[2007年02月01日]
巨乳王子 vol.3

巨乳とともに歩むことになってしまった僕の人生。最大の問題は「その呼び方」であった。今でこそ「巨乳」という呼称が世間に認知され、口に出しても恥ずかしくない程度に慣れたが、それ以前はこんなにも崇拝しているのに何と呼べばいいか困っていた。
もちろん呼び方はいくつかある。
「おっぱい」というのは無理だ。今でもかなり口に出すのがためらわれ、とても恥ずかしい。なぜなら尊敬の念がない。派生して「デカパイ」とさえ言われる始末だ。たまに僕のことを「おっぱい星人」と言う人がいるが、怒りが込み上げてくる。「おっぱい人間」ですらなく「おっぱい星人」だ。なんで「星人」なのか……人として認められもせず、しかも軽々しくふざけた口調で言ってくる。その軽薄さと無神経ぶりには呆れるばかりだ。「おっぱい」という言葉に対する人の認識はその程度である。僕がずっと考え続け、敬虔な気持ちで接したい存在に「おっぱい」はふさわしくない。
「ボイン」というのも駄目である。なぜなら古い。15年前であっても高校生が口に出す言葉ではなかったし、三十路を迎えてある程度のことには無頓着でいられるようになった今でも抵抗がある。「ボインちゃん」などと言う人もいる。「ちゃん」とはなんだ、子供扱いも甚だしい。だからといって「ボイン様」も変だ。とにかく「ボイン」自体が駄目である。大橋巨泉氏の造語だと言われるが、放送作家の考えることなど所詮思いつきとノリである。後世に残る言葉ではない。
「ちち」や「でかちち」もいけない。なぜならそこには愛がない。犬や猫じゃないのだ、もう少し愛情と敬意があってもいいではないか。たしかにお世話になったとはいえ母乳が好きなわけじゃない。
こうして何と呼べばいいか躊躇しているうちに10数年が過ぎていった。「おっぱい」「デカパイ」「ボイン」「ちち」「でかちち」といっさい口に出すことなく、これまでなんとか無味無臭なあくまでも身体の部位を表す言い方として、かろうじて「胸」とか「胸囲」と呼ぶことでバランスをとってきた。言葉がないという状態は思考の筋道が迷走し妄想だけが増殖していく。しかも中学高校と男子校の僕は映像でしか知り得ぬ存在で、実物を触ったことも見たこともなかった。これは大げさに言う訳ではなく、ある種「神」の存在に近い。会いたいと熱望していても簡単に会えるわけはなく、言葉すら見つからない。だが思いは募るばかり……。ブラウン管を通じて拝むご本尊は偶像でしかなかったのだ。だが、つくづく中高一貫の男子校で良かったと思う。もしもクラスに女子がいて、その中に巨乳がいて、下着と制服に包まれた実物がすぐそこにあったとしたら、僕の人生は大きく狂っていたことだろう。勉強に手がつかないのは無論のこと、日常生活をまともに過ごせたかどうかも自信がない。そんな無菌状態だったからこそ、巨乳は神に近い存在となった、僕の中で。
「巨乳」というのも、呼び方として果たしていいのか悪いのかわからない。スケールがさらに大きくなり「爆乳」やら「魔乳」やら言われるようになった。これからも言葉が定まることはないだろう、人智を超え言葉などとは無縁の存在なのである。僕は答えが出なくとも考えるしかない。

































