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レギュラーコラム 大野ケイスケ

[2008年10月10日]
巨乳王子vol.11

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 巨乳と喜怒哀楽の僕の人生。巨乳にまつわる事実無根の言説の代表格に「巨乳は馬鹿そう」というものがある。一見からかっているように聞こえるが、これを口にする者の大半は揺るぎようのない事実だと思い込んでいる。そこには愛のかけらもない。反証として「貧乳は賢そう」とは言われないことからするに、「巨乳は馬鹿そう」には何らかの目に見えぬ悪意が大きく作用し、巨乳という存在を厳しい状況へ追い込もうとする構図が浮かび上がってくる。とはいえ、そこまで信じられてしまうほどの誘惑を内包している言説であることは確かで、このまま誤った解釈が定着し、巨乳の人権が侵害される前に、正しい認識を広めなければならない。事態は逼迫しているのだ。
 巨乳をコンプレックスに感じている者は多い。その理由は多岐に渡る。「気に入った服がない。サイズが合わない。」「顔よりも胸に視線が集まる。」「走ると邪魔で、揺れる様が滑稽に見えやしないか不安。だからそう易々と走れない。」「胸部の汗が尋常ならざる量。」…などが挙げられるだろう。コンプレックスは、人に余計な考えを促し、判断を鈍らせる。この鈍さが「馬鹿そう」というイメージを与えてしまうのである。本当なら、もっと明確なイメージでスタイリングしたいのに、巨乳によってサイズの壁に阻まれ、自分としては中途半端な格好で人前に晒される「哀しみ」。本当なら、仕事でもプライベートでもお互いの目を合わせながら会話したいのに、往々にして相手は胸を見ている「寂しさ」。本当なら、街を、野原を、動物的しなやかさで駆け抜けたいのに、巨乳によって失速を余儀なくされる「不自由さ」。本当なら、僅かな温度差にも適応して生活したいのに、温度差関係なく現れる「汗ジミ」。
 巨乳はあらゆる場面で常に考えることを要求されており、その「考える一瞬の間」が鈍さとして捉えられ、「巨乳は馬鹿そう」という大いなる誤解が広まっていくのだ。これは「考えること」を軽視しがちな時代の風潮とも密接な関係にあるといえる。巨乳は、考えている。「考える巨乳」は、思考を停止していることすら自覚していないこの時代に一筋の光明を照らす「女神」のような存在なのである。



大野ケイスケ(放送作家)
1973年生まれ。放送作家、ライター。TV番組、「新堂本兄弟」「ミュージックフェア21」「クイズ!ヘキサゴン」など。ラジオ番組 j-waveOH! MY RADIO(mon)などを担当。


巨乳王子 vol.10 はコチラから。


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