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レギュラーコラム ZONONEM

[2007年02月01日]
熟爛漫 vol.13

「わしが死んだら、あの大の字の右上のへんに骨埋めといてくれたら、それでええわ〜」
 紅白を観終わり、ラジカセで、「(テノール歌手のより)こっちの声の方が味があってええわ〜」という、新井満バージョンの『千の風になって』を聴かせてくれながら、父・徳造は言った。
 
(リリーさんに題字を書いてもらった)『京都の信州人』に続く、2冊目の自分史『信州人から京都人へ』では、親父自身が撮影した法然院山門のカバー写真に、「たどりついた理想郷」というキャッチが乗せてある。
 東山大文字の麓にある法然院。古い杉木立の間。一本の細長い道を曲がると、奥に、小さな茅葺き屋根の山門が見える。石段の上がり口から眺めると、山門で切り取られたフレームに、境内の風景がいっそう明るく際立つ。
 50年前、信州から柳コーリひとつ抱え、住み込みで染物屋に就職した親父は、休みになると、京都中の史跡を歩いて回った。そして、墨絵の中に浮かび上がる、極楽浄土のような景色に出会った。
 いつかは、自分もこの中に溶け込みたい。
 還暦を過ぎた頃、不況の染色業界に見切りをつけ、工場を畳むと、親父は、四条の町中から、ついに、憧れ続けた法然院の近くに、移り住んだ。
 以来、十数年、毎日、見習い僧が半鐘をつくよりも前に境内に入り、落葉を掃いたり、池の鯉に餌をやったり、体操をしながら、本人曰く「この世の極楽」という朝の法然院の世界を、満喫している。
 たまに、早くに訪れた観光客がいると、お寺の歴史や、法然上人の教えなど、住職さんに代わってガイドし、特に熱心に聞き入ってくれた人には、(掃除道具と一緒にお寺に常備してある)『信州人から京都人へ』をプレゼントするそうだ。
 
 就職難の時代に、染物屋の丁稚しか働き口がなかったからという理由で、信州から京都に出て来た親父。
 それから、半世紀たち、最近になって、ようやく京都になじむ、という実感を持てたようだ。
 「あそこに埋めてくれたら、毎年、送り火の時にな、京都中の大勢の人に、わし見てもらえるやろ」
 今は、法然院のそばにいつまでもいたい、という思いとともに、壮大な夢も描いている。