[2007年12月21日]
vol.15 出版よろず承り業
キャバレーに勤めていると、ホステスさんと仲よくなってセックスしたりすることがあるんじゃないかと思ってる人がいるかもしれないけど、残念ながら一度もそういうことがなかったんです。
割ときれいなホステスさんを集めてチラシやポスターの撮影をすることもあったし、慰安旅行で大勢のホステスさんと熱海に行ったこともあったし、チャンスはあったと思うけど、付き合うなんて思ってもみなかったですね。
原因は託児所かな。仕事場と同じフロアにホステスさんの子供を預かる託児所があって、子供がウジャウジャいたから、ホステスさんはみんな子持ちだと思っていた。それに、なんとなく社内恋愛禁止みたいな風潮があったんです。
ホステスさんは客とくっ付くより従業員とくっ付くことが多くて、そうするとそのホステスさんに指名を回したりするでしょ。すると他のホステスさんから苦情が出る。そのため恋愛禁止令が出ていたんだけど、社長は別格なのか、社長の愛人って噂されてるホステスさんがいたんですけどね。
そんなことより、表現のことで頭がいっぱいだったのかもしれない。
ホステスさんとセックスしたのは、池袋のクラウンで仕事をするようになってからで、表現なんてどうでもよくなっていて、看板描きに追われながら毎日モヤモヤしていた頃です。
相手はクラウンのホステスさんで、「店が終わったら飲みに行かない?」って誘われて、帰らないとまずいかなぁと思いながらもモヤモヤに負けてしまって、ロマンス通りにある喫茶店で待ってたんです。それまで女の人から誘われたことがなかったし、ホステスさんはすっぽかすことが多いから、来ないかもしれないと思ってたら、本当に来ちゃって。入って間もないホステスさんで、店長の新人教育(触りまくる)で泣いていた人です。
喫茶店を出て、居酒屋で少し飲んで、僕はお酒が飲めなかったからフラフラになって、足は自然とラブホテルに向かったんだけど、1軒目は満員で、2軒目も満員で、ようやく3軒目のショボいラブホテルに入ったんです。酔っ払っていたからセックスのことはよく覚えてないけど、Y以外の人とするのは初めてだったから罪悪感はありました。
セックスのあとだったと思うけど、集会は好きかというようなことを聞かれて、その人の言う集会はどうも政治的集会じゃなくて宗教的集会みたいだったから、「これはマズい」って思いました。そのホステスさんとセックスしたのは1回だけで、それは集会のこともあったけど、だんだんクラウンから遠ざかって行ったからです。
遠ざかった原因は、出版社の仕事を少しづつするようなったからです。ストリーキングの写真を撮ってくれたカメラマンYが出版社に入ったとかで、新しく出す雑誌の表紙のデザインをやらないかという電話が来たんです。嬉しかったですね。看板屋を1年ほど続けて、お金は稼げるようになっていたけど、何か虚しい気持ちでしたから。表現なんてどうでもいいと思っていたけど、表現欲がなくなった訳じゃなくて、表現欲を押し込めていただけだったんです。
早速その出版社に行きました。場所は青山と聞いて、近代的なビルを想像してたら古い民家で、「あれ?」っていう感じだったですね。清風書房といって、高橋鐵監修の『愛苑』とか『りびどう』とかいう性科学雑誌を出していて、今度若者向けの『ヤングV』というエロ雑誌を創刊するから、僕にロゴと表紙のデザインをやってくれと言うんです。
どんな表紙だったかなぁ? たぶん夏の風景だったと思うけど。入道雲と海があって女のシルエットがあって、みたいな。すぐに写真の表紙に変わったけど、創刊号はイラストだったんです。
その創刊号が出たときは嬉しくて、何軒も本屋さんを回りましたね。初めて自分の作品が世に認められたみたいな気分で。いま見たら「なんだこれ?」みたいなもんだと思うけど。
最初は表紙だけだったけど、そのうちイラストとかピンクサロンの取材とか頼まれるようになって、看板描くより面白いから、看板の方はだんだんおろそかになって、まぁ自然消滅ですね。
当時のエロ雑誌の編集はいい加減でね、「2ページ空いたから何か描いて」「何描けばいいんですか?」「なんでもいいよ」みたいな依頼をされる。締め切りだけは早くて「今週いっぱい」とか。上手いかどうかは別として、早くて安いっていう訓練をさせられましたね。
テーマは「なんでもいい」だから、自分の描きたいものを描けばいいんだけど、これが結構悩むんです。脂汗流しながら、アパートでアレコレ下描きして。「えーい!」ってことで、生首の絵を描いたり。それまで押さえていた自己表現欲が爆発しちゃって。海をバックにオナニーしている自画像とか、そんなのばかり描いてました。オナニーしようとして盛り上がっていた読者は、僕のイラストを見てガックリしたんじゃないですかね?
打ち合わせと称して、編集者によく飲みに連れて行ってもらいました。打ち合わせと言っても「なんでもいい」だから、打ち合わせすることがないわけですよ。だから大体は編集者のグチを聞くわけです。「俺は中央公論にいた」とか「小説書いている」とか、エロ雑誌の編集者であることをコンプレックスに思ってる人が多くて、「イヤならやめりゃいいじゃないか」とか思ったりするんだけど、勿論そういうことは言えないから黙ってグチを聞いて、飲めないビールを無理して飲んで、気持ち悪くなって一駅づつ降りてようやくアパートまでたどり着いたこともあります。
そういうのを見てたから、エロ雑誌の編集者だけにはなりたくないって思ってたんだけど、なっちゃったんですね。でも、この頃のことが教訓みたいになっていたから、いまではグチばかり言っていた編集者に感謝してるんですけど。
清風書房の仕事は1年ほどやったのかな? なんだかやたらと雑誌が増えて、ついにエロ雑誌じゃないものを出すなんて言い出して。映画雑誌を出すから明日までにロゴ作ってくれなんて言われて。なんでそんなに急ぐのかわからなかったけど、作って持って行ったら会社が倒産したとか言ってみんながオロオロしてるんです。
原稿料は最初のうちは小切手でもらっていたけど、途中から先付け小切手に替わって。小切手なんだけど3ヶ月後に銀行に持って行ってくれとか言われて。そういう先付け小切手が80万円ぐらいあったんです。倒産と聞いてあわてて銀行に持って行ったら「この小切手は無効です」なんて言われて。80万円がパー。
でもこの倒産がきっかけで、一気に仕事が増えるんです。編集者がいろんな出版社(だいたいがエロ系でしたが)に散らばって、そこから仕事を頼まれるようになって、一気に取引先が増えたんです。その仕事もまちまちで、表紙のデザインからイラスト、挿し絵、漫画、取材記事、カット、描き文字、もうなんでもやりました。
中には「明日までにイラスト30枚描いてくれ」みたいな注文があったりして。実用書1册分のイラストなんだけど、「絶対明日までに」って念を押されて。もうそうなると自己表現なんて言ってられないわけで、原稿を読む時間もないからイラストが入る箇所の原稿をチラッと見て、「水道水が体に悪い」って文字があったら、水道の蛇口から悪魔みたいなのが出ているイラストを、ほとんど下描きもしないで描く。ひどいもんですよ。
朝方になってくると眠くて眠くて。まずセロテープを目尻に貼るわけ。瞼が落ちてこないように。それでも眠ってしまうから、今度はペン先で手の甲をチクチク刺して。それでも眠ってしまって、手だけは動いていてフニャフニャな絵を描いている。そのうち夜が明けて、間に合わなくなって、出版社まで行くタクシーの中で描いたりしてました。小さな製図板を首からぶら下げてね。
その出版社には、期日までに取り次ぎに本を入れないと倒産するという事情があったんです。つまり自転車操業ですね。本を搬入したらお金がもらえるから、それを支払いに回す。だから、僕のイラストが遅れたら倒産するわけですよ。あるとき「申し訳ないけど10万円貸してくれ」って社長に言われて、断ったらすぐつぶれましたけど。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

下町のベリーダンサー、大正演歌師、ペーソスという、よくわからない組み合わせのイベントにゲスト出演しました(浅草・木馬亭)
イベント情報
■12月24日(クリスマス・イブ)原宿・リトルモア地下にて南伸坊さん、上杉清文さん、河井克夫さんと「渡辺和博展・ホーケー文明のあけぼの」のトークショーがあります。展覧会は12月7日〜25日。(20:00〜)
■12月25日(クリスマス)Asagaya/Loft Aにて西原理恵子さんとのトークショー「愛のドロドロ 金のボロボロ」があります。ペーソスも出演。(19:30〜)
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
末井昭
プロフィール
編集者
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
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