言葉が書いてあった。それを見てジーンと来ましたね。「愛されていたんやなぁ」と。

RRN それで向井さんも書き込んだ?

向井 いやジーンとしただけで書き込まなかったけど。でも、写真は撮りましたよ。

徳島ラーメン
徳島ラーメン
四国・香川の名物、うどんに対して、徳島の麺文化はラーメンのほうが主流という。基本的にしょうゆラーメンのみだが、甘辛く煮た豚バラ肉が乗っていたり、生卵が乗っていることも。。

そばの店 丸天
そばの店 丸天
岡山ラーメンの老舗。鶏ガラベースの昔ながらのしょうゆラーメン。本文中、向井さんのコメント通り、店主逝去のため一度閉店したものの、2007年に復活。
(住所)岡山県岡山市駅前町2-2-4


■ショッキングな弘前ラーメン

RRN でも、地方のラーメンだと、あの東京に来たばかりのことと同様に、とんでもない思いもされたことがあるんじゃないですか。

向井 ある(笑)。青森の弘前っていう町に「たかはし」っていうラーメン屋さんがあって、ここは本当にビックリした。ショッキングだった。完全に魚ダシなんですけど、サバの味噌缶があるじゃないですか。あれをそのまま全部入れたような感じなんですよ(笑)。もうウマいマズいとかを通り越した味でしたね。ビックリしたなぁ、あれは。「まさか!」と思いましたよ。ただ、あれはあれで好きな人はすごい好きなのもわかる。ショッキング・ラーメンでしたね。

RRN バンドのツアーで全国のラーメンはだいたい食べましたか?

向井 だいたい食べたと思いますよ。ラーメンは各地どこにでもありますから。「絶対にラーメンがない県」っていうのは僕の行った限りでは仙台くらい。仙台っていうのはラーメンない、何故か。福島にも秋田にも山形にもあるのに、仙台にだけない。あと、名古屋でもラーメンを喰ったことがない。名古屋には薬膳ラーメンとかがあるそうですけど。

たかはし中華そば店
たかはし中華そば店
青森・弘前で魚介ダシスープと言えばここ。強烈な魚介ダシに中太の若干縮れた麺が個性的。好き嫌いがハッキリ別れるというが、熱烈なファンが多い。
(住所)青森県弘前市撫牛子1-3-6


■MATSURIラーメンの構想

向井秀徳氏

RRN ラーメンをこよなく愛している向井さんが、「ロックンロールニュース」のためにラーメンを作っていただけるとのことで。とても楽しみにしています。

向井 ラーメン・スープは前に作ったことあるんですよ。もともと料理はあんまりしなかったんですけど、バンドで練習が終わった後なんかに「MATSURI鍋」っていう鍋でダシを取るようになって。それが面白くなって、ラーメン・スープも作るようになったんです。

RRN ちなみに、今回「ロックンロールニュース」用に作っていただけるラーメンはどんなものですか?

向井 広島駅の立ち食いそば屋にウマいしょうゆラーメンを出すところがあったんですよ。本当にウマかったんですけど、ここもなくなってしまって。だから、今回はそれを再現したいなと思いまして。

RRN 向井さんだから九州ラーメンかと思ったんですけど。

向井 うん。でも、あれは時間もかかるし、ズンドウもデカいのが要りますから家庭では無理がある。とは言ってもその広島駅の立ち食いそば屋のラーメンも、ちゃんとウマいんですよ、Wスープで。だから、それを今回は再現したいと思っているんです。

向井秀徳(ZAZEN BOYS) 向井秀徳
(ZAZEN BOYS)
1973年生まれ。佐賀県出身。NUMBER GIRLを解散した翌年、2003年にZAZEN BOYSを結成。バンド活動と並行して「向井秀徳アコースティック&エレクトリック」なるソロライブも行っている。


■ZAZEN BOYS NEW SINGLE■
『I Don't Wanna Be With You』
ZAZEN BOYS
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 というわけで、向井秀徳さんが実際にラーメンを作ります。その名も「MATSURIラーメン」。どんな行程を経てラーメンが完成していくのか、そしてその味は果して……。
(「向井秀徳・MATSURIラーメン VOL.2は2007年12月29日頃アップ予定です)

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TOKYO No.1 SOUL SET Interview

 90年代の音楽シーンを作り上げてきた名盤復刻シリーズ「standard of 90's」を語る、その最後に登場するのはTOKYO No.1 SOUL SETである。彼らのような異才を誇るグループは、あとにも先にもまったく存在していない。文字通りの唯一無二、独創のカタマリのようなこのグループが、90年代の半ばに『TRIPLE BARREL』『Jr.』という傑作を作り上げ、先鋭的な耳の持ち主たちを驚嘆させた事実は、もっともっと高く評価されるべきだ。その当時の楽しいエピソードから、12月1日に配信リリースされた楽曲「Innocent Love/Please tell me」の紹介まで、渡辺俊美、川辺ヒロシ、BIKKEの3人が縦横無尽に繰り広げるフリートーク。お楽しみください。

対話_宮本英夫 撮影_ロックンロールニュース編集部



全員が若くて、
理想と希望に燃えてましたね。(川辺ヒロシ)


川辺ヒロシ

——というわけで、今回再リリースされる2枚のアルバム『TRIPLE BARREL』『Jr.』について語っていただけたらと。

渡辺俊美 もう忘れました

——そこを何とか(笑)。この『TRIPLE BARREL』は、僕も当時買ったCDを聴き直してみたんですけど、当時から音は良かったと思うんですね。低音の迫力とか。

川辺ヒロシ 当時も古い音だったんで。それで古くならないのかな。田島さんは、相当立ち会ったらしいですね? 小鉄さんのリマスタリングに。

——そうですね。

川辺 逆なんですよね。田島さんはずっとデジタルでやっていて、今回小鉄さんのところに行って。僕らは当時、小鉄さんで、アナログでやってたんで。一回、アセテート盤に落としてるんですよ。12曲だったら12枚の12インチを作って、それをプレイヤーでかけながらマスターCDにした。それは画期的でしたね。それ以降誰もやってないけど。

渡辺 それを次に真似したのがフィッシュマンズ。

川辺 パクられた(笑)。フィッシュマンズはA&Rが同じだったので。ミキサーがソウルセットと電気グルーヴをやっていて、当時はリアルタイムで“向こうはどうやってるの?”とか、面白かったですね。

——こんなノリでいいので、アルバムごとに何か思い出やエピソードをいただければと。


川辺 とにかくレコーディングというものがよくわかってなかったんで。初めてスタジオを自由に使えるということで、ものすごい無駄な使い方をしてましたね。今思うとバチがあたるような、ものすごいぜいたくな。行って、レコードを聴いてそのまま帰ったりとか。

渡辺 ちょうどスペースシャワーとかが始まった頃で、ずっとテレビを見てたりとか。

川辺 スタジオ代というのは天から降ってくるものだと思ってたからね(笑)。

渡辺 当時は江戸屋レコードで、スタジオ(スタジオ・アライブ)は会社の持ち物で、タダなんじゃないかと思ってたんですよ。そしたらいつのまにか使いすぎて、つぶれちゃったという(笑)。

BIKKE か、どうかはわからないけどね。

渡辺 わからないけど、かなりの比重はあるんじゃないかと。上原(キコウ)さんっていうエンジニアの人がいたんですけど、レコーディングが半年として、実質3か月は上原さんは寝てましたね。卓の向こう側で。

川辺 プリプロなしで、ゼロからスタジオで作るということをやってたんで。だからボツ曲がないんですよ。フルに使ってます。レコード会社の人A&Rの人も全員若くて、俺らと同じぐらいの年だった。

渡辺 27歳ぐらい?

川辺 全員それぐらいで、理想と希望に燃えてて。まだ挫折前で(笑)。スタジオは自由に使えるし、新しいオモチャを手にした子供って感じでしたよ。シメる人がいなかった。怒る役の人も一緒になってはしゃいでたから。

——BIKKEさんは?

BIKKE そういう意味で僕らもレコーディングは初めてだったんで、ソウルセットをやったあとはどのレコーディングも楽でしたね。すごく時間をかけてたし、そういうもんだと思ってたから。よそのレコーディングに行くと、こんなんで終わりでいいのかな?って。もっと何回も歌い直さなくていいのかなとか思ってたけど、大体がそうだったみたい(笑)。

渡辺 というか、どこにもハマんないんですよね。ヒップホップな感じでもないし。実際作り方はヒップホップなんだけど、でも違うし、バンドでもないから、もうほんとに何かが降ってくるのを待ってる感じ。偶然と、狙ってるものと。まぁぼくらはただ、遊んでただけなんですけど。

川辺 慎重すぎるほど慎重だった。絶対ヘタこけないって。

standard of 90's
standard of 90's
今もなお、熱いリスペクトを集める90年代音楽シーンを作り上げてきた名盤復刻シリーズ『standard’s of 90’s』。第1弾、オリジナル・ラヴ、スパンク・ハッピーに続き、第2弾として登場するのが、TOKYO No.1 SOUL SET、スチャダラパー、Great3の3組。アーティスト公認、リマスタリング、当時のアナログを紙ジャケ化(一部除く)という07年リマスター決定版となっています。他詳細はstandard of 90'sまで。


TRIPLE BARREL
『 Triple Barrel』
(95年リリース)


広いスタジオで、サラウンドで、
爆音でゲームをやってた(笑)。(渡辺俊美)


渡辺俊美

——『TRIPLE BARREL』は今でも気に入ってますか。

川辺 しょうがないよね。これはこれとしてありますということで。あそこをああすれば良かったとかも別にないし、これはこれで完結してるんで。

BIKKE うん。これはこれ。その時のもの。そんなこと言ったら、全部作り直すことになっちゃうから。“今の俺だったら”みたいなことじゃないですか。俺が小学生だったら、みたいな。

川辺 しみじみと聴きながら“若かったな〜”みたいなこととか、ないですからね。まだ。ライヴでもやってるし。しかも10枚ぐらい出してりゃアレですけど、まだ4枚ぐらいしか出してないから。少なすぎ(笑)。

——で、その1年半後にはあの問題作『Jr.』がもう出てしまうんですね。

川辺 相当待たせた感じでしたけどね。そんなにすぐレコーディングした記憶がないんだよな。けっこう間があいて、せっつかれて作った気がする。

渡辺 いや、ずっとせっつかれてた気がする。ツアーのスケジュールが入ってて、本当はその前にやりたかったんだけど、その後までもやってたから。本当は1年後に出したかったんだろうけど、半年延びた。ここのタイミングでね、プレイステーションが出たんですよ。だから“鉄拳”でね、けっこう時間がかかっちゃったという(笑)。サラウンドでやってたからね。

BIKKE あぁ、よくスタジオでゲームやってたな。俺はやんないけど。

渡辺 すっごい広いスタジオで、サラウンドで、爆音でやってた(笑)。

川辺 確かその時に、子供が生まれたんだよ。

渡辺 俺か?

川辺 うん。それで『Jr.』なんだから。子供の鼻が詰まって、どうしていいかわかんないから“トシちゃん、どうにかして”って電話がかかってきて、鼻水をすすりに家に帰ったりしてたから。鼻水もすすれないのか!って、嫁を叱り飛ばしてきたって(笑)。

渡辺 すぐに風邪引いちゃうの、子供のがうつって。まぁ、そういう話も全部入ってるアルバムです(笑)。


川辺 あと、ベンツをインロックしちゃったりね(笑)。

渡辺 俺ら、運動不足だなっていうことで——。

BIKKE 時間があいたんだよね。で、近所にバッティングセンターがあって。

渡辺 ちょうど僕、バット持ってたんですよ。野球もちょっとやってて。それで行こうということになったら、なぜだかわからないけどトランクにカギを入れたまま閉めて……。

川辺 バットを取る時にキーを置いて、バターンと閉めて、ウワーッて(笑)。全部のドアがきれいに閉まっちゃって、ベンツだから頑丈で。

渡辺 JAFの人が来たのが夕方の5時くらいなんですよ。終わったのが夜中の1時ぐらい。

川辺 結局開かなくて、もうガラスを割るしかないですよって。ガムテープを貼って、俊美くんがハンマーを持ったんだけど、“…オレ、割れない”って(笑)。俺は“そんなの簡単じゃん、ベンツ割るなんてやってみたいよ”とか言って(笑)。結局割ったんだけど、ガシャーン!と行くかと思ったら、ガムテで貼ってあるから“グシュ”っていう、すべてが吸収されて、それを機に欝に入るぐらいの感覚があって(笑)。で、ガチャッて開けて……。

渡辺 開けたんだけど、トランクが開かない。

川辺 え〜っと、トランクを開けるカギは? ……あっ(笑)。

渡辺 意味なかったね。

川辺 JAFを呼んで、JAFの人がお手上げで、カギの110番を呼んで、車が1台、2台、3台と増えて行って(笑)。大事件だった。そしたら次の日にカギの110番から電話があって、“昨日のクルマのカギ、型をとらせてくれ”って。

渡辺 そのぐらい難しい。かなり腕がいい人じゃないと開けられない。3人ぐらい来たもんね。

川辺 面白かったな。……それしか覚えてない(笑)。『Jr.』のレコーディング・エピソードで一番鉄板なのはそれですね。

























Jr.
『Jr.』
(96年リリース)


若い人には、これを過去のものだとは
思ってほしくないね。(BIKKE)


BIKKE

——あの〜、できれば、音楽的なことも聞きたいんですけども。

渡辺 (笑)

——聴き手として、この2枚の変化にはものすごいビックリしたので。

川辺 あぁ、でも『Jr.』はね……そうだ、俺がヒルトンに3週間ぐらい泊まってプリプロして。そのうち半分はレコード会社にお金を出させて、クボタ(タケシ)と一緒にやった作品のプリプロとして。それで“ヤード”とか、『Jr.』に入れる曲を作ってたんですけど、そのぜいたくな感じが…今なら考えられないけど。

BIKKE あの頃、みんなそんなのやってたよね。歌詞を書くために旅行とか行かせてもらってたよね。

川辺 スタジオを借りるよりは、一泊5万のヒルトンの部屋のほうが安いっていう。考えられない時代ですよ。そのフロアはプリプロ用フロアで、ほかにミスチルとかも入ってたりとか。音を出してもいい、デカイ2LDKみたいなところで。

渡辺 様子を見に行ったら、バスローブで出てきたから(笑)。

川辺 そこで面白ビデオを延々見て。

渡辺 何回もルームサービス頼んで。いいソファーがあるんですよ。70万ぐらいする。ふっかふっかですもん。

——そうすると、こういう音になる?

渡辺 (笑)

川辺 そう。ラグジュアリーな音に(笑)。高層ビルから下を眺めてるような音になる。“アリのようだな、人が”って。


渡辺&BIKKE (笑)

川辺 でもいろいろ予算のことがわかってくると、もうそういうことはできないんだなって気づきましたね。残念です。でも良かったです。楽しかったです。

BIKKE 人生でね、そういうことができない人もいるからね。もう十分味わいましたって。

川辺 それで、売れてもいないんですよ(笑)。

——では総括として。ここで初めてソウルセットを聴く若い人もいると思うので、そういう人に向けたひとことを。

BIKKE 若い人ね……そうだなぁ、過去のものだとは思ってほしくないね。

川辺 だから当時、これを作ってる頃に“はっぴいえんど再発”とか言ってるような感じで、この再発を受け止められるとそれは違うかな。もっと近いし。今とつながってる話だし、“名盤発掘”みたいな感じじゃないほうが。

BIKKE そこまで、僕も懐かしくないしさ。あの頃は若かったなぁっていう、そこまでの勢いではないから。だって、一応まだやってるわけだし。

——もちろんですよ。だからこそこうしてお話を聞きに来ているわけですし。

川辺 これでまた少しずつ、口座にチャリーンチャリーンと小銭が振り込まれることをね。

BIKKE それを祈ってます。最近ちょっと、ここらへんのアルバムからは入って来ない感じがしてるんで(笑)。

川辺 まぁ、小銭なんだけどね(笑)。

——それと96年に出た初の映像作品『真昼の完全試合』のDVDも同時再リリースされるので、これについてもコメントをもらえますか。

川辺 DVDはね、たぶん面白いと思いますよ。若きタケイ・グッドマンの、才気あふれる作品になっていて。あそこも、オレらよりもっとぜいたくなスタジオを使い方をしてたから。最初の10秒を作るのに何か月かかってるんだ? みたいな。

トーキョーナンバーワンソウルセット - 真昼の完全試合
『真昼の完全試合』
(96年リリース)


売れたいです。人知れずとか、
そういうのはもういいです。(BIKKE)


Tokyo No.1 SOUL SET

——では最後に「今」と「これから」の話をしたいんですけども。まずは12月1日からデジタル配信されている「Innocent Love/Please tell me」の紹介を。BIKKEさん、どんな曲ですか。

BIKKE 売れそう。売れそう。

川辺 チャリーン、チャリーン(笑)。

BIKKE いや、ドサッドサッと(笑)。売れそう。好きそう。

川辺 俊美くんが歌いまくってますよ。止めるのも聞かずに。

渡辺 いい瞬間が、その都度その都度来たなぁって。トラックができて、BIKKEと話して詞ができてっていう感覚が、時間がすごく短くて、レスポンスが早かった。答えがすぐ出たって感じかな。見えた、というか。

川辺 いやもう、またフレッシュな感じですね。その秘訣は何ですか? って感じですね。

渡辺 (笑)

川辺 俺が逆に聞きたい(笑)。そんな感じですかね。


渡辺 こっちも戸惑うぐらいですからね、そのフレッシュ感には。

——このあとは来年の1月1日にまた配信シングル「just another day」が出て、春にはアルバムが出る予定です。前作『OUTSET』から2年たちましたけど、今のモードはかなり変わって来てるんですか。

渡辺 作り方は若干変わってますけど、どうだろうな。ヒロシくんのDJのスタイルも変わったというか——スタイルというよりも、かけてる感じは一緒なんですけど、音楽的に言うと、デジタルなものが多くなったというだけで。それで『OUTSET』を作っていったんだけど、今回は意外と原点に戻って、まずサンプリングをして、いろいろ入れていって、最終的にサンプリングがなるべく見えないようにするというか。『TRIPLE BARREL』や『Jr.』はサンプリングが前面に出てますけど、今回はそういうのがあまりない。アルバムも、そうなると思います。それが、『OUTSET』から変わったところかな。

川辺 まぁ『OUTSET』もそうだったんだけどね。『9 9/9』からだんだんそうなってきて、あれは割と半々で、『OUTSET』で完全にそうなって。

渡辺 『TRIPLE BARREL』と『Jr.』は、僕、楽器は若干しか弾いてませんから。足すぐらいで。そこの比重は変わったかな。

——BIKKEさんは今、どんな気持ちで新曲に取り組んでますか。

BIKKE とにかく締め切りを守ること。

川辺 考えられないことですよ。BIKKEの口から“締め切りを守る”なんて。俺もここ2年ぐらい、すべての締め切りを守れてますからね。ちゃんと期日内に上げれるようになってきました。

BIKKE もうなんか、ちょっとだけ年もとってきて、長いこと集中できないのかもしれない。前のレコーディングみたいに、1年ぐらいとか。

川辺 ちょっと、偏執狂みたいなところがありましたからね。普通じゃないみたいな。

BIKKE だから、短期間で終わらせたいです。集中力がそんなに長くもたないです。

——新しい音は新鮮ですか。

BIKKE そうですね。エンジニアの人も違うし、いろいろ違うと思いますよ。…あんまりね、考えてないんですよ。

渡辺 正直に言えば(笑)。

BIKKE 歌詞書いてデモ録って終わり、みたいな感じですね。録り方も、前だったら一個一個気にしてたテイクを、今はもうそういうのが嫌だから、たくさん録って、まずいいのを選んで、駄目なのを差し替えてって。あんまり考えてないです、だから。勢
い重視で。


——その上で「売れたい」と。

BIKKE 売れたいですよ、そりゃ。あの頃みたいになりたいですよ。…いや、そうでもないけど(笑)。でも今、あの頃みたいな感じだったらもうちょっとうまくできるのになっていう感じはある。普通に売れたいです。売れたいというか…いや、そういうことです。いいことは言いません。みんなに届いたらいいとか、そういうことじゃない。売れたい。人知れずとか、そういうのはもういいです。

TOKYO No.1 SOUL SET OFFICIAL WEB SITE

2008年1月1日より 第2弾デジタルシングル"just another day"配信中!

TOKYO No.1 SOUL SET
オフィシャルサイト
http://www.t1ss.net/

standard of 90's x rock 'n' roll news
心のベストテン 世代別「いい曲」座談会 - 後半

 前半に引き続き、世代別に別れた「いい曲」の定義を探るべく、【10代・代表】HALCALI、【20代・代表】菊池亜希子さん、【30代・代表】シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)、【40代・代表】リリー・フランキー、【50代・代表】秋山道男さんの計6人の方にお集りいただき、それぞれの音楽観を語ってもらいました(後半ではリリーが登場です)。また、読者の皆さんからお寄せいただいた「心のベストテン」も別途紹介。是非ご覧ください。

取材:松田義人(deco) 写真:木本健太

【座談会出席者】

HALCALI【10代・代表】
HALCALI

1987、88年、ともに東京都生まれ。HALCA、YUCALIの2人組ガールズヒップホップユニット。小学校の頃から都内の同じダンススクールに通い、「FEMALE RAPPER オーディション」で、見事グランプリに輝き、O.T.Fの全面プロデュースのもと、デビュー。
菊池亜希子【20代・代表】
菊池亜希子

1982年、岐阜県生まれ。モデルとして活躍する他、女優としても映画・テレビで多忙な毎日をおくっている。リリーとは映画「ぐるりのこと。」で共演。
シンコ【30代・代表】
シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)

1970年、神奈川県生まれ。90年、スチャダラパーとしてデビュー。現在はSLY MONGOOSE+スチャダラパーのユニット、THE HELLO WORKSで活躍中。
リリー・フランキー【40代・代表】
リリー・フランキー

1963年・福岡県生まれ。作家、イラストレ−ター、エッセイスト、ミュージシャン。
秋山道男【50代・代表】
秋山道男

1948年・千葉県生まれ。プロデューサー&クリエイティブディレクター。多領域の仕事群を「魅力づくり」として遂行。俳優としてもNHK大河ドラマ「秀吉」、朝ドラ「天うらら」、ネスカフェCM「うるさい日本人」他に出演。

「港のヨーコ」を買ってもらったんだけど、
「親に対して照れくさい」みたいな感じだった(リリー)

リリー・フランキー

RRN リリーさんが遅れてやって来ました。リリーさんが最初に買ったレコードってナンですか?

リリー たぶん、最初に買ってもらったのはアニメのテレビマンガのやつとかだと思う。その後に、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコヨコハマヨコスカ」を買ってもらったんだけど、このときは「親に対して照れくさい」みたいな感じだった。子供の音楽じゃないじゃん、あれは。だから「毛が生えちゃった」みたいな照れくささがあったのを覚えている。

RRN ハルカリのお2人は「港のヨーコ」知ってますか?

HALCA 知ってますよ(笑)。

YUCALI もちろん(笑)。

一同 爆笑

リリー 菊池さんも知ってると思うけど、この人は岐阜出身で、中津川フォークジャンボリーの血が残ってるから。むしろ新しいと思ってるかもしれない。

一同 爆笑

菊池 そんなことないですよ(笑)。

リリー その「港のヨーコ」の後、今度はラジカセを買ってもらったの。それでテレビでかかってる曲とかをラジカセに録って聴いたり。あと、それらをダビングして自分のラジオ番組をよく作ってた。それを友達と交換するっていう。

YUCALI 楽しそう。

シンコ 男の子はやってましたよね、みんな。ラジカセをテレビの前に置いて、テレビで流れた音楽をテープに録音する。でも、家の人が喋っちゃったりして。「ごはんよ!」みたいな。

一同 爆笑。

リリー そう(笑)。当然、ダブルカセットでもないから編集も出来ない。だから、まず前枠を自分で喋って、「じゃあ、この曲を聴いてください」みたいなことを言って、テレビでかかるのを待ってる。本番で音楽を入れていかなきゃいけない。




KAN「愛は勝つ」
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「港のヨーコヨコハマヨコスカ」
1975年リリース。当初はアルバム内での楽曲だったが、人気が出てシングルカットに。曲中のセリフは当時の流行語にも。


その「君」の指先にいた女の人は
必ず失神します(秋山)

秋山道男

RRN リリーさんが音楽をやり始めたのもその頃?

リリー いや、中1くらい。お祭りに行ったら、周りの人はみんなフォークギターなのに、一人だけThe Venturesみたいなエレキギターを持って演奏している人がいてカッコ良かったのがきっかけですね。

秋山 フォークギターからThe Venturesに流れる人は多い。あのテケテケテケっていうのをみんなやりたかったわけよ、当時。

リリー やっぱりギターなんですよね。周りにピアノをやってる人とかいなかったから。学校に1人だけピアノを習ってる人がいたけど、「金持ちか、お前は」みたいな感じでいじめられてた。秋山さんはもろフォークでしょ?

秋山 フォーク、フォーク。それから、ジャズ、スクリーンミュージックでしょ、やっぱりThe Beatlesでしょ、和製ポップスでしょ、その後ウルトラすごかったのがGSと呼ばれるグループ・サウンズね。あなた、わからないでしょ?

菊池 わからないです。

秋山 The Beatlesが青春歌謡的に変形してGSになったわけだけど、フリルのついたシャツとかを男が着て絵になったのは初めてなんじゃないかな、あれが。それを観てオバサンたちが失神するんだから。オバサンって言っても当時はまだ小娘ちゃんだったと思うけど。The Beatlesも失神があったけど、それと違ったのは歌詞が日本語だったっていうこと。GSの歌詞には「君」っていうのが多くてさ、3つポーズがある。上から指を指して「君」って行くパターンと、横から指を指して「君」、それから下からもあって。その「君」の指先にいた女の人は必ず失神します。

一同 爆笑

秋山 つまり演劇的だったわけ。

リリー 岸部四郎で失神してた時代があったんですから(笑)。それで僕はそのGSの人たちが落ち着いてソロになったり俳優になったりしているのを見ていた世代。ショーケンとかジュリーとか

シンコ マチャアキとかもそうですよね。

リリー うん。あとドリフターズも。ドリフターズなんてThe Beatlesの前座やってる。

RRN でも、秋山さんにしたら、もともとフォークなわけじゃないですか。そのブームが去ってGSに移ったとき寂しく思ったりしなかったんですか?

秋山 全然寂しくない。青春は移り気ですから(笑)。

The Ventures
The Ventures
1959年結成。アメリカのインストゥルメンタル・バンド。1960年代の日本にエレキブームを巻き起こした。










岸部四郎
岸部四郎
1969年兄・一徳からの誘いでGSバンド、ザ・タイガースに加入。後に俳優として「西遊記」などに出演。


ショーケン
ショーケン
萩原健一。1968年ザ・テンプターズのボーカルとしてデビュー。解散後は映画監督を志していたが、1972年の映画「約束」の撮影現場に助監督として参加していたところ急きょ代役として出演。以降、俳優業とソロシンガーとして活躍。


ジュリー
ジュリー
沢田研二。1967年ザ・タイガースのボーカルとしてデビュー。デビュー当時は日本初の長髪アイドルと呼ばれた。解散後、ソロ活動でのヒット多数。


マチャアキ
マチャアキ
堺正章。1965年ザ・スパイダースのボーカルとしてデビュー。バンド解散以降はコメディアン、俳優、司会業と多方面で活躍。


ドリフターズ
ドリフターズ
1950年代に結成後、いかりや長介がリーダーになった1964年より本格活動へ。1966年のThe Beatles来日時には前座を務める。以降、日本のお茶の間に笑いの旋風を巻き起こす。


そのまま生声で唄うとかくらいで、
そんな変わりはないと思う(YUCALI)

HALCA

RRN GSって生演奏だったんですかね?

秋山 生とドーナツ盤。

リリー そんなことよりもキャーっていう歓声で音楽自体が聴けない。

秋山 うん。でも、演奏はヒドかった気がする。The Beatlesも演奏下手クソだったけどね。レコーディングではあんなに素晴らしいのに、ヒドい。

RRN CDとライブとすごい差が出るアーティストって今でも結構いますよね。

YUCALI 私たちはどうかな(笑)。でも、CDでは声に効果を入れてた音をそのまま生声で唄うとかくらいで、そんな変わりはないと思う。

リリー ハルカリみたいな場合はライブ用にアレンジした、実際のCDと違和感のない音源があるしね。昔の歌番組なんてオーケストラが必ずいたでしょう。それは番組ごとにオーケストラが違うんだけど、その都度、譜面を配って演奏してもらって、歌手が唄ってたの。オケが常に同じわけじゃないから、唄う人も合わせないといけない。

シンコ そうなんですよね、あれ(笑)。「ザ・ベストテン」って生放送だったから、時間が押してると、オーケストラが曲を早くして辻褄合わせるっていう本当のプロがいたらしいですよ。

菊池 すごいですね。


Kraftwerkって器材だけで
6トンとかを持ってきた(シンコ)

シンコ

RRN 一方で口パク、手パクというのもありますよね。

リリー もちろん。というか、歌番組で生のオーケストラが出るのは日本特有の文化だったみたいでさ、アメリカでもイギリスでも絶対カラオケだったみたいで。俺ショックだったのがアメリカの音楽番組で、Dave Clark Fiveを観たらメンバーが一斉に手を挙げるシーンでもう音が鳴っているの。

一同 爆笑

秋山 日本でもあるよね。アイドルとか。ある時期、コンサートは全部口パクで、あらかじめ全部入れといたやつに合わせてフリだけという。それには理由があってさ、常に同じコンディションではないから、お金を払って観に来ていただいたお客様に、ベストのときのものを聴いていただきたい、ということらしいけど。

リリー 極端なパターンだと、「Kraftwerkが来日したときは人形がステージに立ってた」って週刊誌に書いてあったから。演奏中、メンバー4人は楽屋でポーカーしてたらしいんだけどさ、そうなるともう日本に来た意味がない。

一同 爆笑

シンコ Kraftwerkって器材だけで6トンとか持ってきたんですよね。すごくない?

HALCA すごそう(笑)。

リリー Kraftwerkなんて、あんなドイツの理系のインテリの人たちが「音楽始めました」みたいな感じなのに、日本に来て無茶苦茶セックスしてたみたいで。なんかエロい会社の慰安旅行みたいな気分で来てたみたいよ。








Dave Clark Five
Dave Clark Five
1962年にデビューしたイギリスのロックバンド。1964年リリースの「Grad All Over」が大ヒットし、一時はThe Beatlesのライバルと囁かれたことも。







Kraftwerk
Kraftwerk
1970年結成のドイツのバンド。斬新な電子音響を用いて、活動初期はジャーマン・プログレッシブ・ロックと呼ばれていた。打ち込みのみならず、あらゆる音楽ジャンルに影響を与えた。


そこのマスターが色々教えてくれるんですけど、
高田渡さんを教えてくれて(菊池)

菊池亜希子

RRN 最近聴いた音楽で気になってるものはありますか?
菊池 私は……高田渡さんとか。

RRN 最近の音楽じゃない(笑)。

菊池 いや、でも、本当に知らなかったんですよ、それまで。私、あんまりお酒が飲めないんですけど、中目黒に「拓郎」っていう名前の飲み屋さんがあってよく行くんですよ。そこに行くと、マスターが色々教えてくれるんですけど、高田渡さんを教えてくれて。CDを聴いてみたら、曲と曲の間に何喋ってるかわかんないトークが入ってて面白いなって。あえて入れてるのかなんなのか謎なんですけど。

RRN でも、すごい店があるんですね。

リリー HALCALIはやっぱりダンス・ミュージックしか聴かないの?

HALCA いやいや、そんなわけはないですよ。

YUCALI ロックとかも全然普通に聴きますよ。

RRN 音楽を聴いて感傷的になったりとかは?

HALCA HALCALIにも感情はありますから(笑)。それはもちろんです。

リリー 泣きながら踊ったりとか?

YUCALI 泣いてる時はさすがに踊らないですけど。でも、泣きながら踊るって、なんか青春っぽくていいですね。そういうの、やっとけばよかった。

リリー そうだよ。泣きながら踊ったり、泣きながらDJこすったり……。

シンコ でも、DJで自分がかけた曲に、自分で感動して泣いている人がいたのは知ってますけど。

リリー シンコも自分で泣けるくらいのをかけないとダメでしょ。だって、シンコのDJよりももっと前のディスコの時代はDJが喋ったりしてたんだから。「これでノラなきゃウソだよ〜ん!」とか言って。

一同 爆笑

高田渡
高田渡
1960年代中盤よりフォーク・シンガーとして活動し、関西フォーク・ムーブメントの中心的存在。シニカルな歌詞や独特のボーカルで現在まで根強い人気を得た。

いつもニュアンスとかで覚えてるんで、
実際に唄える歌がない(HALCA)

HALCA

RRN 前半でもチラっと聞きましたけど、カラオケ。菊池さんは意地でも行きませんか?

菊池 意地でも行かないわけではないですけど、行ってもみんなが喜ぶような歌を唄えないんで。。

リリー ナンシー関さんが「私、カラオケは絶対行かない。嫌いだ」って言っててさ。ナンシーさんってなかなか携帯電話すら持たなかった人でさ、新しい文化に簡単に入っていけない人だったの。それで、ナンシーさんはみんながカラオケしてるのをただ聴くだけだったんだけど、朝までそれに付き合って、翌日目が覚めたら太モモにすごい青タンが出来てたんだって。「唄わない」と決めてたから、もう必死に太モモでタンバリンを叩いてらしいんだけど。

一同 爆笑

リリー でも、その青タンを見てナンシーさんは「気持ちのどこかでは唄いたいんだね、私は」って覚ったらしくて。それからは諦めてメチャクチャカラオケ行くようになったらしいよ。それでまた、ナンシーさんは歌もウマかった。

RRN カラオケに行くと、歌詞が画面に流れるから、それまで聴いてた音楽と印象が変わることもありますよね。

菊池 カラオケで改めて歌詞を再確認することは結構ありますね。

RRN 具体的にはどんな曲?

菊池 やっぱりかぐや姫なんですけど。

一同 爆笑

リリー もう君は秋山さんと僕の世代の席に座ったほうがいい。

菊池 中学校のとき、読書感想文的な授業で好きなミュージシャンの曲を挙げて、自分がどういうフレーズを好きなのかっていうのを書く課題が出たんですよ。それで私はある曲を挙げたんです。すごく人がうらやましがるような女房を貰ったのに、男の心には冷たい風が吹いていたみたいな歌詞で、普通に課題の感想文に書いたんですけど、最近カラオケでその歌を唄ったら中学の頃とは違う、男の人の気持ちがちょっとわかったような発見がありましたよ。

RRN ハルカリはカラオケに行くと、「HALCALIの曲を生で唄えー」とか言われない?

YUCALI あんまり言われないかな。

HALCA うん。もともとカラオケが嫌いなわけじゃないけど、そんなには行かないし。私も歌える曲が少ないんですよ。いつもニュアンスとかで覚えてるんで、実際に唄える歌がない。

リリー 俺は六本木のオカマバーでシンコの「今夜はブギーバック」を聴いたことがある。

YUCALI えぇ! かなりレアですね。

リリー シンコの「ブギーバック」と、ピエール瀧の「Shangli-La」。わっ、本物だ!とか思ったんだけど、そういえば唄ってたっけ、お前? みたいな。本物なのに、本物じゃない有り難みがあったけど。


「今夜はブギーバック」
1994年にリリースされた小沢健二とスチャダラパーによる楽曲。コラボレーションがまだ新しかった頃で、別々のレコード会社より小沢健二fearturingスチャダラパー、スチャダラパーfearturing小沢健二と2アイテムが同時発売。ちなみにTHE HELLO WORKSの最新アルバム「PAY DAY」では「今夜はブギーバック」のカバーが収録されている。



「Shangli-La」
石野卓球、ピエール瀧によるテクノユニット・電気グルーヴが1997年にリリースしたヒット曲。


尾崎豊と永ちゃんと
長渕を認めるのは男の子のハードル(リリー)

シンコ x リリー・フランキー

RRN リリーさんはカラオケで何を唄うんですか?

リリー 俺、永ちゃんとか、尾崎豊。尾崎豊ってCDは聴かないけど、カラオケで唄って、あんなに気持ちいいものはない。

シンコ 意外ですね。そうなんですか。

リリー  歌詞を読むとさ、やっぱりあの人早熟だったんだよね。ようやく俺もそこに追いついた感じでさ。だって、俺今盗んだバイクで走りだいたい感じだもん。今ガラスとか割りたい。

一同 爆笑

リリー 尾崎豊と永ちゃんと長渕を認めるのは男の子のハードル。そこを認めると、あとは男として楽なんだけど、やっぱそこに抵抗するとね。なんかそういうことを否定するということは、熱いとか感情的なものを否定して生きていくということだから。

シンコ でも、長渕って言うと、「順子」とか「GOOD-BYE青春」の頃じゃないですよね。

リリー それはまだ俺らの世代の、髪サラサラ時代の長渕だから。俺が好きなのは角刈りになってからのドロドロした長渕。

尾崎豊
尾崎豊
1983年デビュー。社会や学校や体制に反発する楽曲が多く、若者の代弁者としてカリスマ的存在に。







永ちゃん
永ちゃん
矢沢永吉。1972年キャロルのボーカルとしてデビュー。解散後はソロ活動を展開し、スーパー・スターの地位を築く。


長渕
長渕
長渕剛。1977年「雨の嵐山」でデビュー。俳優としても映画、ドラマなどで活躍。持論に「アコースティックギターは弾くものではなく、叩くもの」がある。


負の部分が音楽に昇華されてるのが
「いい曲」だと思うんだけど(リリー)

HALCA x 菊池亜希子

RRN 色々伺ったんですけど、まとめに入りたいなと思ってまして、すごく漠然としますが、いい曲の定義をお聞かせください。

リリー 本当に漠然としてるけどさ(苦笑)。ただ、その人の趣味の問題だけど、やっぱり自分の中では甘酸っぱい曲なんでしょうね、たぶん。すごいアップビートでも、そのハイテンションのアレンジでもなんでもいいんだけど、唄ってる人が憤ってるとかの負の部分が音楽に昇華されてるのが「いい曲」だと思うんだけど。楽しいことばっかりの歌われてもね。

一同 爆笑

リリー コラムニストが、自分が今日何を喰ったとか、何を買ったっていう話を延々読まされるような気分。ただ、それとは逆に、音楽からそういう負の部分を感じたくない、音楽なんて生活のリズムに弾みをつける程度でいいんだ、っていう人もいるかもしれないし。だから、人によるとしか言いようがないけどね。

一同 爆笑

シンコ そうですね。ただ、僕は「いい曲」と言っても色々あって。シンミリしたいときはシンミリしたいい曲、燃料になるようないい曲もあるし。

菊池 それはよくわかります。私、音楽をパソコンでフォルダごとに分けてるんですけど、そのフォルダに「しみじみ」とか「ぶらり」とかで、音楽を分けてるんですよ。よく聴くのは圧倒的に「しみじみ」ですけどね。電車に乗ったときに聴ける音楽をそこに入れてます。。

YUCALI 歌詞は関係ないんですか?

菊池 いやもちろん関係ありますよ。

YUCALI 私、やっぱりメロディとかノリも大事だけど、歌詞を読んでいい曲だなと思うことのほうが多いんですよ。

HALCA 私はむしろ歌詞は要らない。インストのほうがいいかな。テクノとかもそうですね。この人どうやってこの曲作ったんだろう? みたいな。音楽で何も言ってないから、テーマとかその人の言いたいこととかわかんないですけど、単純に気持ちいいなと。なんか自由に考えられるから、そこが好きなんです。

RRN 秋山さんにとっての「いい曲」は?

秋山 好きな曲がいい曲。それと、なんかこう「帰れる曲」っていうか。「何故、帰るか」っていうと、そこにずーっといるんじゃなくて、また出掛けるためにいったん帰るわけだからね。そういう実家みたいな曲が「いい曲」なんじゃないかな。

リリー よく「無人島に1枚レコードを持っていくなら?」みたいな質問があるけど、決められないよね、そんなもの。そういうので欲張ってる人は「The Beatlesの『White Album』を持っていく」っていう人がいるんだけど、あれは2枚組だから。

一同 爆笑

RRN ありがとうございました。

発表!心のベスト10  第1位はこんな曲だった
心のベストテン 世代別「いい曲」座談会 - 前半

 年末になると、つい振り返るのがその年に聴いた音楽、歌。勇気づけられた曲、切なくなった曲、笑った曲……「いい曲」は数あれど、時代によってその定義も変わっていっているような気がします。今回は世代別に別れた「いい曲」の定義を探るべく、【10代・代表】HALCALI、【20代・代表】菊池亜希子さん、【30代・代表】シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)、【40代・代表】リリー・フランキー、【50代・代表】秋山道男さんの計6人の方にお集りいただき、それぞれの音楽観を語ってもらいました。また、読者の皆さんからお寄せいただいた「心のベストテン」も別途紹介。是非ご覧ください。

取材:松田義人(deco) 写真:木本健太

【座談会出席者】

HALCALI【10代・代表】
HALCALI

1987、88年、ともに東京都生まれ。HALCA、YUCALIの2人組ガールズヒップホップユニット。小学校の頃から都内の同じダンススクールに通い、「FEMALE RAPPER オーディション」で、見事グランプリに輝き、O.T.Fの全面プロデュースのもと、デビュー。
菊池亜希子【20代・代表】
菊池亜希子

1982年、岐阜県生まれ。モデルとして活躍する他、女優としても映画・テレビで多忙な毎日をおくっている。リリーとは映画「ぐるりのこと。」で共演。
シンコ【30代・代表】
シンコ(THE HELLO WORKS、スチャダラパー)

1970年、神奈川県生まれ。90年、スチャダラパーとしてデビュー。現在はSLY MONGOOSE+スチャダラパーのユニット、THE HELLO WORKSで活躍中。
リリー・フランキー【40代・代表】
リリー・フランキー

1963年・福岡県生まれ。作家、イラストレ−ター、エッセイスト、ミュージシャン。
秋山道男【50代・代表】
秋山道男

1948年・千葉県生まれ。プロデューサー&クリエイティブディレクター。多領域の仕事群を「魅力づくり」として遂行。俳優としてもNHK大河ドラマ「秀吉」、朝ドラ「天うらら」、ネスカフェCM「うるさい日本人」他に出演。

歯医者に行くのが怖くて
KANの「愛は勝つ」を聴いてました(YUCALI)

YUCALI

RRN ちょっとリリーさんがまだ来ていませんが(笑)、始めたいと思います。今回は皆さんにとっての「心のベストテン」……つまり「いい曲」に関してお話を伺えればと思いお集りいただきました。まず、世代ごとの代表としてご意見をお聞きしたいのですが。

YUCALI 実は私、ハタチになったばかりなので、10代・代表というわけでもないんですけど(笑)。私の音楽初体験はなんだろう……あ、保育園のときに歯医者に行くのが怖くてKANの「愛は勝つ」を聴いてました。

RRN 歯医者に行って愛は勝ったんですか?

YUCALI 勝ちませんでした(笑)。でも、我慢してたら歯が治ったのでもう歯医者に通わなくて良くなりました。あとは小学生の頃、体が弱くて病気がちだったんですけど、それを克服するためにダンスを始めてMissy Elliottとかを聴き始めたんです。もともとは健康の一環でダンスを始めたんですよ。「オバサンがエアロビやる」みたいな感じで。

RRN 健康的ですね。

秋山 恥ずかしい話ない? 「好きな人に歌をプレゼントしちゃった」とか。

一同 爆笑

HALCA ないですね(笑)。

秋山 そこが面白いよね。どうも僕は今の若い子たちを見ていると、その僕達が思ってるような「甘酸っぱい思い出の横には必ず音楽がある」っていうのとはちょっと違う感じがするんですよ。

RRN 昔は「好きな人に自作セレクトのテープを作ってプレゼントする」とかありましたよね。

シンコ ありましたよね。自分もしてました(笑)。

RRN シンコさんはやっぱりDJですから、そのテープを作るにしてもツナぐところまで気を使いますよね。

シンコ はい(笑)。




KAN「愛は勝つ」
KAN「愛は勝つ」
1990年リリース。200万枚を超える大ヒットとなり、翌年には日本レコード大賞(ポップス・ロック部門)を受賞。




Missy Elliot
Missy Elliott
アメリカ・ヴァージニア州出身の女性ラッパー。音楽プロデューサー、女優などとしても活躍。

















そうすると周りから
「そんな歌知らないよ」となるんです(菊池)

菊池亜希子

RRN 一方、20代・代表の菊池さんはそういうテープをもらうほう(笑)。

菊池 いいえ(笑)。私はまず、子供の頃にカラオケが流行ってたんですよ。田舎だったんで、カラオケボックスが田んぼの中にポツンとある箱っていう感じだったんですけど、あれが苦手で。カラオケが苦手だったんですよ、私は。

RRN 唄うのが恥ずかしい?

菊池 いや、そうじゃなくて。カラオケって他人の歌を聴かない雰囲気があるじゃないですか。誰かが唄ってるとき、周りの人は自分が唄いたい歌を探してる。それで唄ってる人は一人で満足してるみたいな