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リリー・フランキー

[2003年08月02日]
シナモン日記 vol.4

 
ハモ月プリ日


 人は経験を重ねることで、自信を持てることがいくつかできてくる。そして、それとは逆に、年齢を重ねることで、自信を失うことも生まれてくる。

 BJの場合、それは『ある部分』にあらわれた。

 先日の京都。祇園祭りも直前に控えた京都の街は、いつもより華やかで、風情にあふれていた。

 「いいっスねぇ、やっぱ京都は」。京都に来るのは中学の修学旅行以来だというBJは、感慨深げに祇園囃子に耳を傾けていた。

 大阪、京都とサイン会で回り、京都の学校で講演のような仕事を終え、我々は束の間の夜を、鴨川沿いの川床で過ごしていた。川にせり出して床を作る。その上でいただく鱧料理などは、まさに夏の京都の風物詩。ボクたちを京都に呼んでくださった学校の校長先生や担当の方に、手厚いもてなしを受けていたのである。

 「風がきもちいいですねぇ」

 自然と言葉も風流になる。京都独特のしっとりした風が頬をすり抜け、色とりどりの夏野菜をあしらった料理がお膳に並べられた。

 「さぁ、どうぞ召し上がってください」

 校長が皿を差し出してくれる。

 「では、いただきます」。その時だった。

 「あれ?BJさんは?どこに行かれたんでしょう?」

 「さっきは、いたんですけどね?どこに行ったんだろ?」

 そういえば、乾杯の時もいなかった。さっき、戻って来たと思ったのだが、またどこかに行っている。

 「気にしないで下さい。すぐ戻ると思いますから。じゃ、いただきまーす」

 しばらくするとBJは戻って来た。

 「なにかありましたか?」

 「いえ、だいじょうぶです」。学校の方が心配している。せっかく、もてなして頂いているのに、こいつはさっきから、ちっともじっとしてないのである。失礼な奴だ。

 風に乗って、どこからか香の匂いが運ばれてくる。京都の香り。

 「この茄子はおいしいですよ。どうぞ食べて下さい」

 「ああ、おいしそうだ。いただきます」

 「あれ?BJさんは…」

 「あ…。どこに、いったんだろうか…?」

 なにをしているんだ!?あいつは?せっかくの招待なのに、あいつがウロウロするから、なんだか場が落ち着かないのである。

 店を出て、ホテルに戻る前に少し歩いて高瀬川沿いの風流なバーに入った。バーの窓からは川のせせらぎが近く、しっとりとした気分になる。

 「やっぱ、京都はいいなぁ」。そう言うとBJも窓の外を眺めながら、何度も『そうッスね』と返した。とは言いながらも、あいかわらずなにかソワソワしているのである。

 「つうかさ、さっきからなにやってんの?」

 「ちょっと、腹痛いんスよね」

 「トイレ、行けば?」

 「やばいッスね」

 「行けよ。早く」

 嫌な汗を光らせながら、BJは席を立ったが、トイレに行くと思いきや、そのまま店の外に出て行くのである。なにをやっているんだ!?ほんとに。というか、怪しい。今日一日、ずっと居たりいなかったりするし、なにか心ここにあらず。しかし、京都には修学旅行以来のはず。どこかに行ってるとも考えにくい。だが、20分30分と、姿をくらますのだ。挙動不審である。

 BJの注文したカクテルがずるずるにぬるくなったころ、店にBJは戻って来た。

 「なに?電話?なにやってんの?」

 「いや、ちょっと…」

 「なんだよ、ちょっとって?」

 「ちょっと、もう、自信が無くなってきてるんですよね…」

 「なんの?」

 「屁かクソか、わからなくなってきてるんですよ…」

 つまり、こういうことらしい。

 今日は朝から腹が痛く、ずっと下痢をしていたらしいのだが仕事中に頻繁にトイレに行くことも出来ず、一触即発の状態でいた。

 そんな時、肛門に圧力を感じる。これは屁かな?便かな?いや大丈夫だろ、屁でかわせるだろ。そう思って、ゆっくりと屁の通り道を作ってやる。しかしだ。

 あれ!?あれ!?やばいな、これ!?まいったな、おい!

 ひとくち、といわず、ふたくち、みくち、漏らしてしまったそうだ。それも昼、夕方、そしってさっき。35歳のくせして一日三回もウンコ漏らしていたのである。

 「もう、自分のアヌスに自信が持てないッスねぇ…」

 「いや、持とうよ!つーか、本当汚いな、おまえ」

 そして、今日一日、クソをチビるたびにコンビニに行き、パンツを買って、履き替えていたらしい。さっきも、このバーで人が風情にうっとりしている前でクソをチビり、コンビニに直行。尻を拭いてパンツを履き替えてたのである。

 「今日は、一日中、パンツ捨ててましたねぇ…」

 「ヤバいと思った時にトイレ行けばいいじゃん!」

 「いや、屁だと思ってたんですがねぇ…」

 「そんなに、わからなくなってるの?」

 「まるで自信がないですねぇ。もう」

 BJはバーの窓から物憂げに高瀬川のせせらぎを眺めながら呟いた。

 「あそこの真ん中にしゃがんで、ケツ洗いたいですねぇ…」

 「ムードのないこと言うな!!台無しだよ、京都!」

 大丈夫だったことが、大丈夫でなくなる。浅香唯は名曲「セシル」の中で歌っていた。

 『人は大人になるたび弱くなるよね。きっと自信をなくして迷ってしまう』。この歌が、クソをチビる意味を内包しているかどうかは知らないが、いや、してないだろうが、それが屁なのか、クソなのか、自信を持てなくなり、せっかくの京都で一日中、パンツを捨てて過ごした男の出現に、僕はなぜか「セシル」が頭の中でガンガン流れていた。

 二番で浅香唯は、こうも歌っている。

 『恋は楽しい時より苦しい時に、そっと始まった方が長く続くね』

 しかし、クソを漏らしている時に始まった恋が、長く続くだろうか?

 それより、始まるだろうか?恋が。パンツを捨てている夜に。

 『映画で観たセシルのように、嘘はつきたくない』

 いや、いいだろう。こんなエピソードを発表されるくらいなら嘘をついてもらった方が。

 この趣きある京都の街。この街のどこか三か所に、BJのパンツが捨てられている。

 そう思っただけで急に京都が輝きを失って見える。

 自信を失った男のせいで、京都がかわいそうだ。