[2007年08月24日]
僕らの知らない小さな僕ら vol.11
これは確か、私が小学校の1年生か2年生の頃の話だそうだ。
3月か4月か、まあ、ようやく暖かくなってきたころ、この日の夕飯の時、お母さんが急に、
「今年の夏休み、泊まりで、みんなで、どっか行こうか〜!」
と、言いだしたのだ。
私が言うのもどうかと思うのだが、ウチは決して裕福と呼べる家ではなかったので、それはこの頃の私もウスウス感じていて・・・・・。
でも、お母さんが、
「今年は行くよー。今年の夏は行くからねー。」
と、ノリノリで言うもんで、私は夕飯の途中なのに、押し入れから、リュックサックをガサガサと、取り出してきたそうだ。そして、それを見た、5つ年上の兄が、
「どうせまた、オバちゃんところの梨狩りか、ブドウ狩りでしょう。んで、オバちゃんとこに泊まるんでしょう。リュックなんか、いらねーよ。紙袋で十分だよー。」
と、少しスネた感じと、反抗期まじりな口調で、私に言ったらしい。
だが、私は、そんな兄の言葉に耳を貸すことなく、洋服やら、水着やら、お菓子を、リュックにつめ込んで、どこで覚えたのか、
「熱海!熱海!熱海!熱海!」
と、シブイ場所を連呼したらしい。
すると、兄もどこで覚えたのか、
「軽井沢!軽井沢!軽井沢!軽井沢!」
と、軽くキレながら、お母さんに言ったらしい。
そんな様子を見ていたお父さんが、
「お母さん、お母さん、そんなこと言うと、みんな本気にするから、やめなさい。」
と、ビールを飲みながら、
「オレは、こうやって、みんなで飯を食えることが、なによりも、幸せだ〜。あれだぞ、熱海や軽井沢に行くと、あれだぞ、殺人事件に巻き込まれるから、あんなとこ、行かない方がいいぞ。」
と、わけのわからぬことを言って、この話を無しにしようとしていたらしい。
だが、このお父さんの虚しい説得は、家族の誰の耳にも届かず、兄は相変わらず、
「軽井沢!軽井沢!軽井沢!軽井沢!」
と、叫んで、ソファーの上をピョンピョン跳ねているし、私は私でリュックを背負って、部屋の中を、スキップ風で、はしゃぎまくって、母は母で新婚旅行のアルバムを引っぱり出してきて、若干、お父さんにプレッシャーを与えていたらしい。
そして、次の日、小学校から帰ってきた私は、また、リュックを背負い、スキップ風で、
「熱海、熱海、熱海、熱海。」
と、はしゃいでいたそうなのだが、ある時から、“熱海”コールがなくなったので、お母さんが心配して様子を見にいくと、リュックにつめたお菓子をバリバリ食べていて、しかも、洋服の上から水着を着て、クルッとお母さんのほうに振り返り、
「夏までだと、お菓子、腐っちゃうから、食べちゃったー!だから、熱海、行かない!」
それを聞いたお母さんは、勝手な親の解釈で、
「この子は、小さいのに、わかってるんだわ〜・・・・。」
と、昔のことを思い出し、小さな感動に浸っていたら、
「さっ、次は、軽井沢の用意をしなくっちゃー!」
と、新たにお菓子をリュックにつめ込み始めたらしい・・・・・。
そして、
「お母さん。アルバムに入れたいから、今、写真撮って〜!」
そう、言ったらしい。
結局、この年の夏はどこへも行かず、そして、余談ですが、次の年、お父さんとお母さんは離婚しました。
僕らの知らない小さな僕らvol.10はコチラから。
[2007年08月10日]
僕らの知らない小さな僕ら vol.10
これは確か、私が2歳か3歳の頃の話だそうだ。
私には3歳年上の幼稚園に通う兄がいて、給食にでる、その頃の当時の私にとっては珍しいものを家に持ち帰ってきた。もちろん、その頃の私は何がなんだか分かってはいない歳だが、兄が持って帰ってくる“ヤクルト”に、異常な反応をみせていたようだ。それは、たぶん、兄はヤクルトを飲み終えると、丸い飲み口にベロを押し込んで、空になったヤクルトの容器を上下、左右、そして、グルグル回しながら私を追いかけまわしていたようで、それが、どうも、とても気にいっていたようで・・・・・。
だから私は、兄がヤクルトを持って帰ってきた日は、大はしゃぎで、手をパチパチ叩きながら家の中を走り回っていたようです。
そして、ある日、ヤクルトを持って帰ってきた兄を発見した私は、いつもの通り、大はしゃぎで、家の柱に頭をぶつけながら喜んでいると、兄が私の手を引っぱって家の外に連れ出したのだ。小さい子供が2人きりで外に出るのは危ないと思った母が、こっそり私達の後をつけていくと、家から少し離れた電柱の影で、兄が私にヤクルトを半分わけて飲ませていたらしい。
なぜ兄が家じゃなく、外で私に飲ませたかというと、母から、
「ヤクルトは甘いから、みーちゃん(私)には、あげちゃだめよっ!」
と、言われていたからだと・・・・・。
だが、私が興味をもっていたのはヤクルトの中身ではなく、その空を使ってオモシロイ顔をして追いかけてくる兄だったのに・・・・・。
そして、電柱の陰でヤクルトを半分ずつして飲み終わった私たちは、稲の刈り終わった田んぼの中を走り回っていたらしい。
ヤクルトの空をくわえた兄に、私は追いかけられながら。
僕らの知らない小さな僕らvol.9はコチラから。
[2007年08月01日]
僕らの知らない小さな僕ら vol.9
これは確か、ボクが小学校低学年の頃の話だ。
担任の先生から、帰りのホームルームの時、
「えー、友達の物と間違えないように、自分の持ち物には、全部名前を書いておくように。」と言われた。そして、その日、家に帰ってから早速、ランドセルに入っている物を全部出して名前が書いてあるかどうか確かめた。筆箱、定規、下敷、教科書、ノート、……。すると、ほとんどのモノはお袋が書いてくれていたのだが、“ハサミ”だけ名前が書いてなかったのだ。だもんで、夕食後、兄ちゃんに
「ねーねー、俺、字下手だから、名前代わりに書いてよー。」
と頼んだら、いつもなら
「なんだよー、うるせーなー。知らねーよー。」
と、返してくる兄ちゃんが、
「いいーよー。書くいとくから、そこに置いといてー。」
寝そべってテレビを見ながらだが、心地良い返事をしてくれた。俺は「アレッ」と思ったがついでに、
「俺、もー眠いから、書いたらランドセルの中に入れといてー。」
と言うと、テーブルの上のハサミをちらっと見て、
「いいーよー。書いたら入れとくー。じゃあーねー。おやすみー。」
と、またまた心地良く返事をしてくれた。
なんだか、いつもと兄ちゃんの俺に対する態度が違ったのが気にはなったが、いつものように、蹴られたり、叩かれたりするよりはなんだかいい夢が見られそうだと俺はグッスリ眠った。
そして、次の日の朝。俺はいつものようにギリギリまで寝ていて食パンをかじりながら、靴を履き兄ちゃんを追いかけるように学校に向かった。そして、兄ちゃんに追い付き、
「ねーねー。名前書いといてくれたー。」
と、息を切らせて聞くと、
「あー、ちゃんと書いて入れといたよー。」
と、いつものケンカ口調ではなく、なんだか優しい声で答えてくれた。俺はまた「アレッ」と思ったが、遅刻をしそうだったので、気にせず学校に走っていった。
そして、学校へ着き朝のホームルームの時間、担任の先生が
「えー早速だけどー。昨日、自分の持ち物には名前を書いておくようにって言ったけどー。書いてきたかなー。えー、まだ書いてない人は早めに書いておくように!」
それを聞いて「ハッ」と思ったが、そうだ。そうだ。俺は昨日兄ちゃんに書いてもらったんだー。そう思いながらランドセルを開け、筆箱、定規、下敷き、教科書、ノートを取り出し、兄ちゃんに名前を書いてもらったハサミを取り出すと、ハサミの切るほうの部分に、ものすごく小さく切った紙の上に、それを覆いかぶせるようにキレイにセロテープが刃にそって貼られてあった。そして、その貼られた小さな紙を見ると、そこにはなんと俺の名前ではなく、ものすごく小さな字でしかも縦書きで「は さ み」と書いてあった。
そうです。そうです。確かに俺は兄ちゃんに名前を書いてくれと頼んだ。そして、確かに名前は書いてあった。そして、間違ってはいなかったが…。
それ以来、兄ちゃんが心地良く、優しい声で返事をしてくれた時は、なにかある! なにか企んでる! と思うようになってしまった。
そしてそのトラウマチックなものは、大人になった今でも残っているようで、心地良さや、やさしさに、素直になれない自分がいるような……。

































