[2007年11月30日]
vol.12 フェラチオ・ポスター
なんとそのポスターは、真ん中にデーンとフェラチオしている女の顔が描かれていて、バックは黒い太陽。当時、横尾忠則が『デザイン批評』って雑誌の表紙に、エロ写真を模写したようなフェラチオの絵を描いてたけど、あれとそっくりで、チンポコの部分は黒く影になっている。
B2サイズだったから、そんなに大きくはなかったけど、なんとシルク印刷10色刷りなんです。贅沢ですよね。シルク印刷っていうのは、アンディ・ウォーホルが版画に使ってた印刷方式で、当時、横尾忠則がデザインした状況劇場のポスターなんかはみんなシルク印刷でした。アートもシルク印刷だったけど、枚数が少ないポスターなんかを刷る簡易印刷的なところもあるわけ。
そして、そのポスターには「ホステスさん募集」の文字が入っている。「これ、どこに貼るの?」って聞いたら銭湯の女湯だと言うんです。昔の銭湯には、ホステス募集のポスターなんかが貼ってたんです。でも、たいていはシルク印刷の2色刷りぐらいで、文字だけですよ。それが10色刷りでフェラチオの絵がデーンでしょ。贅沢だけど、果たしてホステスさんは集まるか、という問題はあるわけ。フェラチオの絵を見て、果たして「わたし、ホステスになりたい」って思う女性がいるかどうか…。
そんなこと関係ないんです。近松さんは、ホステス募集のポスターで自己表現しているわけ。僕はそれを見て、感動したと同時に嫉妬しました。そして、僕もキャバレーに行きたいと思ったんです。キャバレーこそ自由な表現ができる場だと、そのとき思ったわけ。
次の日から新聞の求人欄を見て、キャバレーの募集を探すようになったんです。そしたら、クインビー・チェーンっていうキャバレーがデザイナーを募集していたんで、さっそく面接に行きました。
クインビー・チェーンへの入社が決まったときは嬉しかったですね。作画会には辞表を出して、っていうのが普通なんだけど、「退社宣言」っていう声明文みたいなのを書いて社長に出したら、「なんだこれ?」みたいな顔をされましたね。自分ではモダニズムデザインと縁を切る、みたいな決心があったんです。
近松さんはハワイ・チェーンの蒲田店に勤めていて、店の2階が仕事場で、そこには近松さん一人しかいなかったんです。床に小さな穴が開いていて、そこから覗くと下の店が見えて、お客がホステスさんのパンツに手を突っ込んでいるところなんかが見えたそうです。
それに比べて、僕が入ったクインビー・チェーンは、なんか普通の会社みたいで、課長や部長がいて、社員も20人ほどいるわけ。これはちょっと様子が違うぞって思いました。
11店鋪ほどある店の宣伝物やら看板やらを一括して作っているんです。芸能課っていう部署もあって、そこは大バコ店(フロア面積が広く、ステージがある店)のショーのブッキングをしていて、夜になると同じビルにある上野クインビーの専属バンドに変身する。すごい下手なんですよ、演奏が。このバンドじゃ歌えないって、往年の歌手(渡辺マリ)が途中でステージを下りたこともあるくらい下手。
給料はどのくらいだっただろう? おそらく3万円ぐらいだったんじゃないかなぁ。最初の給料袋をもらったとき、厚くてビックリしたんだけど、中を見ると全部千円札だったんです。そのあとも給料はいつも千円札。多く見せるためかどうか、理由はわからなかったけど。
僕の仕事はホステス募集の新聞広告やチラシのデザインで、近松さんみたいな大胆なデザインはできなかったけど、それでも割と自由にデザインさせてもらってました。
キャバレーの一番の課題は、ホステスを集めること。ホステスさんがいっぱいいれば、お客さんは自然に多くなるんです。だから、ホステス募集に一番お金を使ってたんじゃないですか? 新聞広告も出していたし、電車の中吊りもしてましたね。寮もあったし、寮へ送り迎えするバスもあったし、託児所もあった。
ちょうど、僕らと同じフロアに託児所があって、たまに僕らが仕事しているところへ子供が這って来たりしてね。子持ちの人が多かったんです。そのころの水商売の女性は、だいたいワケアリだったから。僕は最初のころ、ホステスさんは全員子持ちだと思ってた。
二番目の課題は、どうやって常連さんを増やすかって問題。これも我らが企画部で考えるんですけど、「常連さんを抽選で、ホステスと熱海一泊旅行させてはどうですか?」「それ、売春になるんじゃないか?」とか、そういう企画会議をしてました。「抽選でホステスさんとヘリコプターに乗れるってのはどう?」とか言うのがいて、その企画が通って、ポスター作るためにヘリコプターに乗って東京上空を飛んだこともあります。
僕がデザインしたもので気に入っていたのは「おぼこ娘のキノコ狩り」のポスター。女の子のバックに原色キノコが林立していて「アシュラ」(ジョージ秋山の漫画の主人公)が飛んでいるっていうもの。
あと「チンポコの塔」。大阪万博のころで、新しい店のオープン企画として、店内を万博会場のようにするっていうんで、真ん中に置くシンボルを頼まれたんです。シンボルといえばチンポコだろうと、じゃあ巨大なチンポコを作ろうってことで、発泡スチロールを削って2メートルほどのチンポコを作ったんだけど、リアルに作り過ぎて、しかも蛍光ピンクで塗ったから、ブラックライトで暗闇にビカッと浮かび上がるんです。店長が「これは警察が来るかもしれない」って言って、大きな風呂敷を掛けられてしまったんだけど。
これには後日談があって、このチンポコの塔に手を合わせると指名が取れるってホステスさんの間で噂になって、みんな僕が作ったチンポコの塔を拝んでいたそうです。この話を聞いたときは嬉しかったですね。
チラシのデザインは各店の店長と打ち合わせして決めるんだけど、眼帯した店長に「ウチはさぁ、おらが村サのオシンコ祭りってのをやるんだけど、オシンコのところをオ○ンコにしたらどう?」とか、得意そうに言われると、アホらしいというか、モダニズムデザインがどうしたとか、情念がどうとか、関係なくなるんです。まぁ、最初から関係なかったんだけど。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

今年は自分にとって最悪の年だそうで、何をやってもダメらしい。来年から運気が上昇するそうなので、酉の市に行って熊手を買いました。
イベント情報
■12月24日(クリスマス・イブ)原宿・リトルモア地下にて南伸坊さん、上杉清文さん、河井克夫さんと「渡辺和博展・ホーケー文明のあけぼの」のトークショーがあります。展覧会は12月7日〜25日。(20:00〜)
■12月25日(クリスマス)Asagaya/Loft Aにて西原理恵子さんとのトークショー「愛のドロドロ 金のボロボロ」があります。ペーソスも出演。(19:30〜)
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年11月22日]
vol.11 デザイナー見習い
新聞の求人欄を見てたら、デザイナー募集っていうのがあったんです。三菱重工を辞めて、デザイン学校も行かなくなっていたから、早速履歴書を送って、駒込にあるその会社に面接に行ったんです。
染井墓地の近くにある作画会という絵画教室みたいな名前の会社で、社長に「じゃあ、来週から来てください」と言われて、その会社で働くことになったわけ。平間から駒込っていうのは、ちょっと遠いんだけどね。
いま考えれば、作画会に入ったことは大きな転機だったと思う。原始共産制から第二次産業へ、そして情報産業へのシフトというか、あのまま工場労働者を続けていたら、僕の人生はまったく違ったものになってたんじゃないかって思いますね。考え方も違ってたかもしれない。
作画会は、社員10人ぐらいのアットホームな感じの会社で、展示会場のディスプレーや看板などが主な仕事で、僕が憧れていたグラフィックデザインじゃなかったんです。たまに遊園地のポスターの仕事が入ってくるんだけど、先輩の絵のうまいデザイナーが担当していて、僕の仕事は看板のデザインがほとんど。
現場にも行きましたね。覚えているのは東京タワーの飾り付け。あそこはクリスマスが近付くと、「メリー・クリスマス&ハッピー・ニューイヤー」の看板を取り付けたり、展望台をモールで飾ったりするんだけど、お客さんがいなくなった夜やるんです。夜中の特別展望台から見る東京の夜景がきれいでした。昼間は車の中で仮眠して、また夜になると飾り付けをする。東京タワーに3日いたね。
看板のデザインでは自己表現は難しいから、言われた通りやってたんだけど、2、3カ月したころボーリング場のロビーの装飾を頼まれたんです。初めて任された仕事だったんで、張りきりましたね。自分の情念をぶつけてやろうと。まず天井から天狗のお面を無数にぶら下げる。その間に布を垂らす。アングラ芝居っぽい感じですね。それをパースにして、先輩のデザイナーに見せたら「何これ?」って言われて。いま考えれば、ボーリング場をアングラ芝居にしてどうするんだって思いますけど、そのときは「先輩は何もわかってない」って思いましたね。みんな商業主義的デザインに毒されているって。この人たちには僕が考えていることはわからないって。
でもね、一人だけ僕を面白がってくれる人がいたんです。Mさんっていう営業担当の人で、よく喫茶店に連れて行ってくれて、一方的に話す僕の話を嫌がらずに聞いてくれました。母親がダイナマイト心中した話も、人に話したのはMさんが初めてでした。
そしてもう一人、僕とほぼ同時に入った近松さんという人。僕より5つほど年上だったんだけど、横尾忠則が好きでデザインに対する考え方も僕と似ていて、情念的なものが好きだったんです。近松さんとはよく喫茶店で観念的なデザイン論をしてました。まぁ、観念的なのはだいたい僕の方で、近松さんは大人っぽい考えだったんだけど。でも、近松さんにはすごく影響受けましたね。
それと好きな人が一人いたんです。僕より少し上のデザイナーだったんだけど。男ですよ。男だけど、恋愛してるみたいでドキドキする。その人が他の人と話すのも許せないみたいな。男を恋愛対象として好きになったのは、これが最初で最後でした。でも、好きだってことを告白できないまま、その人はリウマチになって田舎に帰ったんだけど。
給料はどのくらい貰ってたんだろう? おそらく3万か4万ぐらいだったんじゃないかなぁ。とにかくお金なかったですね。
暮れの忙しいとき、みんなで残業していて、「腹減ったからラーメン取ろう」ってことになったんです。僕はお金がなかったからラーメンを食べたくても頼めない。すると近松さんが「いいよ、おごるから」って言うんです。で、近松さんにおごってもらってラーメン頼んだんだけど、出前に「2人分はツケといてください」って近松さんが言うわけ。近松さんもお金がなかったんです。「ツケといてって、うちはツケはしてないんだから」とかラーメン屋は言ってる。本当に優しい人だったなぁ、近松さんは。
半年ぐらいして、近松さんが辞めることになったんです。キャバレーのハワイ・チェーンに入るとかで。
しばらくして近松さんに会ったとき、近松さんがデザインしたポスターを見せてくれたんです。それを見てぶったまげましたね。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

1年振りに大西ユカリと新世界のライブを観て感動。シングル「南部の女」発売中!(ユカリさんと)
イベント情報
■12月24日(クリスマス・イブ)原宿・リトルモア地下にて南伸坊さん、上杉清文さん、河井克夫さんと「渡辺和博展・ホーケー文明のあけぼの」のトークショーがあります。展覧会は12月7日〜25日。(20:00〜)
■12月25日(クリスマス)Asagaya/Loft Aにて西原理恵子さんとのトークショー「愛のドロドロ 金のボロボロ」があります。ペーソスも出演。(19:30〜)
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年11月16日]
vol.10 セックス・マシーン
Yさんとセックスしてから、セックス・マシーンみたいになっちゃって。夜は頻繁にYさんの部屋に行ってセックスしてたんだけど、「お兄さん」も「あの日」から頻繁に来るようになりましたね。「怪しい」と思ったんじゃないですか。
「お兄さん」が来てるときは、当然Yさんの部屋には入れないわけで、2人の笑い声が聞こえてきたりするとイライラするんです。嫉妬ですね。ちょっと静かになると、2人がセックスしてるんじゃないかと思って、いても立ってもいられないような気持ちになって、わざと玄関の引き戸をガラッと乱暴に開けて外に飛び出したりしてました。行くところがないから、行きたくないのに両親のアパートに行ったりして。
ある夜、Yさんとセックスしてると、外で自転車の音がするから、カーテンの隙間から外を見ると「お兄さん」らしき人がいるんです。部屋の電燈を消しているから寝ていると思ったのか、あるいは夜中だから下宿人に迷惑かけると思ったのか、中に入ってこないんだけど、なかなか帰らない。外でタバコを吸いながら様子をうかがっているわけ。暗闇にタバコの火だけが見えるんです。
もしかしたら、僕がいるのを知っていたかもしれませんね。僕と同じように、嫉妬でいても立ってもいられないような気持ちだったかもしれない。
Yさんは「お兄さん」と結婚の約束をしていたようで、僕に別れてくれって言うんだけど、僕が強引だったから断りきれなくなったみたいで悩んでました。僕はコンプレックスがあって、嫌われるのが恐くて強引に女の人に迫ったりなんかしないんだけど、三角関係になると話は別で、自分のコンプレックスなんか忘れてしまって、とにかく頑張る。頑張るっていうのと違うかな、恋愛感情に嫉妬と闘争心が加わって、猛獣のようになる。
最初、両親が近くにいることをYさんには言わなかったんです。みすぼらしいアパートに来られると困ると思って。でも、Yさんと結婚しようと思うようになって、両親のことも話したんです。ビックリしてましたね、僕の両親は田舎にいると思っていたから。
Yさんに両親を紹介してから、父親もときどき下宿に来るようになって、あるとき僕がいないときに来て、Yさんに襲いかかったらしいんです。Yさんが「スエイさんに言う」と言うとやめたらしいけど。とんでもない親父ですよ。
結局「お兄さん」と会うことになって、下宿じゃ話せないからってことで、夜中に近くの多摩川の河原に3人で行って、「これは決闘になるんじゃないか」って思ったりしたんだけど、暴力沙汰にはならなかったですね。でも、僕は興奮してたから何を話したかよく覚えてないんだけど、「お前には彼女を養えない」とかヘンに生活っぽいことを言われたことは覚えてる。確かにごもっともなことなわけ。デザイン学校に入るためにお金を遣ってしまって、貯金なんて1円もなかったから。
でも、お金はなかったけど迫力はあったのか、Yさんは僕と付き合うことになったんです。「お兄さん」はストーカーみたいになったんだけど。
晴れて堂々と昼間からセックス……というわけにはいかなくて、下宿だとお婆ちゃんもいるし、他の下宿人もいるから、朝2人で下宿を出て、本当はそのまま工場に行かないといけないんだけど、多摩川の近くにあるラブホテル(というか連れ込み旅館)に直行したりしてました。セックスしちゃうと工場に行く気がしなくて、そのまま川崎に遊びに行ったりしているうちに、だんだん工場に行かなくなって、1週間ほど休んだあと辞めちゃいました。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

釣り堀で高田文夫さんと
イベント情報
■12月24日(クリスマス・イブ)原宿・リトルモア地下にて南伸坊さん、上杉清文さん、河井克夫さんと「渡辺和博展・ホーケー文明のあけぼの」のトークショーがあります。展覧会は12月7日〜25日。(20:00〜)
■12月25日(クリスマス)Asagaya/Loft Aにて西原理恵子さんとのトークショー「愛のドロドロ 金のボロボロ」があります。ペーソスも出演。(19:30〜)
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年11月09日]
vol.9 デザインなら飯が食える
そのうち、渋谷とか新宿に遊びに行くようになって、デザイン学校というものがあることを知ったんです。
もともと絵を描くことが好きで、小学校2年のとき自分の描いた絵が県のコンクールに入選したことがきっかけで好きになったんだけど、小学校の3年生か4年生のときイジメにあうようになってから、1人で絵を描いたりすることが多くなったんです。
中学校のころから漫画に興味を持つようになって、漫画家になりたいって思ってたんだけど、どうやったらなれるのかわからなくて、現実的な工場のほうを選んだんだけど。
高校のときは、雑誌広告を見て早稲田式速記や孔版(ガリ版)やレタリングの通信教育を受けてましたね。「自宅でできて高収入」っていうコピーにひかれて。工場に憧れながらも、1人で自宅でできる仕事にも憧れてたんです。でもね、速記や孔版の仕事なんて、山奥にあるわけないんです。なんでもわかるのが遅いんですね。
デザイナーという職業があることを知ってから、「絵はダメでも、デザインなら飯が食えるかもしれない」と思うようになったんです。工場にも失望してたから、だんだんデザインしかないと思うようになって。
そのころ、横尾忠則とか粟津潔とか、グラフィックデザイナーのスターが出てたし、大阪万博の前でデザインがブームだったんですね。だから、デザイン学校がどんどんできていた。
デザイナーになるためにはデザイン学校に入るしかない、と思ったけど入学金がない。入学金を稼ぐためにはアルバイトしないといけないってことで、朝は牛乳配達をすることにしたんです。
朝4時に牛乳販売店に行って、自転車に牛乳が入った木箱を2段積んで配達に回るんだけど、これがかなり重いんです。しかも眠い。半分居眠りしながら重い自転車をフラフラこいでいると、向こうからトラックが来る。そのトラックのライトでハッと目が覚めたり。「これはマズイぞ」ってことで、うしろから牛乳を1本抜いて、自転車こぎながらゴクゴク飲んで。眠気覚ましと栄養補給のためにね。
牛乳配達は配達するだけじゃなくて、空きビンを回収しなければいけないんだけど、これがまた重くて。川に半分ぐらい捨ててましたね。牛乳屋のおじさんには申しわけなかったけど。
そして、昼間は例の精密検査室の定盤の下で昼寝して、夜になると両親のいるアパートに行って、母親が内職でやっていた目覚まし時計の組み立てをやるんです。1個組み立てて30円ぐらいだったけど。そんなことやりながらなんとか入学金をためて、渋谷にある青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜の部に入ったんです。
これでやっとデザイナーになるための第一歩を踏み出せたということで、真剣にミゾビキやらカラスグチを覚えてたんだけど、2カ月ほどして校舎が松濤から桜丘に移転してから様子がおかしくなってきた。
昼間の学生が、校舎の壁にラーメン丼の底にあるような龍の絵なんか描きだして、ナントカ粉砕とかの看板も立てだして、入口はバリケードを築いていて中に入れないんです。学生運動の余波がデザイン学校まで押し寄せてきたんですね。僕は学生運動には参加しなかったけど、よくデモを見に行っていて、学生たちにシンパシーを感じていたんです。「もっとやれ」って。でも自分の学校となると問題は別で、「入学金をどうしてくれる」って思いましたね。結局、その数カ月後に学校は潰れたんです。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

久し振りに銀杏BOYZのライブを観て涙が止まらなくなる。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年11月02日]
vol.8 ついに童貞喪失
そのうち田舎にいた母親が川崎に出てきたんです。田舎に1人置いておくのは可哀想だと思ったのか、自分が淋しかったのか、父親が呼び寄せたんです。
6畳に3人、これは結構息がつまる暮らしですよ。しかも僕が遅く帰ってきたら、父親と母親がセックスしている。ドア開けたら、あわてて2人が飛びのいて、父親はチンポコ丸出しですよ。このときから、そのアパートにいるのが気まずくなって、僕はアパートを出る決心をしたんです。
不動産屋で安いアパートを探していたら、家賃3千円の下宿があるって言われて、3千円なら安いってことでそこに決めました。父親のアパートから歩いて5分くらいの1軒家。僕が借りた部屋は、襖で仕切られた窓もない3畳間だったんだけど、贅沢は言えません。
その家はお婆さん1人が住んでいて、子供たちが出て行ったから用心とお小遣い稼ぎで部屋を貸していたみたいだけど、窓が2つもある一番いい部屋に住んでいたのが、そのうち結婚することになったYさん。
もう1人奥の部屋に男の人が間借りしてたんだけど、僕は仕事のあとよく川崎をブラブラしたりしていたから、帰るのが一番遅かったんです。冬になると寒くて、部屋に入って電気ストーブのスイッチを入れると、パッと暗くなる。ヒューズが飛ぶわけ。みんな電気コタツやテレビで目一杯電気を使っていて、僕の使う分の電気はすでになかったところへ、電気ストーブですから。お婆さんが「電気ストーブは電気を食うからねぇ」と嫌味を言う。そんなとき、「コタツあるからこっちに来ませんか」と言ってくれたのがYさんでした。
何回かお邪魔しているうちに、ついにセックスすることになって。いやもう、緊張と興奮の入り混じった気持ちでいどみましたね。生まれて初めて交際した女性で、しかも生まれて初めてセックスするわけですから。
セックスの経過はよく覚えてないけど、体が暖かかったことと、入れたときの気持ちよかったことはよく覚えています。終わったあとも興奮して、朝まで眠れなかった。
Yさんは美人だったし、セックスしたこともあって、すぐに好きになって、川崎のゴーゴー喫茶やスケート場でデートしたりしてました。スケートなんかできないから、スケート靴買ってきて下宿の廊下で練習したりしてね。
ところがしばらくして、Yさんの部屋に男が来たんです。あとで聞いたらお兄さんだと言うから、兄妹かと思ってたら、付き合っているらしい。よく聞いてみると、前のアパートの隣に住んでいた自分より12歳も上の男で、この下宿を探したのもその人だったらしい。つまり恋人関係になったんだけど、Yさんの前の男がしつこくアパートに来るし、アパートは男だらけだったんで、かくまうつもりでこの下宿を探したらしい。
そしたら僕がいたと。その「お兄さん」は僕が隣にいることがわかってあわてたようで、次に来たとき襖に鍵を付けていました。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

腰痛を治すため東北の玉川温泉の岩盤浴に行って来ました。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。

































