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レギュラーコラム 末井昭

[2007年12月29日]
vol.16 空虚な愛

 上野に東京三世社という『実話雑誌』や『SMセレクト』といった雑誌を出していた出版社があって、そこでカットと描き文字をやらせてもらってたんだけど、たいてい夜呼び出されるんです。編集者が夕方から出てくるから。
 8時頃から机を借りて待機していると、編集者が「ここにカット描いてください」とか言ってレイアウト用紙を持ってくる。隣の机では、ベレー帽を被ったオジサンがサラサラ原稿を書いている。『実話雑誌』の原稿で、実話というからノンフィクションなのかと思っていたけど、実話はそのオジサンの妄想からどんどん出てくるんです。産婦人科でイタズラされた女性の手記とかね。
 僕も頼まれたカットや描き文字をその場で描く。突貫作業というか、現場でページがどんどん作られて行く。夜の10時、11時頃が一番盛り上がる時間で、僕も一番忙しくなる。「よし、メシ食いに行こう」とか「俺はちょっとトルコに行ってくる」とか編集者たちは言っている。「活気があるなぁ」と思いながら、モクモクと朝まで仕事をして、帰りのタクシー代をもらって帰ってくる。タクシーはもったいないから、始発の電車に乗るんだけど、グッスリ眠ってしまって気が付いたら電車の車庫に入っていたこともあります。
 その東京三世社で櫻木徹郎さんと知り合うんです。櫻木さんは編集をやりながら天象儀館という劇団に所属していて、その縁で天象儀館を観に行くようになって、荒戸源次郎さんや上杉清文さんを知るようになるんですけど、僕がアングラの世界を知るようになったきっかけは櫻木さんですね。のちに南伸坊さんが『さる業界の人々』という本を出すんですけど、この本に出てくるS君というのは僕で、Sさんは櫻木さんです。
 美學校に入ったのはアングラの影響もあったけど、出版よろず承り業に追われ、表現なんかどうでもよくなっていたからだと思う。カットや描き文字で自己表現なんてできないでしょう。かといって、表現欲がなくなっていたわけではなくて、表現を依頼されなかっただけのことで、表現欲は僕の中でくすぶっていたんでしょうね。
 美學校は難解本で有名だった現代思潮社が作った、いまで言うクリエーター養成学校で、その入学案内には「思想は教えられない。徹底した技術を教える」みたいなことを書いていたけど、実際は反対で思想を教えていたと思います。
 美學校を選んだのは、ファンだった赤瀬川原平さんが絵文字の授業をやっていたいたからです。他にも、木村恒久さんが図案、鈴木清順さんが映画を教えていたりして、錚々たる講師陣でした。しかし、入ったのは岡部得三さんのシルクスクリーン工房だったんです。僕にとって赤瀬川さんの教室は眩し過ぎて、近寄りがたかったんです。
 美學校に通ったのは半年ぐらいでしたね。シルクスクリーンで版画の真似事ができだして面白くなっていたんだけど、『NEW SELF』という月刊誌の編集を頼まれて、忙しくて行けなくなったんです。
 出版よろず承り業の中にはビニ本(当時は袋物と言ってましたが)の制作というのもあって、1册10万円ぐらいで請け負っていたんですけど、写真はすでにあるものをレイアウトするだけだったから割がいいんです。レイアウトったって写真はみんなタチキリですから。
 そのビニ本の仕事をもらっていた森下さんから、書店流通する雑誌の編集を頼まれたんですけど、それが『NEW SELF』。これが編集者の始まりです。
 チマチマした仕事なら自宅でできるけど、雑誌の編集となると事務所が必要なので、友達3人で千駄ヶ谷に部屋を借りて、3人の名前の頭文字を取って、ATMという銀行の自動支払機みたいな名前の事務所を作ったんです。アシスタントも必要だということで、美學校の同級生のTさんという女性に来てもらって。
 Tさんは僕より3つ下で、美術の先生を辞めて美學校に入ったと言ってました。美術とか表現の話ができる初めての女性で、だんだん仲良くなったんですね。
 Tさんと最初にセックスしたのは歌舞伎町のラブホテルでした。仕事の打ち合わせを新宿でしてたら雨が降ってきて、2人ともびしょ濡れになったんで、ラブホテルで服乾かしてから帰ろうみたいなことを僕が言って。「何もしないから」とか言ったかもしれない。
 ヌケヌケとよくそんなことが言えたと思うけど、チンチンが勃起していたからどうしようもないわけ。嫌がるTさんを強引にラブホテルに連れて行って、お互いずぶ濡れだから2人とも服を脱いで、寒いから2人でお風呂に入って、となるとセックスしないわけにはいかないわけで、ベッドに入ってしようとすると、Tさんが「泣くのは女の方だから」と言うので、「はて、なんのことだろう?」と思ったんだけど、コンドームのことだと気が付いて、あわててコンドームをチンチンに被せて。Tさんは処女でした。
 それからはTさんとセックスばかりしてましたね。事務所で仕事が終わると新宿に飲みに行って、そのあとラブホテルに行ったり。「今日は帰らないといけない」と言うと、「じゃあ送って行くから」とか言ってタクシーに乗り込んで、Tさんが住んでいたのはかなり郊外にある実家だったんで、タクシーの運転手さんが道がわからなくなって、ほとんど民家がないところをグルグル回っている。向こうにボーッとラブホテルのネオンが見えて、「じゃあここで降ろしてください」って、そのラブホテルに入ったり。いまでも鮮明に覚えているけど、周りが林と畑でラブホテルのネオンだけがボーッと灯いていて、そこがどこだかもわからない。夢の世界みたいな感じでしたね。
 そのうちにTさんが梅が丘に引っ越してきたんです。
 僕はその頃、経堂に住んでいました。結構稼げるようになっていたんで、Yとも籍を入れて、祐天寺のアパートから経堂のボロボロのマンションに引っ越していたんです。梅が丘は経堂の隣の隣で、自転車で行けば10分ぐらいで行けるから、事務所が休みの日は自転車で梅が丘に行って、Tさんとセックスして帰ってくる。
 Tさんは、お母さんが引っ越しのときにくれたという夫婦茶碗を見せてくれたりする。お母さんが娘に夫婦茶碗を渡した意味を考えると、なんだかせつなくなってくるんです。Tさんのことも好きだけどYも好きだし、Yにはいろいろ苦労をかけているし、別れることはできないし、なんてことを考えながら経堂と梅が丘を往復してました。
 そのうちTさんが事務所に来なくなったんです。しばらくして一通の手紙が来て、『あなたの手紙には、愛という言葉が15回書かれていました。でもその愛はとても空虚で、実体を伴わない愛です。』と書いてあったんです。Tさんが事務所に来なくなったんで、僕が手紙を出したんですね。何を書いたか覚えてないけど、おそらく「愛してる」とか「2人の愛がどうした」とか、そんなことばかり書いたんでしょう。その返事です。
 僕はTさんといるとき、現実を忘れ、あるいは忘れようとして、あのラブホテルのネオンがボーッと灯る夢のような世界にいたのかもしれない。しかし、Tさんはしっかり現実を見ていたのだと思います。
 Tさんが好きだったことは事実だけど、セックスしたいというのが90パーセントぐらいだったかもしれませんね。その本心を見透かされたみたいで、その手紙はかなりショックでした。
 それ以後Tさんとは会ってないけど、町でバッタリ会うんじゃないかと思って、しばらく恐かったですね。
(聞き書き:松田義人)



末井さん近況
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杉作J太郎監督の「チョコレート・デリンジャー」に(ちょっとだけ)出演しました。僕の役は警察署長だそうです。



末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。




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