[2008年12月24日]
vol.16 おばあちゃん子のハンバーグ
今日はクリスマス・イヴだ。
まああたしには何にも関係ないが。エコノマの営業はほぼ通常通り。違うことはといえば、BGMが失恋の曲&別れの曲三昧になるという部分くらいだろうか。
毎年エコノマでは「カップル死ね死ね団」と称して、全力でお一人様を応援します。BGMはオフコースの「さよなら」、中島みゆきの「別れうた」、雅夢の「愛はかげろう」などなど、あまりの不吉な雰囲気にうっかりカップルでご来店したお客様が「すいません!BGM変えてください!」と血相変えて立ち上がるくらいデスなクリスマスになるわけだ。性格悪いなあ、あたし。
ちなみにお一人様でご来店のお客様はワンドリンク無料サービスだったりします。結構盛り上がったりするんですよ。
デスついでに、うちの母方のおじいちゃんはあたしが2歳の時、クリスマスのすぐ後12月27日に亡くなった。働いていた工事現場の事故だ。あたしはあまり記憶にないのだが。
おじいちゃんはもともと洋食屋さんをやっていて、コックだったそうだ。詳しくは今度出す予定のあたしの本に書いたので割愛する。
そこを手伝っていたおばあちゃんも、もちろん料理上手だった。おばあちゃんはあたしが23歳くらいの時、うちのオカンの誕生日のすぐ後7月26日に亡くなった。おばあちゃんもおじいちゃんも、イベント事が終ってホッとして逝ってしまうという傾向にあったようだ。人間常に何かやらなきゃいけない大事なイベントを抱えてた方がいいのかもやねえ。
あたしは無類のおばあちゃん子だった。優しいおばあちゃんが大好きで、よく懐いていた。
しょっちゅうあたしと、オカンとおばあちゃんと、親子三代で買い物に行ったものだ。3人とも服が大好きで、常にオシャレしないと気がすまないタチで。あーだこーだ言いながらよく服や帽子やカバンを3人で交換しあって使いまわしたりした。あたしの帽子好きはおばあちゃんの遺伝やと思う。おばあちゃんは女優みたいなカッコイイ帽子をいっぱい持っていた。あたしも今いくつ持ってるだろうか。たくさん捨てたのもあるので、現在30~40くらいだろう。
料理好きなのもきっとおばあちゃんがルーツだろう。それがオカンに伝わり、あたしに伝わった。
おばあちゃんは素朴な煮物や和え物やおはぎの他に、台湾で日本語を教える仕事をしていた関係で台湾料理も上手で、よく大根餅を作ってくれた。これがまたうまくて。今やったら「紹興酒! 熱燗で!」と言いたくなるところだが、当時は子供なので山ほど大根餅ばっかひたすら食べていた。
それともちろん洋食も。おじいちゃん直伝だったんだろう。中でもあたしが大好きだったのがハンバーグ。おばあちゃんの家に遊びに行くと、家でオカンが作ってくれるハンバーグよりも一回りデカイのを作ってくれたのを覚えている。これがまた絶妙に美味くて。ジューシーで柔らかくて、ソースはケチャップとウスターソースを混ぜた素朴なものなんやけど、まあご飯がすすむこと。孫のためにちょっといい肉を使ってくれていたんだろう。「ハンバーグ食べたい!」とあたしが事前に要求すると、「じゃあ、デパートに行ってお肉を買ってこなきゃあねえ」とはりきっていたから。おばあちゃんも、うちの両親も、子供に食わせるものだからって、食材に妥協はしない人だ。食の英才教育です。
そんなおばあちゃんがガンになった。あたしがフランスへ修行に行っている間、ずっと手紙をくれて励ましてくれていた。おばあちゃんの方が体調悪かったのに。手紙の中で「まいちゃん、パリーでの生活はどうですか?」と、パリを「パリー」といつも伸ばしてくるところにいつも笑った。しかもあたし住んでたのパリじゃないし。
あたしが日本へ帰ると、おばあちゃんはもう入院生活をしていて、近くにいる間はバイトや仕事の合間を縫ってよくお見舞いに行った。元来のオシャレ魂から、あたしやオカンが行く時でも、お化粧をちゃんとして、かわいいカーディガンを羽織ったりしていた。えらいなあと思った。何年かそれが続いて、ある時から体調が悪化して、薬の影響であたし達がお見舞いに来ても時々看護婦さんに「あの人たちは誰かねぇ?」と聞いたりするようになってしまった。オカンは時々廊下で涙を流してた。もうオシャレもできなくなってしまっていた。
あたしが23歳で一度目の結婚を決意した時、おばあちゃんに報告しに行った。いい天気のお昼で、おばあちゃんもちょっと体調もよさそうでちゃんと話ができた。
「おばあちゃん、あたし結婚することにしたよ。」
「あらあ!おめでとう。どんな人なの?」
「ちょっとバカだけど、すごく優しい人だよ。」
「そう!優しい人が一番だよ。よかったねえ、よかったねえ。」
「今度連れてくるからね!」
結局おばあちゃんに前の旦那を会わせることはできなかった。もう危ないと言われてあたしは名古屋に滞在していて、ちょうどあたしが病室に行ったときに、もう心電図が一直線になりかけていたのを見つけて、家族みんなで声をかけたけど叶わなかった。
あたしはしばらく全然現実が飲みこめず、「嘘やん」みたいに思っていて、お葬式でも全然泣けなかった。お通夜の前に、部屋におばあちゃんが顔に白い布をかけられて、両脇にお花を飾られて寝かされているのを見たうちの兄の息子が
「おばあちゃんどうしたの〜? ハッピーバースデーなの?」
と言った時、周りの家族たちは一斉にすすり泣きを始めたが、あたしは一人心の中で「逆やから!」とツッコミを入れながら笑いをこらえていたくらいだ。
それからもしばらく「まだおばあちゃん家に行ったらいるんじゃね?」くらいにふわふわ思っていた。そんなある日、あたしは夢を見た。
おばあちゃんが病室にいて、あたしは前の旦那と二人で傍に立っている。
「これ、うちの旦那だよ。」
「あら〜男前ねえ。聞いてた通り優しそう。まいちゃんをよろしくお願いね。」
そんな会話をして、お菓子を食べたりして笑っている。という夢。
起きたらあたしは全力で泣いていた。ようやくその時現実が理解できた。ああ、人って消えちゃうんだなあ、もうしてあげられないことってあるんだなあと思った。
しかもそんな前の旦那とは離婚しちゃったし。ああ、ごめんね、おばあちゃん。
とまあ今回はなんかクリスマスだというのに感傷に浸ってしまった(笑)。
おばあちゃんのハンバーグは越えられないけど、エコノマでもハンバーグを出しています。うちのハンバーグはデミグラスソースで軽く煮込みます。極力柔らかく、ジューシーになるように作ってます。ご家庭でも簡単にできると思うので、レシピ書いときます。
てなわけで、今日はハンバーグとシャンパンでおばあちゃんに乾杯だな。
飲むぞ!
「エコノマ特製ハンバーグ」
合挽ミンチ 1キロ
玉ねぎ 1個〜1個半くらい、粗めのみじん切り
卵 2個
パン粉 300cc
牛乳 60cc
ケチャップ 大さじ2杯
醤油 大さじ1杯
ウスターソース 大さじ2杯
塩こしょう 美味しくなるくらい
ナツメグ 少々 あんまりいっぱい入れるとトリップするので注意
玉ねぎはバターで軽めに炒めて冷ましておく。材料全部をボールに入れて合わす。エコノマの場合、あんまり捏ね過ぎないのがコツ。まとまって軽くねばりが出るくらいでよし。その方が柔らかくてふわーっとした感じになると思うよ。で、お好みの大きさにして焼いてください。衣付けてミンチカツにしてもよし。ソースは、まあお好みで(適当)。

写真はハンバーグ。エコノマの場合は軽く焼き目を付けておいて、あとは冷凍します。使う時に解凍して煮込んで、ちょうどいい火の通り具合になるようにしてるんです。お家でもそうしとくといいんじゃないかな。
中西麻衣子a.k.aマイ(料理人) 有限会社spirytus代表取締役社長。2003年25歳の時に大阪・新町に「フレンチ風居酒屋」と称してビストロ・エコノマをオープン、2006年には横浜・本牧に2号店、ブラッスリー・エコノマをオープンさせ、店のお洒落な外観を裏切るデスメタルやハードロックをBGMにガンガンかけながら激しく営業中。現在本人は、エコノマ本牧店で料理に腕を振るったり飲んだくれたりしている。今年で30歳。夫はクレイジーケンバンドのサックス、中西圭一a.k.aジャッカル。でも1番大好きなバンドは筋肉少女帯。
ブラッスリー・エコノマ http://spirytus-economat.com/
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中西麻衣子a.k.aマイ×中西圭一a.k.aジャッカルの夫婦対談です。
中西麻衣子a.k.aマイ
(料理人)
プロフィール
横浜・大阪にハイテンションなフレンチ居酒屋「エコノマ」を構える、有限会社spirytus代表取締役社長兼料理人。大槻ケンヂを神と仰ぐメタル好き。でも服装はパンク好き。
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