[2005年08月19日]
恋のナイトフィーバー vol.10

酒の席でいつものごとく映画の話になって、「実は俺、『ブレードランナー』とかもけっこう好きなんですよね……」と、おずおずと切り出したのはBJだった。人は『ブレードランナー』という単語を口にするとき、恥ずかしげな顔になる。オナニーを母親に見つかった中学生のような顔だ。
なにしろ1980年代当時、『ブレードランナー』は変に流行りすぎた。オナニーより流行っていたかもしれない。ハリソン・フォード(すでに『スター・ウォーズ』の最初の2作でメジャーなスターになっていた)主演の大作映画であるにもかかわらず、興行的に大コケしてしまったこの映画は、まずSFオタクたちに支持され、やがてオシャレ人間たちの間でカルトムービーとしてモテはやされた。公開から20余年が経つ現在でも『ブレードランナー』は、『カサブランカ』や『マルタの鷹』を語るような具合にクラシック名画の枠にすんなりおさまることはできず、未だに映画オタクたちの自己満足の慰み物になっている感が強い。
80年代を知らない若い人は、たとえば裏原ブランドのTシャツを着る気恥ずかしさを思い浮かべていただきたい。「今どきレアでもないけどさぁ……」「いや、キムタクを意識してるわけじゃねーよ」「ていうか素材がいいんだよね、コレ」とかなんとか、見苦しい言い訳をしたくなるだろう。『ブレードランナー』について語るのは、そういうようなものだ。見苦しいことは承知で、私の言い訳にお付き合いいただきたい。
一応説明しておくと、『ブレードランナー』はフィリップ・K・ディック原作(映画化をきっかけにディックの小説群も再評価されてカルトブームになったが、実は私もそれでカブレまくったバカの一人だ)の近未来SF映画である。
2019年の未来世界(製作当時には37年先の未来だった)では「レプリカント」と呼ばれる人造人間たちが奴隷労働に従事している。ちなみに、レプリカントとはこの映画のために初めてひねり出された造語だ。中森明菜の『TATOO』で「くどき上手のチープなレプリカント♪」と歌われたのは「ねえ、『ブレードランナー』って知ってるぅ?」の目くばせである。いやまったく80年代ってのは、こっ恥ずかしいったらありゃしない。
高度に発達したバイオテクノロジーによって人間そっくりの生体機械として造られたレプリカント。彼らに感情や自我が目覚めるとやっかいなことになる。そこで彼らにはわずか4年で寿命が尽きるという設計が組み込まれているのだが、そんな理不尽な境遇に甘んじることはできないと目覚めた一部のレプリカントたちが脱走する。生命の延長を得ようと暴走するレプリカントたちと、それを追うブレードランナーと呼ばれる雇われ捜査官。酸性雨が降りしきるダークな未来都市ロサンゼルスを舞台に、ハードボイルド探偵映画のスタイルを借りて、本当の人間らしさとは何かという問いを投げかける映画である。
『ブレードランナー』に必ずついて回るキーワードに「レトロフューチャー」という言葉がある。未来なのに懐かしい風景。過去のさまざまな時代の様式を乱暴にリミックスした都市デザイン。それは確かにレトロフューチャーと呼んでも「当たらずとも遠からず」なのだろうが、どうも私は違和感を感じる。
テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』をレトロフューチャー映画として語るのは分かる。ギリアムはかつて『モンティ・パイソン』で、泰西名画や60年代サイケ調のイラストレーションなどを自在に組み合わせ、シュールなアニメーションを作ったことで知られる。異なる要素を組み合わせることで新しい意味や美意識を生み出す才能を持ったアーティストである。『未来世紀ブラジル』におけるレトロとフューチャーのミックスは、まさにギリアムならではのセンスの見せどころだった。
一方、『ブレードランナー』の美術は確かに画期的ではあったが、個性的なものではない。それは当時すでにポストモダン時代に入っていた社会の価値観を敷衍した、想定範囲内の未来像をリアルに考察した姿に過ぎない。『ブレードランナー』の監督リドリー・スコットは、単にレンブラントの絵画のような光と闇の中で人間を描くのが好きな、古典的審美眼を持った映像作家である。奇抜で斬新なビジュアルを生み出す進歩的アーティストではない。だから『ブレードランナー』の美しさについてレトロフューチャーなどという言葉を持ち出す必要はないと思うのだ。あれは当初から、ストレートにノスタルジックな映画だった。
少なくとも私にとって『ブレードランナー』は、封切りロードショーの新宿ミラノ座で初めて見たその時から、ただひたすら懐かしくてたまらない映画だった。冒頭、未来都市の空中を滑空するスピナー(空飛ぶ自動車)の前に広がる、工場地帯の火を噴く煙突の群れ。石油コンビナートの町で生まれ育った私にとって、それは「重工業時代の名残を象徴する背景」などという他人事の記号的アイテムではない。農村地帯に育った人が田園風景に郷愁をかき立てられるのと同じように、煙突から燃え上がる炎は私にとって胸を掻きむしられるほど懐かしい原風景だった。
高度成長期の日本では、各地に新しい工場地帯の町が生まれた。山が削られ、海が埋め立てられ、高い煙突が立ち、太い産業道路が造られた。周囲には労働者のための住居が続々と建てられたが、それでも埋め尽くせないほど空き地は広がっていた。
小さな子供の肉体にとっては、当時の日本の空き地はアメリカの荒野と同じくらい広かったし、労働者のための歓楽街の路地裏や、在日朝鮮人街に足を踏み入れた時の緊張感は、ロサンゼルスの闇と同じくらいハードボイルドだった。
テレビゲームがなかった頃の子供は、外でよく遊んだ。空き地や、路地裏の駄菓子屋や、スナックやキャバレーのネオン看板に囲まれた公園に遊びに行けば、自然に近所の子供たちが集まってくる。ビー玉やメンコ(私の地域ではそれぞれカッチン、パッチンと呼んだ)、「缶けり」や「三角ベース」「六むし」「屋根ゴロ」などの遊びが始まる。
夢中になって遊んでいるうちに日が暮れてくると、夕食の支度ができた母親に呼ばれて、子供が一人、また一人と、家路に帰っていく。いよいよ最後に二人だけ残った子供は、仕方がないからボール投げを始める。野球のボールとグローブを使った本格的キャッチボールではなくて、たいていはゴムボールを素手で投げ合うだけだ。大して面白くもない。それでも黙々と投げ続ける。もうすっかり暗くなってボールも見えなくなってきて、だけどなぜか「帰ろう」と言い出すこともできなくて、ただ黙々とボールを投げ続ける。
無言の中で、永遠に続きそうな時間。その時、向かい合う少年の肩越しの夕闇には、コンビナートの煙突から噴き上げられる炎が、神聖な光のようにぼうっと揺らめいていたのだった。
リドリー・スコットはマッチョ主義の映画監督である。『テルマ&ルイーズ』では男の犠牲になって生きることに異議を唱え共闘する女同士の友情を描いていたから、フェミニストな監督と思われる向きもあるかもしれない。しかし、『エイリアン』や『GIジェーン』を見れば分かるように、スコットはつねに「男らしい女」を描いているに過ぎない。古典的な英雄像を同時代の男に投影することが難しくなった現代に、ヒーロー役を女に背負わせる映画が現れはじめた。その代表格であるスコットは、女の中に男を見出そうとしているだけであって、女そのものには興味を持っていない。
スコットの女への無関心が最も露骨に現れている映画が『ブレードランナー』である。この映画の中で女の性別を与えられているレプリカントたちは、酷い殺され方をしたあげく、おぞましい死に様を演じさせられ、冷たく切り捨てられる。男の性別を持つ者のみが美しく感動的な死に場所を与えられる。フェミニストが見れば不快感を訴えてもいい映画である。しかし、これは女を差別する映画ではない。ただ男の映画であるだけなのだ。映画のクライマックスはルトガー・ハウアー演じるレプリカント=ロイ・バッティと、ハリソン・フォード演じるブレードランナー=リック・デッカードの死闘である。これを見せるための映画には、女は初めから脇役にしかなり得ない。
人生の意味も見失った、しがない雇われ人のデッカードと、理不尽な寿命のせいで死を目前ににしたロイ。命がけで闘う意味などない二人が傷つけ合う様は陰惨な場面のはずなのだが、ここでの二人の死闘はまるで子供の遊びのように無垢である。思えば、レプリカントはたった4年しか生きられない哀れな存在だ。ロイはただの子供じゃないか。
男の子の時間には、女の子は必要ない。じゃれ合いと本気が紙一重で両立するゲームの神聖さは、男の子同士じゃなければ分かり合えない。女の子たちには退場願おう。デッカードとロイは鬼ごっこを続ける。母親が呼びにきてくれない子供たちのように。帰りそびれた子供のように。
「私はお前たち人間が信じられないようなものを見てきた。……そんな思い出もすべて消える。雨の中の、涙のように」
というのは、ルトガー・ハウアーの畢生の名セリフである。記憶はいつか消える。レプリカントのロイが合成物の目で見た、オリオン座の近くで燃え上がる宇宙戦艦の炎も、昭和の男の子たちが小さな目で見た夕暮れのコンビナートの煙突の炎も、それを思い出す者がいなくなれば、永遠の中に消え去ってしまう。雨の中で流す涙のように。オナニーに使って捨てられたティッシュペーパーのように。
『ブレードランナー』には人それぞれの解釈と思い入れがあるだろう。私にとってはただ、素晴らしい「男の子の映画」である。
黒住光(ライター)
この夏はテレビで巨人戦を見る気にならないおかげで仕事がはかどりました。なんだかなあー。
黒住光
(ライター)
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しばらくお休みしておりますが、ある日こっそり復活しますので、よろしく。
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