[2007年10月26日]
vol.7 無賃乗車で川崎へ
6月ごろだったか、自衛隊体験入隊の話が出たんです。知らなかったですよ、新入社員全員自衛隊に体験入隊させられるってことを。「これはマズイ」って思って、工場脱出計画を立てたんです。
まず枚方の電器屋さんからステレオを月賦(ローン)で買って、それを寮の人に売りました。それで何千円かのお金を作って脱出資金にしました。
行き先は父親が出稼ぎで働いていた川崎にしようと思って、父親に手紙を出したんです。川崎に行っても希望があるとは思わなかったけど、行く先がなかったから。そしたら父親から返事が来て、自分が派遣で働いている三菱重工で働けるよう話してみるってことなので、川崎に行くことを決めて、布団袋を背負って夕方寮を出たんです。いま考えれば、ちゃんと退職願を出して寮を出ればよかったと思うけど、月賦は踏み倒そうと思っていたし、就職して3カ月しか経ってなかったし、言いづらかったんです。
電車賃も踏み倒そうと思っていたから、大阪駅で買った切符は1駅分で、急行だと車掌が切符を調べに来ると思ったので、東海道線の鈍行に乗って1晩かかって川崎に着いて、南武線に乗り換えて父親がいる平間まで行きました。問題は平間の駅をどうやって出るかということだったんだけど、改札が小さいので強行突破は無理だと思って、ホームから線路に降りてすぐ近くの踏み切りから出ました。
父親が借りていた6畳のアパートに転がり込んで、三菱重工で働けることになったので、そこから通うことになったんだけど、枚方の工場に比べると仕事が楽で楽で。
トラックの製産ラインの中に、冷暖房完備しかも防音の部屋があって、僕が配属されたのはそこ。精密検査部といって、工場で製産されるトラックのボディを抜き取りで1台持ってきて、それを1週間かけて測定し、図面通りにできているかをチェックする仕事なんだけど、本来なら2日ぐらいで終わる仕事を1週間かけてやるから暇で暇で。
先輩が1人いて、ちょっと変わった人で、前は全国のお祭りを回るテキヤだったそうで、全国のお祭り一覧が載っているテキヤ手帳みたいなのを見せもらったこともあります。一生懸命働くのが好きじゃない人で、車のボディを検査する大きい定盤の下になぜか人が入れる穴があって、そこで交替で昼寝してました。たぶん、その穴は先輩が作ったと思うんだけど。
それに比べて、父親が働いていた現場は地獄の1丁目って言われていたところで、社員が行きたがらないから派遣労働者を使っているわけ。エンジンの鋳物の砂とバリを取るところ、とにかく熱いんです。その上、クレーンで吊り下げられた鋳物が落ちてきたりして危ない。それを利用して、わざと足の上に落として労災保険をもらったのがいる、自分もやってみようかとか、父親の話は金の話ばかりで暗いんです。一緒にいるのも嫌だから、週末は川崎に出て深夜映画館で過ごしたりしてました。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

「犬の呼吸法」を開発。舌を出してハッハッハッと犬のように呼吸するとテンションが上がる。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年10月18日]
vol.6 工場に失望
高校を出て大阪の工場に集団就職。といっても僕の高校からは2人だけだったんだけど。
やっと田舎から脱出できると思っていたけど、家を出るときはちょっと感傷的になりましたね。故郷に未練はなかったけど、弟は中学を卒業して大阪で働いていたし、父親は川崎に出稼ぎに出ていたし、家には母親だけだったから、母親を1人残して行くっていうのがちょっと辛かった。
本当の母親はダイナマイト心中でとっくに亡くなっていたけど、それから4年後に来た母親です。最初は「お母さん」て呼べなくて「おばさん」て言ってました。無口な人で、生き別れになった子供もいたらしいけど、自分の話はほとんどしない人だったから過去は知らないまま。2番目の母親とはちょっと距離があったけど、一緒に暮らしていると情が移るっていうか、家を出るときはお互い涙目になってました。
就職先の工場は大阪っていうから、てっきり都会のど真ん中だと思っていたら、大阪の郊外の枚方っていうところで、周りは工場と田圃だけ。びっくりしましたね、えらいとこに来たって。
寮に入ったんだけど、その寮がまたすごい。西日本の各地から来た高卒ばかりで、当然ながら全員男子。九州の人が半分以上占めてたから、寮の中で九州弁が飛び交っていて、騒いだりすると「しゃーしー!」とか罵声が飛んだりして。「しゃーしー」って言われても意味がわからない。
僕は同級生のK君と同じ部屋だったんだけど、よく2人で相互オナニーをしてました。お互いのチンチンを触りあうわけ。お互い目を閉じて女の人を想像して。単に自分でやるよりやってもらったほうが気持ちいいからということだけですけど。
寮も工場もむさくるしい野郎ばっかりで、みんな女に対する妄想のボルテージはものすごいものだったんじゃないですか。だからといって風俗店が近くにあるわけではないし、あったのは食堂が1軒だけ。それもラーメン頼むとインスタントラーメンが出てくる店。それにお湯をかけて、はい50円。それでもおいしいと思って食べてました。寮の食事だけでは物足りないから。
1回だけ女の子とデートしたことがあるんです。高校のときから文通していた女の子がいて、その子が大阪で働いていたんです。僕が大阪に行くって手紙に書いたら、向こうから会いたいって手紙が来て。で、難波で会ったんだけど、会ってみるとすごいブスで。向こうも「すごいブ男」と思ってッガッカリしたんじゃないですか。とにかく女に飢えていたから、ブスでもなんでもセックスしたかったけど勇気がなくて、ナンバ一番というライブ喫茶みたいなところに行っただけで、それっきり会ってません。
工場がまたすごくて、ステンレスの線を作っているんだけど、太い線の先を削ってダイヤモンドでできた穴に通して、ウインチで引っ張る。危ないんですよ、これが。ときどき切れて線が飛んでくる。しかも24時間稼動で、僕らは3交替で働くわけ。1週間経つと勤務時間が8時間づつズレていく。夜勤のときはイネムリするからさらに危ない。えらいとこに就職したと思いました。一生こんなことやるのかって。
工場に憧れて、憧れの工場に就職したけど、想像していた職場とは全然違う。ここから逃げ出さないといけないと思うようになりました。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

「犬の呼吸法」を開発。舌を出してハッハッハッと犬のように呼吸するとテンションが上がる。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年10月11日]
vol.5 工場で働きたい
中学のときに、岡山の水島工業地帯を見学に行ったんですよ。石油コンビナートのクネクネしたパイプとか、モクモク煙を吐く煙突とか見て「わあー、カッコいー」と思って、中学校を卒業したら絶対こういうとこで働こうと思いました。山ばかり見て育ったから、工場がバラ色の近代の象徴みたいに見えたんですね。
ところが中学3年のとき、担任の先生がわざわざ家まで来て「末井君を高校に行かせてもらえないか」って父親に言うんです。学校で成績が一番良かったから、将来は大学まで行って欲しいって思ってたんじゃないですか?
先生がそこまで言うのならということで、日本育英会から奨学金を借りることにして、高校に行くことにしたんです。工場に勤めるつもりでいたから、一番近い工業高校を受けたんだけど、学校の名前を言うと先生はガッカリしてました。いまでいう偏差値の低い学校だったもので。
僕が行ったのは機械科。機械の設計を習ったりするのかと思っていたら、鋳物と旋盤と溶接を習うところで、学校に行くと作業着に着替えて溶接やったりするんです。その高校には普通科もあって、普通科の女の子が僕らを白い目で見ているような気がして、女の子と話す機会なんか全然なかった。同級生の中には組に入ったのもいて、菱形マーク入りのドスを持ってきて見せびらかしたりする。えらいところに入ったって思いましたね。
でも僕は不良にも受けが良かったんです。成績がいいから学級委員長をやってたんだけど、テストのとき、勉強できない不良に答案用紙をこっそり見せてあげたりしてました。あとでお金もらってたけど。そのころから経済観念だけは発達してたんです。
クラブ活動は、もうヤケクソで柔道部に入りました。普通科の女の子たちがテニスをやってるグランドを、柔道着を着て裸足でワッセワッセと走るんですけど、女の子たちに冷たい視線で見られているような気がして。練習をあまりやらなかったから、背の小さい下級生に投げ飛ばされたりしてカッコ悪かったです。
アルバイトするようなところはなかったけど、1回だけ同級生に誘われて夏休みに大阪の小さな工場で働いたことがあります。同級生の親戚がやってる工場で、その同級生は何回も大阪に行ってるみたいで、「大阪の女は綺麗じゃぞ」と言うから行ってみたくなって。そしたら確かに綺麗な女の人が歩いている。卒業したら絶対大阪で働こうと思いましたね。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

パチンコのやり過ぎ(花の慶次)で腰痛が悪化。治療院に通う日々です。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。
[2007年10月04日]
vol.4 最初の恋人は木
オナニーを覚えたのは、小学校の5年生ぐらいだったと思う。自分で発見したんです。
チンコをいじってるとすごく気持ちよくなって、射精はしなかったけど射精したときのような快感があって、そのうちチンコが縮んでいくわけ。寝るときいつもチンコをいじってました。
同じ部屋に弟が寝ていたからシコシコはできないわけ。だからグルグル。チンコの皮の中に指を入れてグルグル回すんです。これは自分で開発した画期的なオナニー方法なんだけど、チンコの皮がないとできない。大人になって皮がムケてからできなくなったけど。
射精したのはオナニーを覚えて半年ぐらい経ったころだと思うけど、ビックリしたと同時に「ああ、こうなってるんだ」と妙に納得しました。納得したのはいいけど、後始末が面倒くさい。隣で弟が寝てるから後始末しようにもできない。「まぁいいか、このままで」ということで、パンツに精液くっつけたまま寝てました。射精しないときのほうがよかったとつくづく思いましたね。
中学生になってから、よく山に行ってオナニーしてました。裏山にちょうどいい場所があったんです。二股の木があって、まずはその木に抱きつくわけです。だから、最初の恋人は木ですよ。
抱きついたあと、その木の下でズボン降ろしてシコシコ。周りに誰もいないから、自由にシコシコできたんです。見晴らしはいいし、空は青いし、春なんか草木の匂いがプーンとして、射精の瞬間なんか宇宙と一体になっているような感じがして気持ちよかった。だから、学校から帰るとすぐ裏山に登ってました。
中学生のとき通信販売でガットギターを買ったんで、それからは裏山に登るときギターも持って行って、オナニーしたあとボロンとギターを弾いたり。だから、ギター見るとオナニーを連想するんです。
(聞き書き:松田義人)
末井さん近況

美子ちゃんの車で横浜まで。
末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。































