[2008年08月25日]
新・俺流 vol.25

清原選手が還ってきた。
ファームではホームランを放ち、先日は一軍でのゲームで初ヒット。膝の骨を5ヶ所くり抜いて、他の所から骨を埋め込むという、想像しただけでもハードルが高い手術をして、壮絶であったろうリハビリを経ての復活。
が、われわれはこの「復活」という言葉を安易に使ってはいなだろうか?と、今回の清原選手を見て思った。もはや、キャッチ・コピーとなり、果てはお約束的な言葉にさえなった「復活」。
というのは、リハビリ期間中、時たまメディアに登場していた清原選手が繰り返し語っていた言葉が「一軍でもう一回ホームランを打ちたい」。
通常なら、ケガの前の状態に戻って、バリバリに活躍したいと望むことがモティヴェーションとなって、キツいリハビリに挑戦するわけで。それがいたく控えめな言い方が気になっていた。
一軍復帰前の感動的だった桑田投手(あえて投手と記したい)とのフリー・バッティングの後、桑田投手も同様なエールを送っていた。
で、清原報道なら他の追随を許さない『日刊スポーツ』を読むと、死去する2ヶ月前までグラウンドで指揮をとっていた仰木監督への想いだと。その死に様を胸に刻んで、リハビリを耐えたと。そこで、先の発言がリンクし、合点が行った。
生き様、いや、現役選手としての死に様を見せようという想いで、清原選手はグラウンドに還ってきたのだと。
それは、メジャーでも前例がない大手術を成功させ、復帰することで「前例」を作ることも含まれる。復帰しても活躍できるのは一瞬かも知れないが、「前例」は、その「死に様」は、観る者の記憶に永遠に残る。
結果だけじゃない。いや、結果よりむしろ、われわれはそんな
姿をプロ・スポーツに求める。少なくても僕は。
その意味で、「一打席で終わってしまうかもしれない」と素直に吐露した上で、復帰した清原選手のなんという潔さよ。
復活したという「結果」じゃなく、決して復活しなくても過程をしっかりと見届けることが大事だと、自分への戒めも含め、強く感じたのだ。
山崎二郎(「Barfout!」編集発行人)
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