ロックンロールニュース


レギュラーコラム 黒住光

[2003年04月03日]
恋のナイトフィーバー vol.1

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 カラオケに行ったとき、私が必ず唄うのがビー・ジーズの『愛はきらめきの中に』である。切なく酔える曲だ。まあ、聴かされる側はいい迷惑だろう。カラオケとは迷惑のかけ合い漫才なのでしょうがない。
 40代の人なら誰もが知るとおり、『愛はきらめきの中に』は映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の挿入歌である。10年前だったら「30代の人」と書いたところが、今は「40代の人」と書かなくてはならないのも切ない話だ。生きていると切ないことばかりである。
『サタデー・ナイト・フィーバー』はヒット曲と華麗なダンスシーンを散りばめただけの風俗映画ではない。映画のヒットから生まれた「フィーバーする」という流行語の軽薄さとは裏腹に、都会の片隅に埋もれていく若者の挫折を鋭くえぐった、厳しくリアルな青春映画だった。『フラッシュダンス』のように「頑張れば報われる」式の甘い映画ではない。
 ニューヨークのブルックリン。たった1ドルの昇級を喜ぶ、貧しく学歴もないイタリア系の主人公が、土曜の夜だけディスコでキングに変身する。そんな彼の生きざまを年上のダンスパートナーはあざ笑う。マンハッタンでキャリアウーマンをやっていることを鼻にかける彼女は、「川ひとつ隔てただけで世界が違うのよ」と自慢し、若者の未来は先が知れていると言い放つ。鼻持ちならない上昇志向女に言い返す言葉もなく、笑ってごまかすばかりの主人公。その切なさを絶妙に演じたジョン・トラボルタは、すでに名優であることを証明していた。トラボルタの哀しみは大多数の若者たちの哀しみである。ただ川を一本渡るだけのことができないまま、青春はあっけなく終わってしまうのだ。
『サタデー・ナイト・フィーバー』の時代から四半世紀が経って、キャリア・ウーマンという言葉は時代遅れになった。その代わりに、たとえばイルカの保護活動を熱心にやっているダイバーだとか、可愛い雑貨屋さんのオーナー店主だとかが、「素敵にキラキラしてる人」としてテレビで紹介されたりする。そんな人たちの生活が本当に輝いているのだろうかとケチをつける気はない。しかし、キラキラした人にならなければ生きてちゃいけないのかい?
『愛はきらめきの中に』が映画の中で流れるのは、トラボルタのダチの一人がブルックリン・ブリッジから落っこちて死んだ後の場面だ。彼女を妊娠させて結婚しなけりゃならないことを思い詰めたダチ公が、マンハッタンの成功者と自分たちを隔てる川に落ちて死んだのだ。まったくつまらない死に様である。やりきれない思いで地下鉄に乗り、例のいけすかない上昇志向女のアパートに向かうトラボルタの姿に、『愛はきらめきの中に』がかぶる。「僕らは愚か者の世界に住んでいるのだから」という歌詞が実に苦い。これは甘いラブソングではないのである。
『愛はきらめきの中に』の原題は "How Deep Is Your Love" だ。愛の深さとは、「死ぬまでお前を離さない」なんてことではないと思う。どれだけ深いやりきれなさを抱えた上で、幻のような一瞬のきらめきを愛するか。人を愛するのも映画を愛するのも、そういうことじゃないかと思いながら、私は『愛はきらめきの中に』を熱唱するのである。


黒住光(ライター)
先日、仕事でとある女子高を訪れたところ(いやらしい仕事ではない)、教室に貼ってあった「現代社会」のテスト問題の難しさに驚く。そろそろ政治経済についても書けるライターになりたいと思うので、高校の教科書を買ってみようかと思う。