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レギュラーコラム 水尾旅人 & BJ

[2003年09月25日]
vol.11 BJ

 
 阪神タイガース優勝!


2003年ペナントレースにおいて、実に18年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神タイガース。当方、阪神ファンではございませんが(掛布は好きでした(田淵も少々))、いまだ「Bic Wednesday」へのお問い合わせ・ゼロという状況をなんとか打破したいと思いまして、この度、虎フィーバーに便乗させて頂きたいなぁと思った次第であります。
1985(昭和60)年、バース・掛布・岡田・真弓らの超強力打線を率いてリーグ優勝&日本一になって以来、低迷し続けた阪神タイガース。翌年(1986(昭和61)年)こそ3位でしたが、その後の順位は、6位・6位・5位・6位・6位・2位・4位・5位・6位・6位・5位・6位・6位・6位・6位・4位と見事なほどのダメ虎ぶり。その中にあって、ポツ〜ンとサブリミナル効果のように見慣れない2という数字があります。
1992(平成4)年に、さりげなく2位になっていた中村阪神。ちなみに前年度(6位)も、翌年(4位)も中村監督です。いったいなぜ?
この年のタイガースは、若手の活躍が著しく、特に亀山努選手はイチローばりの活躍で鮮烈デビュー。その亀山を筆頭に、宇宙人発言前の新庄(吉川晃司似)、新人王に輝いた久慈、木戸から正捕手の座を奪った山田捕手など。
投手陣はというと、14勝を挙げた遅咲きマイクこと仲田幸司を中心に、ホスト顔の湯舟、ソバージュヘアの中込(のちに坊主)。そしてストッパーの田村勤。この投手は凄かったです。田村が出てくるともう誰も打てる気がしないという雰囲気でした。その後は残念ながら故障に泣いてしまいますが、たしか平田満に似ていたというふうに記憶しております。
助っ人&中堅どころも、オマリー&パチョレックに和田(ミスタータイガース(90年代限定))に八木(現・代打の神様)とかなりの充実野菜。
控え選手も充実野菜で、代打の切り札・ハンサム真弓明信(マダムキラー)、金森永時(四球王)、岡田(今や指導者として評価されてマス)、平田(老け顔)、木戸(恐おもて・現2軍監督)などなど。‘85年優勝時のメンバーがまだ在籍しておりました。
このように、1992年の阪神は、若手&中堅&ベテラン&助っ人が絶妙なバランスで噛み合い、ひょっとすると優勝?なんて世間が思ってしまったシーズンでありました。しかし、阪神ファンの方々にとっては、優勝じゃなくて2位という何とも思わせぶりなシーズンだったことでしょう。
そんなブルーな時期に発売された「阪神タイガースBIC」を今回は紹介させて頂きたいと思います。ラインナップは、亀山00・湯舟15・和田 6・オマリー1・久慈8・萩原31・新庄5の計7名。
この7名。「ミスターヘッドスライディング・亀ちゃん」こと亀山選手は衝撃デビュー後はライトに定着。守備でも仲良しの新庄との右中間の連携はすばらしかったが、全力プレーの影響で故障が絶えず、97年に引退。その後タレント活動を経て少年野球の監督に。99年には枚方リトルリーグを少年野球世界一へと導きました。ちなみに、双子の弟(亀山忍)もタレント。湯舟投手は2001年近鉄へトレード、のちに引退。「ミスタータイガース(90年代の)」こと和田と独特の歌唱法で「六甲おろし」のCDもリリ−スした助っ人・オマリーは共に阪神打撃コーチ&特命コーチに。久慈選手は中日へトレードに出されるも阪神へ復帰。両チームで優勝を味わうというある意味強運な選手。萩原選手は大阪桐陰高校(甲子園優勝)の主将で4番 。高校通算58本の本塁打を放ち、掛布二世という期待を背に92年ドラフト1位で入団も、1軍では大きな活躍はできませんでした。名前を「誠斗」に改名したり、結婚を機に登録名を「誠」としたが、1998年近鉄へトレード、2001年に引退。そして、新庄選手はご存知のとおり「僕は野球に向いてない。だからサッカー選手になる」という宇宙人的発言を経て、現在メジャ−リ−ガ−として宇宙旅行中。
現在も、阪神に在籍しているのは、選手では久慈選手と、コーチとなった和田・オマリーの3名。人に歴史あり、時の流れを感じずにはいられません。

そんな時の流れを感じつつ、先日、1985(昭和60)年優勝時の記念BICケースを入手しましたので、そちらもご覧頂けたらと思います。


 


BJ(Gunpowder)
プロ野球好きな球団:「クラウンライターライオンズ」
好きなプロ野球選手:落合博満
遥か昔の1977年の話しです。「クラウン」は100円ライターの会社なんですが、「西鉄」「大平洋クラブライオンズ」から引き継いで「クラウンライターライオンズ」という球団を誕生させました。しかし1978年のドラフトで江川卓を指名し、江川はそれを拒否。そのダメージなのか分かりませんが、その年の10月に球団を西武グループに身売り。翌年から「西武ライオンズ」が誕生。僅か2年間しか存在しなかった切ないチームです。そして、ミスター三冠王・落合博満は、ロッテ→中日→巨人→日本ハムと20年間4球団を渡り歩き1998年に引退(早5年)。球界復帰を切に願っております。
 現在は、巨人の番長・清原和博(落合とは師弟関係)と工藤公康(「坊や」(入団当時のニックネーム))も今年40歳)と阪神・下柳(カラオケはもっぱらジュリー)を応援しています。