[2007年11月09日]
vol.9 デザインなら飯が食える
そのうち、渋谷とか新宿に遊びに行くようになって、デザイン学校というものがあることを知ったんです。
もともと絵を描くことが好きで、小学校2年のとき自分の描いた絵が県のコンクールに入選したことがきっかけで好きになったんだけど、小学校の3年生か4年生のときイジメにあうようになってから、1人で絵を描いたりすることが多くなったんです。
中学校のころから漫画に興味を持つようになって、漫画家になりたいって思ってたんだけど、どうやったらなれるのかわからなくて、現実的な工場のほうを選んだんだけど。
高校のときは、雑誌広告を見て早稲田式速記や孔版(ガリ版)やレタリングの通信教育を受けてましたね。「自宅でできて高収入」っていうコピーにひかれて。工場に憧れながらも、1人で自宅でできる仕事にも憧れてたんです。でもね、速記や孔版の仕事なんて、山奥にあるわけないんです。なんでもわかるのが遅いんですね。
デザイナーという職業があることを知ってから、「絵はダメでも、デザインなら飯が食えるかもしれない」と思うようになったんです。工場にも失望してたから、だんだんデザインしかないと思うようになって。
そのころ、横尾忠則とか粟津潔とか、グラフィックデザイナーのスターが出てたし、大阪万博の前でデザインがブームだったんですね。だから、デザイン学校がどんどんできていた。
デザイナーになるためにはデザイン学校に入るしかない、と思ったけど入学金がない。入学金を稼ぐためにはアルバイトしないといけないってことで、朝は牛乳配達をすることにしたんです。
朝4時に牛乳販売店に行って、自転車に牛乳が入った木箱を2段積んで配達に回るんだけど、これがかなり重いんです。しかも眠い。半分居眠りしながら重い自転車をフラフラこいでいると、向こうからトラックが来る。そのトラックのライトでハッと目が覚めたり。「これはマズイぞ」ってことで、うしろから牛乳を1本抜いて、自転車こぎながらゴクゴク飲んで。眠気覚ましと栄養補給のためにね。
牛乳配達は配達するだけじゃなくて、空きビンを回収しなければいけないんだけど、これがまた重くて。川に半分ぐらい捨ててましたね。牛乳屋のおじさんには申しわけなかったけど。
そして、昼間は例の精密検査室の定盤の下で昼寝して、夜になると両親のいるアパートに行って、母親が内職でやっていた目覚まし時計の組み立てをやるんです。1個組み立てて30円ぐらいだったけど。そんなことやりながらなんとか入学金をためて、渋谷にある青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜の部に入ったんです。
これでやっとデザイナーになるための第一歩を踏み出せたということで、真剣にミゾビキやらカラスグチを覚えてたんだけど、2カ月ほどして校舎が松濤から桜丘に移転してから様子がおかしくなってきた。
昼間の学生が、校舎の壁にラーメン丼の底にあるような龍の絵なんか描きだして、ナントカ粉砕とかの看板も立てだして、入口はバリケードを築いていて中に入れないんです。学生運動の余波がデザイン学校まで押し寄せてきたんですね。僕は学生運動には参加しなかったけど、よくデモを見に行っていて、学生たちにシンパシーを感じていたんです。「もっとやれ」って。でも自分の学校となると問題は別で、「入学金をどうしてくれる」って思いましたね。結局、その数カ月後に学校は潰れたんです。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

久し振りに銀杏BOYZのライブを観て涙が止まらなくなる。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
末井昭
プロフィール
編集者
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
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