[2004年02月10日]
巨乳王子 vol.2

単なる「巨乳好き」から「巨乳愛」にまで昇華した、僕の「巨乳をめぐる冒険」。
「運命」(と書いて「さだめ」と読む)というものがあるならば、僕は巨乳との出会いで、それを知った。性癖という人間のタイプを分ける1ジャンルを超えて、人生をも呑みこむ身体パーツ。僕の人生は巨乳とともに歩むといっても過言ではない。こんなことちっとも認めたくはないが厳然たる事実なのだ。
「神の啓示」(と書いて「いたずら」と読む)というものがあるならば、僕は巨乳との出会いで、それを確信した。
どうせ考えるならポジティヴに考えたほうが得に決まっている。僕は自分に与えられた運命を厳粛に受け止め、「愛」が生まれた。
しかし…人間は「好き」くらいがちょうどよいのではないかと思うことがある。「愛」という感情はとても深遠なものだが、時として自分でも手に負えない面倒くさい心情の流れを抱えてしまう。
僕が「巨乳」という神からの啓示を受けたのは前述の通り中学3年生の時だが、思えば小学生の時にも思いあたるひとつの出来事がある。まだ子供だったがゆえ、自分と巨乳の関係性をうまくとらえることができなかった。だが、「巨乳愛」は確かに芽生えていた。
それは小学5年生の時。僕のクラスにひときわ背の高い女子がいた。まったくもって子供は…というか男子は馬鹿である。僕ら男子の認識は「背が高い」という子供ならではの見当違いな視点しかなかった。すでに彼女は巨乳だったのだ。僕ら男子にはそれが見えていなかっただけだった。
この状況はある朝一変する。
Yという名前の彼女は、その日ブラジャーを着用してきた。ブラジャーという「大人の下着」が同じ年齢の女子の胸にぶらさがって堂々と学校の教室に侵入し、とくに何があるわけでもない平和な子供の時間は大きく狂わされることになった。
その日の朝、Yの登校には厳戒体制が敷かれていた。クラスの担任教師は女性だったが、あらかじめ入念な打ち合わせがあったのだろう。彼女が臆することなく登校できるための配慮だったのだろうが、まったく意味がなかった。Yはクラスの何人かの女子に護衛されるようにやってきた。男子の奇異な視線を遮るための策だと思う。
だが逆に目立った。
朝の会を迎えるのは体操服でという決まりだったが、Yだけパーカーの着用が許された。
やっぱり目立った。
隠せば隠すほど興味の幅は広がるというものだ。男子はYのブラジャーを見ることに必死になった。付随して様々なことが変化した。「ウンコ」とか「ゲロ」といった子供特有のギャグはその日から全然受けなくなった。子供の下ネタが終わりを告げ、大人の下ネタの第一歩を踏み出すことになったのだ。
激変ともいえるクラス環境の変化に僕は大きな戸惑いを感じた。巨乳ひとつでここまで状況は一変する。そしてそれは、小学生にして巨乳という「運命」を背負うことになったY本人の人生も一変させたことを意味する。当時の僕が背負っていたものといえばランドセルくらいなものだ。子供ながらにYの立場を考えた時、僕はとても悲しい気持ちになった。Yは自らの意思で巨乳であることを選んだわけではない。なのに、好奇や無意識や興味などのあらゆる視線を受けながら生きていかなくちゃいけない。それは幸せなのか、それとも不幸せなのか…。11歳の僕はうまく考えをまとめることができなかった。でもなぜか悲しかったことだけは、今でもはっきりと覚えている。他の男子と一緒に「ブラジャー!ブラジャー!」と騒ぐことはできなかった。
そのかわり「巨乳」というものに対して思考の道筋が生まれた。
あれから僕はずっと巨乳のことを考えている。「愛」というものが、考えること、そして継続することなのだとしたら、僕の「巨乳愛」はその時に芽生えたものだといえるだろう。
大野ケイスケ
1973年生まれ。放送作家、ライター。
リリーさんとはCX「ココリコミラクルタイプ」でご一緒させてもらってます。たまにJ-WAVE「TR2」に遊びに行くことも。
































