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レギュラーコラム 末井昭

[2007年09月25日]
vol.3 魚肉ソーセージ

 お金を自分で稼ぎだしたのは、小学校4、5年生ぐらいになってからです。山に行くと雁皮(がんび)っていう木があるんです。それを採ってきて皮をむいて、その皮を干して売る。町から月に1回ぐらい雁皮を買いにくるわけ。高級和紙の原料になってたらしいけど、そのころはなんに使われるのか知らなかった。
 お金を稼ぐっていっても、1回山に入って50円か100円ぐらいですよ。いまのレートに換算すと500円か1000円ぐらいでしょう。稼いだお金で何キロものガタガタ道を自転車で走って、1軒だけある村の雑貨屋でお菓子を買う。あと魚肉ソーセージとか。
 魚肉ソーセージって赤いセロハンに包まれたやつ、いまもあるんだろうけど誰も食べないでしょう。でもそれが旨かったんですよ、当時は。工業製品の強烈な味ですね。山に行けば松茸なんかがいっぱい生えていて、採ってきて焼いて食べたりしてたけど、少しも旨いとは思わなかった。そういう自然の微妙な味は、いまでは贅沢になってしまったけど、当時は工業製品のほうが偉かった。
 学校に弁当持っていってたんだけど、おかずが松茸だともう恥ずかしくて。隠して食べてました。魚肉ソーセージだとエバれるわけ。そのうち給食になって、弁当は持っていかなくなったんだけど。
 雁皮を採りに山に入り、山のてっぺんに出ると遠くが見えるんです。岡山の山は小ぶりで、遠くに瀬戸内海の海がチラッと見えたりする。あの山の向こうに町がある。中学校を卒業したら、町に出てお金を稼いで、魚肉ソーセージのようなものを腹一杯食べてやろう、なんて思ってました。お金を稼ぎたいと思うようになった動機は食い物ですね。
(聞き書き:松田義人)


末井さん近況

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毎月第3日曜日に下北沢「KOMPALでヤリタツヨシ君(CG)と僕(TS)の演奏があります。


末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。


vol.2 お母さんは爆発だ はコチラから。


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[2007年09月19日]
vol.2 お母さんは爆発だ

 僕の家から10キロほど離れたところに鉱山があって、そこで働くのが現金収入の唯一の方法だったんで、父親も鉱山に行ってました。鉱山で使うダイナマイトを1箱持って帰って、家の床下に置いていたんです。
 なんのためって? 便利なんですよダイナマイトは。裏山の岩をダイナマイトで爆破させて畑を広げたり、川の中に放り込んで魚を捕ったり、喧嘩のとき腰に1本差して行ったりね。僕はオヤツ代わり食べたこともありますよ。そのダイナマイトで母親が死ぬことになるなんて、父親は思ってもみなかったと思うけど。
 母親が家に帰ってきて父親も嬉しかったと思うけど、母親の金使いが荒いんでそのうち喧嘩するようになって、そのせいかどうか知らないけど、父親がいない昼間、山仕事をしている村の若い衆が家に出入りするようになって。そういうとき、家にいると外に出されるんです。このころ薄々セックスってことを感じたんだと思います。小学校1年生のころです。
 父親も、母親が不倫していることを知って、ますます喧嘩が絶えなくなったんだけど、あるとき火鉢が飛ぶ大喧嘩をしたあと、母親は外に飛び出して帰ってこなくなったんです。
 何日も帰ってこないんで、父親は町の警察まで行って捜査願いまで出したんです。
 そうしたら、何日か経って山の中でダイナマイトでドカーン。隣の若い男と心中です。
 最初、犬が見つけたそうです。ワンワン吠えるので行ってみるとバラバラ死体があって。町から警察も来て、もう村中大騒ぎでした。
 母親は肺結核第3期で、もう治らないからヤケになっていたかもしれない。いい迷惑なのは隣の若い男で、爆発したときは22、3じゃなかったかと思います。息子を取られたってことで隣から怨まれ、親父は女房を取られたということで隣を恨む。それから隣同士仲が悪くなったんです。
(聞き書き:松田義人)


末井さん近況

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酒井美代子先生、ミャンマー大使御夫妻と。


末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。


vol.1 僕にはお金っていう概念がなかった はコチラから。


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[2007年09月14日]
vol.1 僕にはお金っていう概念がなかった

 子供の頃、お金ってものが世の中にあることを知らなかったんですよ。
 僕が生まれて育ったのは岡山県の山奥の村で、食べ物は自給自足だったし、町からたまに自動車で物売りが来るんだけどみんな米で買ってましたから。
 食べ物といえばイノシシね。村に共同で作ったイノシシを捕る柵があって、柵の中にイモを植えておくわけ。夜中にそのイモを食べようと、イノシシが柵の中に入ってくる。すると入口がバタンと閉まる仕掛けがしてあって、イノシシは柵の中で走り回っている。次の日半鐘がジャンと鳴って、村中の人が集まってくる。お祭り騒ぎです。
 イノシシはウリボウも連れてくるから、一気に5、6頭捕れるんです。それを河原でさばいて、みんなの家に均等に分ける。その晩はどこの家もイノシシのすき焼きなわけ。
 言語? 何を言ってんですか、もちろん日本語ですよ。方言だったけど。情報? 情報はラジオ。わが家は貧乏だったけど、ラジオだけはあって、浪曲とか落語や漫才を聴いてました。不思議だったのは、パチパチパチっていう拍手の音。拍手って知らなかったから、なんの音だろうと思って。おそらく出演者が巨大なソロバンみたいな車に全員乗って「それではまた来週!」って帰っていく音だろうって思ってましたね。
 お金というものを薄々知ったのは、母親が家に帰ってきてからです。母親は肺結核で町の病院に入院していたんだけど、もう治らないから家に帰ってきた。
 結核は贅沢病とか言われていて、とにかく食べ物の贅沢をする。町まで買いに行っていたのか、町から来る物売りから買っていたのか、肉や魚をよく買ってきて食べてました。そのお裾分けで僕も贅沢できたんだけど。刺身ってものを初めて食べたのも、母親と生活するようになってからですね。
 母親の贅沢は食べ物だけじゃなくて、洋服やら化粧品やらもよく買ってました。お金がないから、少しあった田圃や畑も売ってしまって、米の自給自足もできなくなったんです。 (聞き書き:松田義人)


末井さん近況
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 初めまして。頻繁にアップしていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。この夏は四国と尾道に行きました。


末井昭(編集者)
1948年・岡山県生まれ。白夜書房・編集局長。キャバレーの看板描き、デザイナー、イラストレーターなどを経て編集者に。現在はサックスに夢中。主な著書に「素敵なダイナマイトスキャンダル」「絶対毎日スエイ日記」などがある。


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