[2008年02月29日]
vol.7「デストロイ」

真夏の東京は嫌になるほど蒸し暑い。山形の夏も、いやどこにいたって夏は暑いに決まっているが、山形にいたときは日陰に入れば涼しい風が直射日光に照らされたほてった皮膚を冷やしてくれた。
東京には信じられないほどたくさんの巨大なビルがひしめき合ってそびえ立ち、どこを歩いてもすぐに日陰がある。ところが日陰に 入っても暑さは変わらない。風がない。ちっとも涼しくない。どこにいたってムンムンムンムンしていて気分が悪くなる。
寮に帰ってみねたに貰ったミックステープを聴こう。
クーラーをガンガンにつけた寮の二階にあるぼくの四畳半の部屋は、外の暑さが少し懐かしく感じるほどひんやりとしていた。
クーラーの設定温度を極端に下げ、風量も強くしていたために、テープを聴き終えるころにはTシャツ一枚では耐えられないくらい肌寒くなっていた。けれどぼくはクーラーの設定温度を調節するようなことはせず、窓を開け、ムンムンした真夏の東京の空気を入れて部屋を適度な温度に調節した。
外を眺める。
向かいのたいそう大きな家のこれまた広大な庭にある無数の木々から聴こえてくるたくさんの夏の音。姿こそ見えないが、恐ろしいほどの数の蝉が木々にとまっていることがわかる。
よく見ると寮とこの大金持ちの大きな家の境にある高い塀の上に張られた有刺鉄線に一匹の蝉がじっとしがみつき、今まさに鳴かんとしている。
じーーーーーー
抑揚のない音。途中で鳴きやんだかと思うとまた一定のテンションを保ちながら鳴き始める。ぼくがタバコの吸い殻をそいつに向かって投げると、飛び立つと同時に一瞬、ビンッと強く鳴いてあっという間に空の中に消えていった。
自分の存在をかけた強烈な鳴き声。聞いているこっちの気が狂ってしまうほどだ。
雄は鳴いて雌を誘う。
幼虫の地中生活が、成虫の野外生活に比べて何十倍も長い蝉の鳴き声は、生に対する喜びの唄なのか、死に対する恐れの唄なのか……。それともその両方か……。
セックスへの期待なのか、セックスへの焦りなのか…。期待するから焦るのか……。
そういうことを考えるほど余裕があるぼくの部屋の温度の心地よさ。
窓なんて開けなくてもクーラーを止めればいいだけの話なんだけど、電気代込みの家賃だったから寮の管理人のおじさんへのあてつけもあり、省エネとは真逆のことをしていた。
1ヶ月と半月の長い長い夏休みに入ってから、ぼくはすぐに髪を脱色した。
ぼくは東京での初めての夏を迎え、浮かれたことをしたかった。山や川や海に行くなんてことはもうこりごりだった。山形にいたころ散々ネイチャードライブには行っていたし(家族と)、ぼくが望んでいたのは夏の虫の鳴き声で目覚める田舎の夏ではなく、ネオンきらめく都会の夏の夜のほうだった。
夏だもん。夏の東京の夜だもん。おれ若いし、何かあるべー。
まずは、念願の金髪だぁー。
週の半分は夜勤の日雇いバイトをしていたため寮で夕食を食べる回数が減り、この夏にはほとんど寮の食堂に行かなくなったぼくにただでさえ目をつけていた管理人のおじさんは、金髪になったぼく を見て廊下ですれ違う度にますます嫌な顔をするようになった。
朝帰りをし、玄関の掃除をしている管理人のおじさんとばったり会うと、「山形のお父さんとお母さんはどう思うだろうね……」と言った。
この頃の朝帰りはバイトだけでなく、ライヴへ行き、その後朝までファミレスで時間をつぶして帰るパターンもあった。
夏休みということもあり、ぼくは千葉に住むみねたとライヴハウスへ通いつめた。
渋谷ギグアンティックや下北沢シェルター、屋根裏、西荻窪ワッツや新宿ジャム、ロフト、アンチノック、高円寺20000V、恵比寿ミルク……。
暗くて狭いライヴハウスに入ると、タバコの匂いと壁に染みついた汗の匂いが、ほこりと一緒に何日も寮の共同風呂に入ってないぼくの体にまとわりつき、体臭をいっそう濃くした。
開演の時間が近づくと、ぼくとみねたは何もしゃべらず別々に客席の一番前へ行き、バンドが登場するのを固唾を飲んで待った。
バンドが登場し、演奏が始まると全身で音を浴び、無我夢中で音に飛び込んだ。
演奏が終わると、汗でぐちょぐちょになったズボンを引きずり、ドリンクバーへ行ってコーラをオーダーすると、隣には必ずぼく以上に汗だくになったみねたが既にコーラを飲み終えて立っていた。
そしてまたバンドが登場すると別々に一番前へ行った。
どのバンドも音がデカい。足の先まで血管がどくどくいって、股間がぞくぞくする。音の違いなんてわからず、どのバンドも全身で聴いて好きかどうかで体を動かした。
ライヴが終了し会場を出ると、出口の階段にはさっきまで演奏していた出演者が額の汗をふく間もなく次のライヴのフライヤーを配っている。配っているのは出演した人の他にも、さっきまで中でライヴを観ていた人、フライヤーだけを配りに来た人もいる。そのため出口の階段の両脇からフライヤーを持った手がずらっーと伸びており、客はそのフライヤーを一枚一枚企画者本人からもらって一列になって階段を降りていく。
フライヤーをもらうときに、客は出演者に声をかけ、また出演者は顔なじみの客に声をかけた。ぼくも出演者と話がしたくてしょうがなかったが「ヤバかったっす…」ただこの一言を言うことが精一杯だった。
顔なじみの客は、ライヴの感想や、さらに突っ込んで今注目してるバンドや来日する予定の海外のバンドのことなどを話し、互いに情報交換していた。
こんな調子のため、ライヴが終わってもライヴハウスを出るまでにはかなりの時間がかかった。だがこの時間が、それまで脳をぐちゃぐちゃに叩きのめされ、血が沸騰しきってハイになった状態からゆっくりと現実の自分を取り戻し、ライヴの余韻に浸れるちょうどいい長さだった。
出演者や、企画者の中にはTシャツやステッカー、布パッチや缶バッチなどの物販の他にファンジンを作って売っている人もいた。
ぼくはそういうファンジンをかたっぱしから読み、そこで紹介されるバンドのレコードを探した。
夜勤のバイト明けにもらう一日分の給料を、吉野家の牛丼分を差し引き全額レコードにつぎ込んだ。
ライヴに行くときはライヴハウスがあるその街のレコード屋へ行って買い物をし、そのお店のビニール袋片手にライヴハウスへ向かい、帰りはそのビニール袋の中に貰ったフライヤーやファンジンをぎっしり詰め込んだ。
インターネットが今ほど普及してない時代に、会場で売られるファンジンは貴重な情報源だったし、フライヤーはデザイン自体が重要な情報源だった。
フライヤーにはホームページのアドレスの代わりに企画者の住所と電話番号が記載されていたので、企画者に直接電話してチケットを取り置きしてもらうこともあった。
ぼくとみねたは、ライヴハウスを出た後、すぐにもらったばかりのフライヤーを見て次に行くライヴの相談をした。ぼくはこのミーティングがたまらなく好きだった。
濡れたTシャツから汗が白い煙となって蒸発している間に、自販機でジュースを買い、タバコに火をつけ、ライヴの興奮覚めやらぬまま、写真をコラージュしてるものやイラストの描かれたフライヤーを見て次に行く来週のライヴを決めた。
ぼくらはレコード屋かライヴハウスに直接集合した。お互い携帯はなかったので時間に遅れるときはどちらかが公衆電話からアパートへ電話した。千葉と東京という距離なので、たいがいがもう家を出たあとで留守になっていたが、それでもライヴが始まった頃にはお互いステージの前に立っていた。
ぼくにとって、これらのライヴは次の一週間を生き抜くために必要なハイで純度の高い薬になっていた。
この頃には、寮でも話しを出来る友達が出来ていた。
隣の部屋のシンちゃんは、この夏に始めて学校が一緒だということが発覚した。愛媛出身のシンちゃんは絵画科で、ぼくはデザイン科。ぼくの方では学校でシンちゃんを見かけたことはなかったが、シンちゃんの方では前から同じ寮に住むぼくに気づいていたという。
そして共同風呂でシャンプーを貸してくれたヒロシくん。
千葉から出てきたヒロシくんはお茶の水にある専門学校に通っていた。
このふたりと知り合ってからはぼくは以前より寮の食堂に行くようになり、共同風呂にも入るようになった。
シンちゃんもぼくと同じように故郷の訛りがとれないでいた。ヒロシくんはぼくらふたりの北と南の違った訛りを面白がって聞いていた。
ぼく以外のふたりも部屋のクーラーは一日中つけっぱなし。三人が集まるとテレビゲームをしながら、寮の管理人の話で大いに盛り上がった。
窓を開けると声がもれるため、窓は締め切り、三人ともスウェットを着ながらゲームをした。そこまでしてもクーラーを止めようとしなかったから8月の寮の電気代は相当な額になったと思う。
シンちゃんは部屋にゴキブリが出るとぼくを呼び、ぼくはゴキブリを駆除するのとかわりにアダルトビデオをシンちゃんから借りた。
そしてヒロシくんは高校からスケボーをやっていたが、まだ寮に来てから一度も使っていない新しい板に乗りたがっており、一緒にスケボーをやる仲間を探していた。ぼくはヒロシくんの今は使っていない使い古しの板を借り、ふたりで武蔵境の北口を出て左にあるスーパーの駐車場でひとけのない夜からスケボーを始めた。
全くの初心者で転ばないように両足で板に立っているのがやっとで、オーリーも何も出来たもんじゃないが、転倒必至で左足を板に乗せ、右足で思い切り地を蹴ってスピードを出すと、バック・トゥ・ザ・フューチャー2のマーティみたいな気分になり、地面すれすれのところを宙に浮かんで飛んでいるようで気持ち良かった。
ヒロシくんはしきりにトリックの練習をしていたが、少しずつ板に乗れるようになるぼくを観て喜んでいた。
ぼくらは門限の11時を過ぎても帰らなかった。
というのも、ヒロシくんは門限を過ぎても部屋に無事帰還することができる限られたひとなのだ。
塀と有刺鉄線に囲まれたこの寮に入るには、正門の錆び付いた門扉を通り、玄関で暗証番号を入力しなければドアは開かない。門限の時間になると管理人は門扉と玄関ドアに鍵をかける。門限を過ぎたら第二の関門である玄関ドアはもちろんの こと、第一の関門である門扉も絶対に通れない。
しかし、ヒロシくんは誰もが見過ごしている、ほとんど使われていない管理人用の通用口があることを知っており、さらにその通用口用の門扉の鍵が壊れていることを知っていた。ぼくらは正門を通り過ぎたところにある第一の関門を通り、塀の中へなんなく入り建物の裏側へ回った。途中、灯りの消えた管理人の窓の下を息を殺して通る。
裏側へ回りきって、いくつもの窓の下をしゃがみながら通り過ぎ、ヒロシくんの部屋の窓から何食わぬ顔をして寮に入ることが出来た。
ぼくはヒロシくんが一階の部屋に住んでいることに感謝し、きみは本物のトリックスターだ!!と、ヒロシくんを讃えた。
ぼく以外にもこの窓を利用しているらしいことは、窓のすぐ下にあるヒロシくんの真っ白いベッドの上に刻印された様々な形の靴底の跡を見れば明らかだった。
それからはライヴやバイトで門限を過ぎて帰っても一箱のタバコと引き換えにヒロシくんの部屋から寮に入ることが出来た。
都内でライヴを観てきたみねたが、ヒロシくんの部屋を通りぼくの部屋に泊まりに来ることもあった。ときには門限をとっくに過ぎたあとでみねたとヒロシくんとぼくとでヒロシくんの部屋から寮を抜け出し、駅前に行って三人でスケボーをしたこともあった。
夏休みのある日、めったに鳴らないぼくの部屋の電話が鳴った。夏休みなのに山形に帰ってこないぼくを心配してかけてきた母親からの電話だと思ったが、受話器から聞こえたのは身に覚えのない若い女性の声だった。
急にぼくの手が震えだした。
同じ学校のモモちゃんだった。
どうしてぼくに……!!!?
わけがわからなかった。
「もしもし。ムラッチですか!? モモです。ムラッチですか!? ムラッチ!?」
疑問と興奮と恐怖が一気にぼくの人格を変えた。
「ぬおおー!!!!!! なによモモちゃん、どうしたのー!!!?」
「いつCD返してくれるの? ムラッチさ、夏休み前に返すって言ったじゃん……。夏休み明けでもいいんだけどさ……。」
モモちゃんは少し苛立っているようだった。
ぼくはモモちゃんとタクちゃんと行ったあの渋谷でのライヴの数日後にモモちゃんからたくさんのCDを借りていた。
X、アヴェンジャーズ、リアルキッズ、スティッフ リトル フィンガーズ、ティーンジェネレイトやメジャーアクシデント、コックニーリジェクツ等々……。
確かにぼくはそれらのCDを夏休み前には返すから、と約束して借りていた。
忘れていた……。
それにモモちゃんにぼくの寮の電話番号を教えていることもすっかり忘れていた。
モモちゃんは、来週都内に行くからそのときにどこかで待ち合わせしようと言ったが、思いがけずかかってきたモモちゃんの電話に興奮したぼくは衝動的に会いたくなり、「明日そっちのほうに行く用事あるし」と言い、明日の夕方、彼女の住む川越までCDを返しに行くことを約束して電話を切った。
電話を切るころにはモモちゃんは「無理しなくてもいいのに」とぼくの嘘を見透かして笑っていた。
受話器から聞こえた切る直前の「バイバイ」がどこからこんな声が出るんだろうというぐらいきれいで艶があり、その一言がいつまでも耳から離れなかった。
モモちゃんと学校以外で会うのはタクちゃんと三人で行ったライヴ以来だから二度目だ。
でも今度はふたりっきり。
ぼくはネオンきらめく都会の夏の夜の下で二十歳前の男女が繰り広げる様々なことを想像して眠った。
次の日の昼、ヒロシくんからのスケボーの誘いを断りぼくは意を決して寮を出た。
ぼくは高円寺の古着屋を駆け足で回り、白と黒のボーダーのガーゼシャツとぼろぼろになったGパン、それにほこりを被った真っ黒いラバーソールの革靴を買った。
約束の夕方までにはまだ時間がある。
ぼくは高円寺の駅前にある喫茶店へ入って窓側の席に座り、ブレンドコーヒーを注文した。
大きな大きな窓。
ぼくは高円寺の北口の風景を見ながら頭の中でモモちゃんと会ったときの会話をシュミレーションした。
暖かいブレンドコーヒーが運ばれてくる。
香り高い湯気が次から次へと昇っては宙に消えた。
なんともいえない幸福感に浸りながら少しずつコーヒーをすすった。
コーヒーを飲みほしたあと、ぼくはその喫茶店のトイレに入り、買ったばかりの洋服に着替えた。金髪だったこともあって鏡でみるパンクファッションに身を包んだぼくはなかなか様になって見えた。
……いや。
……。
!!!!!!
なにか違う!!
体型がきゃしゃなせいかいまいち迫力がない!!
服に着させられているぞ!!
何かが足りない……。
リアリティが足りないっ!!!!
ぼくはそそくさと420円を支払い会計を済ませ、純情商店街にある薬局に入り、包帯と、手と手首用のサポーターを買った。
そして足早に高円寺駅の公衆トイレにもぐりこみ、ボーダーのガーゼシャツを靴で何度も何度も踏みつけたり、床に垂らした水を染み込ませたりした。
最後に手と手首にサポーターをそれぞれつけ、首から包帯を巻いて腕を固定した。
もともとぼろぼろのシャツがさらにぼろぼろになり、ところどころから肌が見え隠れして公衆トイレの床の汚れも加わり、若いホームレスのひとになったかのようだった。
しかし、トイレの鏡に写った包帯をしているぼくは、いままさに喧嘩を終えたばかりの危険な男にも見えた。
電車の中で視線を感じるときもあったが、こういう人目につく格好をしていると不思議と自分が本当に危険な男に思えてきた。
デーストロッーーーイ!!!!!!
いやいや……そんなこと言ってる場合じゃない……。
ぼくの頭の中はモモちゃんのことでいっぱいなんだ。
落ち着け……。
あっという間に約束の時間に川越駅へ着いた。
階段を登り、待ち合わせ場所の改札へと向かう。
緊張がマックスまできていた。
すぐに改札の向こう側にいるモちゃんを発見した。
……。
口から泡が出そうになった。
学校で見るモモちゃんも強烈だが、こうやって日常の世界にぽつんと立っている彼女はより強烈で可愛いかった。
モモちゃんはこちらを見たが、金髪になったぼくに気がつかず、彼女の視線はぼくを通り過ぎて改札を行き交う人々を追っていた。
モモちゃんに近づきながら、彼女だけにピントを合わせたぼくの目は、彼女を囲む周囲の風景をピンぼけさせて何度も何度もシャッターをきり、脳に光を焼き付け時間を切り取った。
目の前まで行ったところで、やっとぼくに気がついたモモちゃんは一瞬びっくりしてとっさに体をのけぞらせ、それからぼくの挨拶も聞かずに足元から頭のてっぺんまでまじまじとぼくを眺め、ちょっと間をおいて笑いだした。
モモちゃんの笑いは止まらず、その笑い声はだんだん大きくなり、そのうちぼくもつられて笑いだした。
笑いながらモモちゃんが
「それなに!?」と聞く。
「なにが!?」
「だからなによそれ……ぷっ……」「……。」
そしてまたお互い笑った。
「ぷっ…その腕どうしたのよ!?」
「……高円寺のバンドマンと喧嘩して……ぷっ……。」
「ぷっ……キャハハハハハ……」
川越駅の改札を境にあちら側とこちら側でふたりで大声を出して笑った。笑いすぎてしまいには涙まで出てきた。
結局ぼくは改札を通らずに笑いながらCDを返し、モモちゃんも笑いながらそれを受け取って会話という会話もせずに別れた。
階段を下り、プラットホームに足を降ろしたときに、やっと笑いは止まったが、電車に乗っても目から溢れ出る涙は止まらなかった。
数日後、ぼくは髪を黒く染め、東京の白い煙をかき分けながら物凄いスピードで走る山形新幹線に乗り、建物が密集した街から田んぼや山や川へ移り変わる景色をぼんやり眺めながら山形へ帰った。
そして実家の畳にだらっと寝そべって、夏の虫の鳴き声を静かに聞きながら残り少ない夏休みを過ごした。
村井守(ミュージシャン)
1978年1月15日生まれ。やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」ドラム担当。
『ぼくは珈琲が好きです。このページを使って、珈琲と自分にまつわる話を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
[2008年02月11日]
vol.6「マックスコーヒー」

ぼくはCDウォークマン片手に千葉行きの電車に乗っていた。目的地は千城台。千葉駅で総武本線成田行に乗り換え都賀まで行き、そこからモノレールに約10分乗り終点にあるのが千城台だった。
千城台駅を出るとすぐにラパークというデパートがある。そのラパークに面した道を都賀から来た方向とは逆に50メートルほど歩くと十字路がある。
その交差点を越え一本目の道を右に入り200メートルほど行くとそのひとが住むアパートがあった。
アパートに着きドアを叩く。
反応がない。
ぼくはいつものように鍵のかかっていないドアを開け、中に入ってひとりタバコを吸った。
しばらくするとここに住むそのひとが帰ってくる。
帰ってくるなり早速そのひとは「今日は何が聴きたい?」と言った。
ぼくがリクエストすると二階建てのアパート中に響きわたる大音量でレコードを流した。
部屋中にバンドのポスターが張りめぐらされ、棚に入りきらないレコードとCDの山がオーディオの前にびっしりと並び、テレビの前にはダウンタウンのビデオやバンドのライヴビデオが大量に平積みされている。テーブルには、ジュースの空き缶が所狭しと並べられ、その真ん中にはシケモクで埋め尽くされた巨大な灰皿がでんと腰を下ろしていた。
オープニングの一曲を聴き終えると、その興奮覚めやらぬままぼくらは近くのコンビニに行ってガーナチョコレートとマックスコーヒーを買った。
部屋に戻り、次々にレコードをターンテーブルにのせていく。体温がぐんと上がり、部屋の気温も上がったところで甘いチョコレートを頬張りながら、そのチョコレートよりももっと甘いマックスコーヒーをすすった。
誰にも邪魔されない完璧な時間が始まった。
東京に着て数ヶ月で自分を見失い、東京にのまれたぼくにとってそこはまさしくパラダイスだった。
ぼくは約1時間50分かけてこの千城台のパラダイスに何度も何度も通った。
パラダイスの主は峯田和伸。
高校時代、峯田はぼくのひとつ前の席に座っていて、勉強ができないぼくにひとつひとつ丁寧に勉強を教えてくれた。
けれど一緒に遊んだり、共通の話題で盛り上がるというようなことは卒業が近くなるまで一度もなかった。
昼休みになるとぼくは同じサッカー部のクラスメイトと一緒にわいわい言いながら弁当を食べていたのに対し、峯田は自分の席から一歩も動かずにCDウォークマンのイヤホンを耳に装着し音楽を聴いていた。
先生の都合で授業がとび、自習の時間になるとぼくはすかさず席を立ち、仲間のとこへ行って部活のあとの遊びの計画を練ったり、廊下に出て授業中の女子クラスへ行き(ぼくの高校は男子クラスと女子クラスが別れていた)廊下から可愛い女子を拝見しに行っていたが、峯田はやはり自分の席から動かずに、じっと音楽に聴き入っていた。
峯田は毎日違うCDをたくさん持ってきていた。
「なに聴いてるの?」
音楽に無頓着なぼくがそんな気の利かない質問をしたのがきっかけで、ある日峯田が90年代を代表するバンドのCDをたくさん貸してくれた。
ぼくが連んでいたクラスメイトのサッカー部の仲間は、当時「ファインボーイズ」や「ブーン」、「メンズノンノ」などのファッション誌を熟読しており、そこで紹介されるファッションを通じた音楽を聴いていたので、先月号にリズム&ブルースが紹介されていればリズム&ブルースを聴き、ヒップホップのグループが紹介されていればヒップホップを聴き、翌月にUKロックのバンドが紹介されればそれを聴いていた。
そういう友達の影響でバンドの名前を微かに知ってはいたが、なにせぼくの家にCDラジカセが入ってきたのが高校に入ってから。その当時聴いていたものといえば、7つ上の兄がカーステレオ用につくったテレビドラマの主題歌中心に構成されたミックステープぐらいだった。たまにレンタルCD屋に行ってはいたが「巷のクラブで話題沸騰!! これがかかればフロアは大盛り上がり!!」というようなコピーが書かれたCDを借り、ろくに聴きもしないですぐに返していた。
そういうことだったので、峯田に借りたCDのほとんどが初めて聞く名前のバンドだらけだった。
家に帰り、借りたCDをパイプベッドの上に広げてみる。
音楽の情報量も知識も、他の友達とは一線を画した本物の人から借りたCDがぼくの部屋にある……。
それだけで充分満足出来た。
……当時、ぼくには実はもうひとり音楽を教えてくれる先生がいた。
南盾の会田くんだ。
高校は違ったが同じ中学に通っていて、家が近いというのもあり、実家でタバコを吸うなんてありえなかったぼくは高校に入ってからは月に一度夜中に会田くんの部屋へ忍び込んでは一緒に将棋をさしながらタバコを吸った。
将棋をしながら会田くんはザ・ビートルズやボブ・ディラン、ザ・バンド、ザ・フーなどを聴かせてくれた。
60年代のバンドのレコードが壁に飾ってあるヤニ臭い会田くんの部屋。
いつものように将棋に負け、ぼくがぶつぶつ文句をいい出すころになると、部屋の中央にある薄明るく光るグリーンのスタンドライトにぼんやり照らされた会田くんがギルビーのジンをコーラで割って飲みながら「この歌声たまんねえべぇ」と言いながらジャニス・ジョプリンを流した。
そうして会田くんの家を出たぼくの耳にはいつまでも彼女の歌声がこびりつき、等間隔でぽつん、ぽつんと真っ直ぐに立っている外灯が真夜中の闇に包まれた帰り道を優しく照らした。
会田くんはたくさんのレコードとCDを聴かせてくれたが、彼は決してぼくにそれらを貸すようなことはしなかった。聴きたければ自分の足で聴きに来い、というのが会田くんの信条だった。Gパンとバイクとセブンスターをこよなく愛し、同い年とは思えないほど考えが古く、頑固で意志があり、部屋の薄暗い雰囲気と60年代の音楽と酒がよく似合う男だった。
音楽の先生である会田くんのCDを借りることが出来なかったぼくが、ひとつ前の席に座る新しい先生に90年代を代表するバンドのCDを大量に借りれたことは、とても嬉しい出来事だった。
それらのCDの中で、なぜか時代を代表するバンドにはあまりピンとこなかったが、このバンドのこの曲が良かった、と言うと、じゃあこういうのも好きなはず、と次から次へとCDを貸してくれた。
そしてとうとうぼくらはふたりで遊ぶ約束をした。
雪が降っている日だった。
初めて峯田の家にいった。
彼の部屋の壁には雑誌から切り抜いたアーティストの写真がたくさん貼られていた。
壁に貼られたアーティストのことを夢中で話す峯田。
その話を聞きながら写真を見ると、まるでそこから音楽が聴こえてくるようだった。
そして初めて遊んだふたりがお互いのことをひとしきり語り合ったあと、峯田は「凄いビデオがあるんだ」と言って、ぼくをビデオデッキのある別室に案内した。
95年のMTVを録画したビデオだった。
いまでもはっきり覚えている。
メンバー全員が真っ黒いスーツを着て演奏するビースティボーイズ。マイクD以外のメンバーはサングラスをしている。MCAはそこから一歩も動かずにガムを噛みながらベースを弾く。アドロックは短いストラップでギターをもち、叫び散らしながら歌っていた。
文句なしにかっこよかった。
演奏が終わり、ステージがゆっくりと回転する。
……。
壁で仕切られた円形のステージ、回転しながらフェードアウトするビースティボーイズ、そして回転しながら登場する……赤や緑色に髪を染めた三人。
回りきらないうちに爆音で演奏が始まった。
グリーンデイだった。
ビリージョーはピチピチで裾の短い真っ黒いズボンを穿き、Tシャツにネクタイをして、唾を撒き散らしながら歌っている。カッと見開いた目は今にも目の玉が落ちそうなくらいだった。そしてなぜか、その横で仰向けになって頭のとこで腕を組んで宙を眺めているスタッフ…。
これまでのぼくが好きな色、好な食べ物、好きな女の子のタイプ、好きな匂い、好きな裏道、嫌いな言葉、嫌いな先輩、友達への接し方、親への接し方……、あらゆる行動を決定するときの自分の基準を、ぼくの中にあった価値観をこのとき全て忘れてしまった。
衝撃的だった…。
ただただ衝撃的だった…。
外はすっかり雪が積もり、一面銀色の世界だった。
帰り際、お互い進学先が東京と千葉だし、あっちで一緒に遊ぼう、と約束をして別れた。
その日から数カ月後、ぼくらは約束通り千葉の峯田の部屋で一緒に遊んでいた。
その頃にはぼくも自分でレコードを買うようになっていた。
その大半がこの千城台のパラダイスにあるレコードや、峯田から教えてもらったバンドだった。ぼくは買うべきレコードのバンド名やアルバムタイトルを教えてもらい、それをくしゃくしゃのメモ用紙に乱雑に書きなぐってはレコード屋に駆け込んだ。
狙っていたレコードがあったり、思いがけず発見したレコードとの出逢いがあるとたまらなく嬉しかった。
峯田と一緒にレコード屋に行くときは特に楽しかった。
レコードを物色しながらその場でお薦めのものを教えてもらい、選び抜いて買ったあとは公園に行き、包装ビニールの封をあけ、買ったレコードをふたりでまじまじと眺める。
ぼくは家に帰ってそれらを聴いたあと電話で感想を伝えた。
東京で喜びを分かち合える友達が出来た。
この友達はぼくをひとりにしない、そう確信したときから東京でぼくはひとりじゃないと思った。
ある日、ぼくは学校でのぼくと、ひとりでいるときのぼくのギャップに耐えきれず、それを日記に記すことにした。
「わたしは何者かに自分自身を支配されている そのせいでわたしは不安の闇の中から抜けだすことが出来ない」
当時読んでいた私小説の言葉を借りて手の動くがままにペンを走らせた。
96年7月、何を血迷ったのか、ぼくは自分の中だけに閉まっておくはずの日記を恥ずかしげもなく手紙に書いて峯田に送った。
郵便ポストの前で、手紙を送るのを何度もやめようと思ったが、そのときのぼくは完全に彼に心酔し、頼りきっていた。
「信頼する君へ…」
返事はこなかった。
学校は夏休みに入り、手紙を出した数日後、ぼくは千城台のパラダイスに行った。
峯田は何事もなかったようにいつものようにたくさんのレコードを聴かせてくれた。
大音量でさんざんレコードを聴いたあとで、マックスコーヒーを買ってふたりで近くの公園へ行き、タバコを吸った。
さっきまでたくさんの曲にどっぷり浸り、興奮と真夏の暑さのせいで体温がぐんと上がっていたふたりが、しんとした真夏の夜の公園でつめたく冷えたカラダがとろけるほど甘いコーヒーを飲んでいる。
さっきまでの喧騒が嘘みたいなこの静寂に包まれた空間を共有している。
ぼくは彼に友達以上の違った何かを感じていた。
いまこの世界にはふたりしかいない。
そう思えた。
夜、帰り際に一本のテープを渡された。
家に帰って初めてそのテープを聴いた。
ミックステープだった。中にはふたつ折りされた紙が四枚。バンド名と曲名、そして一曲一曲の解説が紙びっしりに書いてあった。
60年代から90年代にかけての様々なジャンルの偉大なミュージシャンたち。
それら一曲一曲の解説文には、バンドのデータも、歌詞の内容も、読んでいるだけで音が聴こえてくるようなバンドに対する思い入れも書いていた。
そして要所要所にぼくに対するメッセージも書いてあった。
「おまえは間違っちゃいない おまえはひとりじゃない この曲はおまえの曲だ」
それを読みながらぼくはラジカセに向かって正座し、メッセージを読んでは目をつぶりながら曲を聴いた。
ぼくはたぶん間違っていたはずだ。
ぼくの行動も考え方も言っていることも歪んでいたはずだ。
だが峯田はそれも全部ひっくるめて豪快にいとも簡単にぼくを肯定してくれた…。
……頭が勝手に会話をしようとする。
ぼくは頭の中の思考を無理やりストップさせ、スピーカーから溢れ出す音にじっと耳を傾けた。
……メラメラと湧いてくる感情。
悔しさ。憎しみ。嫌悪感。喜び。希望…。
おさえることのできないあらゆる感情が内側から溢れ、音が創り出す風景の中で解放された。
これら一曲一曲が、ぼくが出したあの自己陶酔しきった手紙に対する怒りと優しさを含んだ峯田の返答だった。
喜びを共有できる友達は東京に他にもいたが、孤独を受け入れてくれるのはこの友達と音楽だけだった。
そして最後に、峯田のオリジナルの曲が弾き語りで入っていた。
涙が勝手に溢れでた。
「もしおまえがダメだなんて思ったら もうおまえはダメだ それはおまえの問題で、僕には何もできない 思い込みはよしてくれ ぼくはできると思いたい できる できる できる」
自室のシャワールームで録音した峯田の絶叫にならない絶叫がテープにメラメラと焼き付いていた。
そのメロディーの美しさは、ぼくを否定しながら、ぼくの全部をがっしりと受け入れてくれた。
……窓を開ける。
ぼくの部屋に申し訳なさそうに差し込む光が白い壁を伝い、徐々にぼくに近づき、しまいに濡れたあごに触れた。
……気がついたらもう朝だった。窓の外に目をやると、ギラギラした夏の太陽が慌てて顔を出し、あらゆるものを金色に照らし始めているところだった。
村井守(ミュージシャン)
1978年1月15日生まれ。やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」ドラム担当。
『ぼくは珈琲が好きです。このページを使って、珈琲と自分にまつわる話を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
村井守
プロフィール
1978年1月15日生まれ。やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」ドラム担当。
銀杏BOYZ 公式ページ
(PC)
www.hatsukoi.biz
(携帯)
www.hatsukoi.biz/
boyz/i/
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