[2007年11月28日]
vol.5「白い煙」

東京に来たばかりのぼくは初めてのひとり暮らしを楽しんだ。
どうしても輝ける未来を見いだせなかった山形での生活から抜け出し、すべてがそこにあるであろう東京での輝ける生活を始めたぼくは希望に満ち溢れていた。いまだかつて見たことのないたくさんの光景……。いったいどんな冒険がぼくを待ち構えているんだろう……。
不安の要素などまるでなかった。どう転がっていくかわからないこの先の自分のことを考えると楽しくてしょうがない。
将来にたいする不安すら当時のぼくには実体のない期待と希望をもって受け入れられた。
今でもはっきり覚えている。東京に向かう新幹線の窓から見た、青く透き通った空に浮かぶ白い煙に包まれた東京を。
ぼくのひとり暮らしは専門学校で将来の自分や家族のために生きるための技術を身につけることが目的ではない。
この魔法の煙の中でたくさんの冒険をし、たくさんの夢を見ることだ。
バイトもせず、時間を持て余していたぼくは授業を終えるとすぐに高円寺駅前へ繰り出した。山形にはないたくさんの古着屋や古本屋、レコードショップ……。一通り店を回った後は喫茶店に入ってミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲みながら物思いにふけった。
別の日には新宿へ行った。東口に立ったぼくは、あまりの人の多さに驚いた。
押し合いへし合い体を密着させながらも、どこかはるか遠くへ意識を飛ばし、互いに目を合わせないよう宙を見つめるたくさんの人を乗せた朝の通勤ラッシュ時の満員電車にも衝撃を受けたが、それ以上だった。
これほど多種多様の人間を同時に見たことはいまだかつてなかった。
たくさんの人、人、人を見てはいちいち驚き、注意深く観察した。
背筋をピンと伸ばし、正確な歩幅で歩くスーツを来た中年のサラリーマンが、背中を丸め、だぼだぼのズボンを引きずりながらタバコを口にくわえてプカプカ煙を出して歩くドレッドヘアの若者と談笑しながら並列して歩く様に自分の目を疑った。
そしてモデル顔負けの抜群のスタイルと美貌をもった女性があちらこちらで平気な顔をして歩いている……。いやもしかしたらほんとのモデルさんだぞ!?
なのにだーれも彼女たちを見つめない。あたかもこれが日常かのように。
おや…。
上下カールカナイの派手なジャージを着た少年グループがタバコを吸いながらたむろしてるではないか……。悪そうなのが10人くらい……。おっかねえ。実家の近所のだだっ広いコンビニの駐車場に夜になると必ずたむろしてた少年グループよりだいぶ風貌が恐ろしい……。どの家でも夜はコンビニに行くなって言われてたくらい彼らは恐れられてたはずなのに……、誰もが近寄れなかったはずなのに、ここ新宿では人が彼らの前を平気で横切って行く。よく見るとそこから1メートル圏内に立ち、平気な顔をして待ち合わせをしている女性までいる……。その女性のすぐ後ろでは浮浪者がワンカップを飲みながら平気でゲップをしている……。
危険じゃないのか……。
みんな平気な顔して…。
これが新宿の日常なのか……。
なんなんだこの街は…。
どうもぼくが住んでた世界とはまるっきり違うようだ……。
世界は大変なことになっているんだ。
これが現代なんだ。
目の前に見えるいまだかつて見たことのない光景……。
……!!
これが東京なんだ!!!!
そして今まさにぼくはぼくが望んだ通りの東京に紛れもなく住んでいるんだ!!
人混みに身をまかせ、少し歩くと見たこともない巨大な横断歩道に出た。右に目をやると大通り沿いには空を支えているかのような巨大なビルの柱がびっしり立ち並んでいる。信号待ちをしてるたくさんの人達をのみこむこの新宿の巨大なビル群はいったいどこまで続いているんだろう…。
そんなことを考えながらやはり人混みに流されるがままにぼくは歌舞伎町へと歩いて行った。
こんな調子で日々を過ごしたその頃のぼくには、街で見る何もかもが新鮮で、そのひとつひとつにこれが東京なんだ、と胸のうちでもっともらしくうなずき、そこに立っている自分に喜びを感じた。
この春に東京に出てきた山形の友達と会うこともとても楽しみだった。学校でのこの一週間の出来事や真新しい東京の光景や体験したこと、ひとり暮らしの失敗談などを頭の中で整理しながら、オレンジ色や黄色の電車に揺られ友達の住む街へ行く度に、まるで遠足にでも行くかのように胸が躍った。
改札口を出て、友達の待つロータリーへと足早に歩く。日差しのいい春の光を全身で浴びながら、会えば話はつきることがなく、同じ故郷を出てきた者同士から見た東京を共有し、時間があればあるだけ話していた。
大抵は友達の家に行き、しばらく話をすると近くの公園に移動して缶コーヒーを飲みながらまた話した。しとしきりお互いの報告が終わると大抵は女子の話になる。学校で好きな娘ができたか、可愛い娘がいるか、その娘はどんな服を着ているのか……。
ぼくは高円寺と新宿の女子層の違いや、そしてもちろんモモちゃんの話もした。
山形の友達のひとりで、武蔵野美術大学に通っていた岩城は大学から2分のアパートに住んでいたため、武蔵野美術大学の女子の話で盛り上がると実際に大学へ行き、女子大生を観察した。
だだっ広い校内の中庭ではスケボーをする学生や油絵を描く学生、彫刻を制作する学生、一見よくわからないが何やら現代アートらしきものを制作している学生がいたるところにいた。
山形では見たこともないようなモダンで際立った服を着た学生が目立つ。岩城はそういう際やかな形や色をした服を着た女子に熱くなり、ぼくはそういう娘と連みながらもそれとは対照的にGパンにボーダーのTシャツ、の上に地味な色のガーディガンを羽織っているようなこの学校では一見地味に見える女子に熱くなった。
そしてついには学生食堂まで行き、おしゃべりにふける女子大生を観察しだした。ぼくは、すっかりこの大学の学生になったつもりで得意げにタバコをふかしながら女子を眺めた。
しばらくすると見知らぬ男子が標準語で岩城に話しかけてきた。それまで「んだず、んだず」言ってた岩城は、なんの気負いもなしに「そうだよねぇ」と標準語で受け答えしている。
どうやら岩城にはもう大学の友達ができているようだ。「こいつ山形の友達、すげぇオナニーが大好きなの。面白ぇ奴だよ。」なんて紹介され、ぼくも図にのって挨拶替わりに「小指と親指だげでこすっとキモヂいんだず」と言うと、真剣な顔つきで発せられる突然の東北訛りに岩城の友人は声を大にして笑った。
岩城はその友人に、あそこに座っている女子たちは知り合いか、と聞いた。知り合いなら紹介してもらうつもりでいるようだ。
岩城はもう東京で友達が出来ていた。そしてさらにその輪を大きくしようとしている。そのことにぼくは焦りを感じた。ぼくはといえば、標準語を話すのが怖いあまりになるべく同じ学校の生徒とは会話をしないようにしていた…。
山形の友達とそういう時間を過ごしたあとにひとりで乗る帰りの電車は淋しかった。頭が勝手に友達とぼくを比べようとする。
明日こそ何かあるんじゃないか、もうとっくに心の準備はできている、明日こそぼくを東京の白い煙が飛びっきりのワンダーランドへ運んでいってくれるんじゃないか、そう思っていた。
……けれどそんなことはあるはずなく、毎日が昨日と同じ一日の繰り返しだった。
また明日から学校だ。目的なしに入った学校での授業にも身が入らない。周りの生徒にどう馴染むかばかりを考えているわりには、なんの進展もないまま一日が終わる。だんだんとぼくはこの学校に馴染むことをあきらめようとしていた。
そしてついにこの学校でのもうひとりの自分を作り上げた。
無口で存在感のない、没個性的な生徒。一学年約100名、ぼくの所属するデザイン科は40名にも満たないこの小さな学校で存在感を消すことは容易ではなかったが、休み時間は学校内の図書館へ逃げこむなどしてなるべく授業中以外での他生徒とのコミュニケーションを避けた。そこで適当に画集を選び、じっと観ているといつの間にかその作品に吸い込まれ、そのときだけが息苦しさから逃れることが出来た。
美術大学に比べたら小さい図書館だったが、中世美術から現代アートまでの美術本、写真集やスタジオボイスなどの雑誌、各種参考書など美術に関するあらゆる書物が所狭しと棚に押し込まれ、美術といえば「印象派」しか知らない田舎者の18歳にとっては充分すぎるほどだった。それに映画のチラシや美術展のチラシ、割引券もたくさん置いてあった。
そのうち休憩時間では読み足りなくなり、借りれるだけ借りて家に持ち帰ってはコーヒーを飲みながらじっくりと丁寧に美術本をながめた。
葛飾北斎の『凱風快晴』に酔いしれ、クリスチャン・ボルタンスキーの『D家のアルバム』とにらめっこし、もらえるだけもらった映画や美術展のチラシを眺めては、じっくり吟味し1本に絞ってひとりで街に繰り出した。
最初に東京で観た映画は、渋谷のスペイン坂を上がった左手にあるシネマライズで上映していた『アンダーグラウンド』という戦争映画だった。
渋谷駅に降り立ったぼくは、駅前のスクランブル交差点でたくさんの人に混ざり信号待ちをしていたが、信号が青になったと同時に四方から雪崩れのように人が一気に押し寄せ、一瞬めまいがして倒れそうになり、映画どころではないと思ったが、なんとか受付でチケットを買って観た映画はとても強烈な内容だったことを覚えている。
たまにぼくを「家に来なよ」と遊びに誘ってくれる専門学校の同級生もいたが、アルバイトがあるからと言ってやんわりと断った。
実際にアルバイトを始めたが、お金に困っていたわけではない。ぼくの住んでいた学生寮では朝、昼とご飯は出たし、家賃以外にも最低限の生活ができるぶんだけの仕送りはしっかりともらっていた。
ぼくにとってのアルバイトとはぼくと同級生との間に頑丈な壁を築くための手段だったのだ。
大型百貨店のウィンドウディスプレイのバイトは周に二日、ビルの解体や引っ越しなどの派遣の日雇いの仕事は周に一日。日雇いのバイトのときは、昼の部よりも給料が高い深夜の方を選んでいたので、明け方寮に帰ることになる。門限の夜11時を過ぎると管理人のおじさんは入り口に鍵をかけたが、明け方寮に帰ることは規則には違反してないものの、規則違反以上におじさんの機嫌を悪くし、おじさんのいる朝の食堂へ行くのを避け、学校へも行かずそのままベッドに潜った。
そのバイトを始めたくらいから少しづつ生活のリズムが変わっていった。学校も決まった授業さえ出れば単位をもらえる。ぼくはある時点で安定を失いだした。
山形の友達と会っていないときはどんどん自分の世界にこもっていった。
膨大なひとりの時間。ほんの数ヶ月でこの寮の狭い四畳半の部屋から抜け出したくなった。
あれだけ東京のひとり暮らしに期待と希望をもっていたぼくが、いざ実行してみると淋しくてたまらなかった。専門学校の同級生と話さないのは訛りが恥ずかしい、標準語を話すのが怖いからではなく、どこかで彼らを見下していたぼくは彼らより優位に立っていたかったのだ。そして彼らに空っぽの自分を見透かされるのが怖かったのだ。
実体のない期待や希望は不安に変わり、どう転がっていくかわからないこの先の自分の人生を考えると苦しくてしょうがなかった。恨むべき相手はどこにもいない。この生活を望んだのは他の誰でもなくてぼく自身だ。
あまりにもろい自分が一体なんなのかを考えるようになった。しかし空っぽのぼくが考えてみたところで同じ場所をぐるぐる旋回しているだけで何も答えは出てこない。旋回したまま、宙に浮いた東京という夢の島から自分でも気付かないほどゆっくりとしたスピードで地上へ落下していき、とうとう地面よりもさらにもっと深いところへ落ちていっている気がした。
ショックだった。要するにぼくは自分自身に絶望していた。実家を出て東京に来さえすれば誰かがぼくにたくさんのチャンスを与えてくれると思っていた。
ぼくは早くも東京の白い煙に全身を包まれ、自分の居場所を見失っていた。
村井守(ミュージシャン)
1978年1月15日生まれ。やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」ドラム担当。
『ぼくは珈琲が好きです。このページを使って、珈琲と自分にまつわる話を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。』

CD「光」発売中!!
M1.光
M2.ナイトライダー
発売日 11月21日(水)
定価 1,050円(税込)
発売元 初恋妄℃学園
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[2007年11月12日]
vol.4「赤いジャンパー」

ぼくが通っていた阿佐ヶ谷美術専門学校では、入学式から数ヶ月経っても一向に友達は出来なかった。
学校の連中はとにかくお洒落で、何万もするGパンを履いてくる人や、鼻にピアスをあけ、脹ら脛にタトゥーをいれてる人、ベスパに乗って3つボタンのモッズスーツを着てくる人、赤い髪、青い髪、緑色の髪、昨日雑誌でみた「今シーズン一番熱い」ファッションを学校中で見ることができた。
中学の頃から着てる時代遅れのエドウィンのGジャンと、高校の同級生から借りっぱなしのボロボロのGパンでは到底太刀打ち出来るわけがない。
しかし、ぼくにはお気に入りの真っ赤なジャンパーがあった。このジャンパーは山形での最後の冬に買ったもので、それまでで一番高い買い物だった。
雑誌に紹介されていた2万円のアバクロンビーの真っ赤なアノラックジャンパー。ぼくはそれを小学生から貯めていた貯金を使って東京のお店から買ったのだった。
それにしてもみんな派手な格好や派手な色の髪をして、よくもまあ堂々と街を歩けるもんだと思った。が、内心は羨ましいと思っていた。彼らは若さを十二分に謳歌していた。
同級生の彼らからは、「ムラッチ」というあだ名で呼ばれ、最初はぼくの東北訛りも面白がられていた。
そう、ぼくは彼らと友達になる機会はいくらでもあった。
「新宿のクラブでイベントやるからさ、ムラッチも来なよ」「ムラッチはどこのショップに行く?」
「どんなん聴いてんの?」
ぼくは少しでも彼らに近づければいいと思って、デタラメばかり言っていた。
けどやっぱり話なんか合うはずがない。ショップなんて知らねえもの。音楽なんて聴かねえもの。
今、君には彼女がいるか、ナンパはしたことがあるか、いつ童貞を捨てたのか、君はどんな生活をして、将来は何になりたいのか、不安はないか、毎日眠れる?……ぼくはそこに興味があるんだもの。
まだ肌寒い6月のある日の夕暮れどき、学校を終え、いつものようにお気に入りの真っ赤なジャンパーを着て武蔵境駅から寮までの道を歩いて帰った。
その途中、ぼくの足は駐輪場へと向かった。
他人の自転車を盗むためだ。
小学四年生のころ、真夏のプールの帰りによった近くのババ店「さとう商店」で、ぼくは見た。
中学生が冷凍庫にさっと手を入れ、すかさずスイカバーをポケットに入れた瞬間を。
ぼくはすぐに店のおばちゃんに伝えた。何事もなく仲間とともに自転車にまたがろうとした犯人の中学生はいとも簡単につかまった。
ぼくにとってその中学生は完全に「悪」だった。けれど中学生のその「悪」の行為にドキドキしたのも事実だった。
高校生になるとぼくは山形駅前の駐輪場やパチンコ店の駐輪場で鍵の掛かってない自転車を盗むことを覚えた。
鍵の掛かってない自転車なんてあるわけない。
…けれど、あるのだ。
武蔵境の駐輪場で、ぼくは他人の自転車にまたがり、ゆっくりとペダルを踏む。東京に来てこれが二度目だ。…罪悪感と達成感、そしてスリルがあった。
この日はなぜかいつも通る独歩通りの商店街とは違う大通りを通って帰った。
…警察官がいた。
二人の警察官は自転車に乗っている人を道で止め、盗難車かどうか調べている。
ぼくには声をかけてこないだろう。ライトも点けてるし、なにも怪しまれる要素はないはずだ。
50メートル、40メートル、30メートル、徐々に警察官との距離が縮まる。
距離が10メートルになったとき、ぼくはとっさに警察官が立っている歩道と逆の車線へ移動した。
急に怖くなったのだ。案の定それがまずかった。
警察官が「すいませーん。ちょっといいですか?」と声をかけてきた。
ぼくはとっさにペダルを思い切り踏んだ。
「止まりなさい!!おい、止まれ!!」後ろから聞こえてくる警察官の声がさらに自転車のスピードを上げた。
「おいっ、止まれ!!」
声が遠くならない。と、一瞬後ろを振り向くと物凄い形相をした警察官が走りながらぼくに向かって真っ直ぐに手を伸ばしている。
ママチャリが出せる最速のスピードにも関わらず、なんとこの警察官は自転車にぴったりついてきていた。
「うおー!!!!」
ぼくは自転車をこぎ続けた。
スピードを落とさず大通りを左折する。もう警察官は走ってきていないことはわかったが、ただひたすら前を向き全身の力を込めてペダルを踏み続けた。
もう長いこと走った。足もガクガクだ。
車が近づいてくる音が聞こえたので道を譲ろうと一度後ろを振り向いた。
パトカーだ……。
「ぬ、ぬぅー!!!!」
再び全速力。
右折して左折して…、車にかなうわけないが、ぼくは歯をギシギシ音がなるほど食いしばり、ありったけの力を使って闇雲にペダルを踏んだ。
長い直線の通りに出た。パトカーのスピーカーから出る「止まりなさーい」の声がどんどんどんどん大きくなる。
もう駄目だ!! 諦めよう。
バチン!!
自転車後部の泥除けにパトカーのフロントバンパーが当たる。
その瞬間、視界の左端に畑が見えた。ぼくは迷わずその畑に加速する自転車からダイヴした。
ガラガラガッシャーン!!
早く、早く逃げなければ!!
赤いジャンパーが土にまみれる。
ひぃー!!
……。
足が動かない…。
自転車をこぎすぎたせいか、警察に追われてるという恐怖からか、ぼくの足が動かない…。
畑のぬかるんだ土の上に立つことで精一杯。
それでも警察に捕まりたくないという気持ちが、ぼくの足を一歩一歩前へ動かした。
怖くて自転車がどうなったか、警察官がどこまで来てるのか後ろを振り向けなかった。
なんとか民家の塀を乗り越え、鎖につながれた柴犬に吠えられながら庭を抜け、民家の向かいにある高層マンションへ逃げ込んだ。そのとき、逃亡していたぼくの特徴的な赤いジャンパーを、マンションの乾いた側溝に無理やり押し込んで隠した。
階段をしゃがみながらマンションの最上階まで登る。
何時間経ったろう。おそらく実際には30分くらいだったが、そのときのぼくには何時間にも感じられた。最上階から街を見下ろすとパトカーが何台も増え、武蔵境駅前は見たことがないほど騒々しかった。
ようやく気持ちを鎮め、意を決してマンションをあとにした。ジャンパーは後日取りに来よう。
寮へ向かって歩いて帰るぼく。
空はもう真っ黒い闇に包まれている。
しばらく歩くとぼくの行く手に警察官が立っているのが見えた。もう逃げられない。どんどん距離が近づく。心臓の鼓動が激しくなる。赤いジャンパーは着ていない。
唾を飲みこみ感情を押し殺し、涼しい表情を浮かべた。
警察官は一瞬ぼくの顔を覗きこんだがどうやら気づいていないようだった。
なんとか自分の部屋に着くことが出来た。
自転車の窃盗で実家に連絡がいけばぼくはもう親に見せる顔がない。
どうしても捕まりたくなかった。けれどあんなに必死に逃げるぼくを見て、おそらく警察はぼくのことを自転車窃盗以上の重罪を犯している犯人だと思っているだろう。
ぼくは部屋に着き、まずコーヒーを淹れた。あったかいコーヒーを飲みながらカーテンからそっと外を覗きこむ。
ぼくは寮から一歩も外へ出ず、四畳半の部屋に丸三日間たてこもった。その後、ぼくが隠れたあのマンションへ向かったが、側溝にはお気に入りの真っ赤なジャンパーはもうなかった。
四日ぶりに学校へ行く。いつもと変わらないコンクリート打ちっぱなしの冷たい建物。
いつもと変わらず彼らはキラキラしていた。ぼくにはそう見えた。何の変化もない退屈な日々をぼくはどうしても楽しむことができなかった。
たまにぼくに話しかけてくれるタクちゃんは、原宿にある実家から通うハーフで、バンズのハイカットの上から覗く昇り竜のタトゥーが見えるよう太めのショートパンツを履いていた。
髪はモヒカンをドレッドにしていて、ぼくはよく「ムラッチもモヒカンにしなよ」と言われた。
タクちゃんとなにげない会話をすることがなんだか東京に来た証のように思えて、ぼくから話題をふることはなかったが、理解出来ない彼の話をさも楽しそうに相づちを打って聞いていた。
ごくたまにぼくから話題をふるとしても、興奮するとどうしても訛りがでるぼくに「え!? 今なんて言った」と聞き直されることがショックで、やはりぼくはタクちゃんの話を聞いていることにした。
ぼくにはもう一つタクちゃんと話す楽しみがあった。タクちゃんと仲のいいモモちゃんの存在だ。
体も顔もちっちゃくて、少動物みたいな可愛いらしさを持っている。けれど誰よりも気が強い。
髪はポニーテールで黒い網タイツの上にピッチピチの短いヒョウ柄のミニスカートを履いたモモちゃんを初めて見たとき、ぼくは学校から高円寺駅まで全力でダッシュした。
夏はバンビのイラストがプリントされたピッチピチのTシャツ、冬はヴィヴィアン・ウエストウッドの赤くてタイトなツイードのスーツ。スカートは超ミニ。近くで見れば見るほど、近くで話せば話すほど可愛い。
可愛くってとびっきりかっこよかった。
ぼくは絶対にそうは呼ばなかったけれど、デザイン科の彼らは恐ろしいほどパンクロックに詳しいモモちゃんを「パンキー・モモ」と呼んでいた。
偶然にもタクちゃんとモモちゃん、そしてぼくは同じデザイン科の同じクラスの同じ班だった。タクちゃんはモモちゃんとすぐに対等に会話をしていた。ぼくがモモちゃんと対等に話すにはタクちゃんとつるむこと以外にない。
そうしてある日、タクちゃんが、知り合いのバンドが渋谷でライヴをやるからモモもムラッチも行こうよ、と誘ってくれた。
ナァー!!!!
ぼくは2つ返事でタクちゃんに着いていくことにした。
渋谷の109の前に集合して三人でライヴハウスへ向かう。
生まれて初めてのライヴ。
東京のライヴハウスだ。
その日は全部で3バンド。
最後に出演するタクちゃんの知り合いのバンドは近々アルバムをリリースするという。会場にはそのバンドを目当てに来た客が大勢いた。
最初のバンドがステージに登場した。
……。
なんだかとっても普通の人たちだ。
演奏を始める前にぼそぼそっと何か話すが、何を言っているかほとんど聞きとれない。暗い人たちだ。まるでこれから演奏する人に見えない。
ほとんどの客が床に座っている。
演奏が始まった。途端に何かにとりつかれたように表情が変わり、絶叫しながら思いきりギターをかきむしる。
何が起こったかまるでわからない。
彼らに客は見えていない。ぼくにはステージにいる彼らしか見えていない。
大地を揺らすほどの音がぼくの全身を包んだ。初めて体験する馬鹿デカい音と耳に残るメロディの波にのまれ、ぼくは目に涙をためた。
圧巻だった。
お洒落とは程遠い、ぼくとほとんど同じような格好をした人がステージに立って照明を浴びながらあんなに格好よく歌っている。
演奏を終えた彼らはぼくの中で伝説になった。
最後のバンドが登場するとそれまで座っていた客みんなが立ち上がった。
生まれて初めてダイヴする人を見た。ぼくは演奏しているメンバーよりも暴れてる客に目をとられた。
会場全体が熱狂的に盛り上がったが、どうしてかぼくは熱くなれなかった。最初のバンドがぼくにとって強烈すぎたからだろうか…。
みんながそのバンドに夢中になっているのに、モモちゃんは一番後ろの壁に寄りかかって見ている。モモちゃんに声をかけた。モモちゃんもつまらないと言う。
2人で外に出た。
空き缶や吸い殻が無造作に捨ててあるライヴハウスの入り口で、ぼくとモモちゃんは音楽の話をした。ぼくは音楽の知識なんて全然ない。モモちゃんはものすごく詳しい。音楽の話なんて噛み合うわけない。けれど、なぜかこのときは盛り上がった。
中からライヴの音と客の歓声やうめき声がもれている。モモちゃんの声が聞きとりにくい。
お互いの声を何度も何度も確認しながらたくさんの話をした。
そしてぼくはモモちゃんからたくさんのCDを借りる約束をして、寮の門限があるからと先に帰った。
モモちゃんを誘ってふたりきりで渋谷の街の喧騒の中に消えてしまいたい。何度もそう思ったが、そのときのぼくは、CDを借りる約束をしただけで充分だった。
村井守(ミュージシャン)
1978年1月15日生まれ。やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」ドラム担当。
『ぼくは珈琲が好きです。このページを使って、珈琲と自分にまつわる話を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。』
村井守
プロフィール
1978年1月15日生まれ。やぎ座。O型。山形県山形市出身。中学生の頃のあだ名は「ゴボウくん」。
バンド「銀杏BOYZ」ドラム担当。
銀杏BOYZ 公式ページ
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