[2003年07月02日]
シナモン日記 vol.3

夢月マヨ日
『なにがしたいのか、わからない』
多くの人の悩みである。RRNのメールにも、そんな内容のくすぶる声がたくさん届く。
一見、若者の悩みのようでもあるが、これはすべての年代が抱えることのようだ。
そして、そんな悩みを相談される僕自信も、同じことでくすぶっているものだから、明確な返事をすることもできない。
『目標がない』
「人生の目標や夢を持て」と第三者はいうけれど、おまえ、話聞いてんのか?こちとら、それ以前の所で立ち止まってんだよ。ということである。
しかし、人生にしっかりした目標や夢を熱く抱き、それに向かってまい進している奴なんかの方が、珍しいのである。もしかしたら、目標とか、夢とかを探してるうちに、多くの『人生』は終ってゆくのかもしれない。
でも、僕はそれでもいいと思う。いや、それのどこに問題があるのかと聞きたい。
『目標』や『夢』はイコール生き甲斐ではない。そんなものを持たなくても、生き甲斐は充分に持てる。そんな考え方に「向上心がない」と非難する奴もいるが、向上心とは自分自身の価値観や美意識を向上させんとする心なのであり、社会や他人の価値観の中にある階級に、自分を持ち上げようとすることではない。
脳ミソが札束とザーメンで出来てるような政治家は、地方の講演会なんかで「そういう国民が多いというのは、まことに、いかんねぇ。男はもっと、がんがんレイプして、女はばかばか子供産んで、夢と、目標を、持たんといかんねぇ。御静聴ありがとうございました」
パチパチパチ。「さすが先生だぁ、いいこと言うべぇ。なぁ、皆の衆!」と完全に脳死した後援者と笑える漫才やってるけど、ああいうバカが『夢』とか『目標』とか言うたびに、その言葉の意味が『ゲロ』とか『クソ』くらいに下がるのである。
また、子供の頃から将来の夢や目標を見つけて、目をギラギラさせてるガキいるけど、可愛げのない瞳してるね、あれ。悪いけど、気持ち悪いと思うときあるね。どうせ、歌手とかサッカー選手とか、そんなかんじだろ?それ、単なる職業じゃん。そんで、おまえまだ10歳だから、世の中に色んな職業あることや、おもしろいこといっぱいあるの知らないでしょ。慌てなくていいんじゃないかね。世間知らずの10歳が考えついたことを、あと70年やってくつもりか?だいたい、世の中で言われてる『夢』とか『目標』って「職業」に直結した話ばっかりで、それこそ夢がない。
じゃあ、オマエの夢はなんなんだ!?そう言いたそうだな、10歳。だから、人の話聞いてんのか?それが、見つからないって話よ。こちとらは、職業探しやってるわけじゃないんだよ。もっと、夢みたいな『夢』探してるんで、ヨロシク。
わかったら、その小さいチンポにセコい『夢』くるんで、鉄棒にこすりつけてなさい。
かといって、やっぱり、なにもないんじゃ退屈な訳だけど、このあいだ思った。
『やりたくないのに、イヤイヤやってる』っていうのが、一番ダメなんじゃないかね。
そりゃ、みんなが望む環境にいれる訳じゃないから、やりたくないこともやらなきゃいけないんだけど、「イヤイヤやる」のはダメ。せめて「頑張って」やってもらわなきゃ。
それを感じたのは昼間の小さな居酒屋だった。
時々、昼にランチを始めてる居酒屋を見かける。でも、やっぱり居酒屋の店主はできることなら、ランチは「やりたくない」のだと思う。夜も遅くまで営業しているのだし、昼食は薄利だし、本当は「やりたくない」のだけど、売り上げのことを考えてみると「仕方なく、やるしかない」というのが本音だと思う。
しかし、ほとんどの所は、それでも「頑張って」やっている。そういう店は雰囲気も覇気にあふれていて、値段も「頑張っている」ので、こちらもありがたい。
ところが、ついに発見してしまったのである。「頑張ってない店」を。
もう、その店は外観からして、すでに「イヤイヤ全開」だった。入り口にはビールケースやおしぼりのラックが両脇に積んである。ちいさな黒板には、とても心の病んだ文字でランチメニューがかいてあった。
狭い店内は薄暗く、普段着のままのおやじがカウンターの中の椅子に座って「おもいっきりテレビ」をおもいっきりデカいボリュームで観ていた。
溢れ出る、イヤイヤやってますのオーラ。負のエネルギー。敏感に危険を察した僕は、カウンターを回避して、座敷に上がった。しかし、その座敷にも様々なおやじの私物、しおれたねぎの入った段ボール、積み重ねたままの座ぶとん、二年前の「みこすり半劇場」などが散乱し、つまり、散らかりまくっていた。
おそらく、この店は夜の部も「頑張っていない」のだろうが、昼の部はそれに「イヤイヤ」が更に加わり、手の施しようもないほど、投げやりな雰囲気。ベタつくテーブルに手を置いて「鳥の唐揚げ定食」を仕方なく注文すると、おやじはめんどくさそうに立ち上がり、汚れた前掛けを腰に巻いた。
ただ汚いというだけでは済まない、「やりたくねぇんだよ、ランチなんか!」の態度が見るものすべてを、更に汚く見せた。
テーブルの上の「ハウス七味唐がらし」は空家の床下から発掘されたような質感。
試すまでもなく、このソースは傾けても出てはこないだろう。注ぎ口は完全に凝固していて、昭和からこのままなのだと思う。
テーブルの上の物を考古学的な視点から観察していると、唐揚げを揚げ終えたらしいおやじから、こんな声が洩れた。
「あーあぁ」
なんだ!?「あーあぁ」って!?菜箸持ったまま、伸びをしながら、やる気ない気持ちを素直なまでに表現しながらの「あーあぁ」なのである。
イヤイヤにもほどがある。いや、ここまでくると、たいしたイヤイヤぶりである。
もう、旨いものが出てくるなんてことは考えるほうが失礼。あとは、自分の身の安全を守る為におやじを観察することしかない。
カウンターの台に盆を置き、飯と味噌汁の椀を並べる。おやじは唐揚げを皿にレイアウトしているようで、手をパンパンとはたくと、冷蔵庫を開けてマヨネーズを取り出した。そして、そのマヨネーズを付け合わせのキャベツの横にひねりだした、その時である。
おやじは信じられない行動に出たのである。
マヨネーズのキャップを閉める直前、おやじはその先端をベロンとなめたのである!
゛マヨ、チュチュ!?″
き、きたねぇー!きたねぇよぉー!マヨチュチュすんなよ!おやじ!!
盆を持っておやじはやって来たが、僕の頭の中では「おはロック」ががんがん流れまくっていた。
゛いーたーだーきーまーすー!おはー!でマヨチュチュ!!″
もうやけくそである。こっちも、どうでもよくなってきた。イヤイヤ作ったものを、イヤイヤ食う。ぐえぇー!想像してたのよりも、マジー!
このおやじも、その昔は「いつか自分の店を持ちたい」という『夢』や『目標』があったのだろうか?「やりたいこと」ではなくても、それをイヤイヤやってはいけない。イヤイヤやると自分が嫌になるし、他人もマヨチュチュになる。
『夢』は叶えてはいけないし、『目標』は達成してはいけない。
店を出すこと、歌手になること、その段階を「上がり」にして中途半端な達成感を抱くとマヨチュチュになり、また、マヨチュチュも歌えない。自分のことを「上がった」「成功した」「勝ち取った」とか思ってる奴は、もう死んでいる。
夢は果てしなく遠く、叶えようもないほうが、ロマンチックだ。
僕も『夢』や『目標』が、まだない。
若い頃は、「やりたいこと」がたくさんあった。でも、今は自分の死ぬ日から逆算して考える。そうすると「やりたいこと」ではなく、「やり残したこと」が重要になる。やり残したことをやるのは、とてもめんどくさい。すごい大きい絵を描いてみたいとか、自分の納得する原稿を書いてみたいとか。他にもいろいろ。遊んでて、置き去りにした面倒なこと。たまった夏休みの宿題みたいなもの。それは、仕事でもなく、自分だけの問題。それを考えるとこれからの人生は辛いなぁとも思うが、仕方ない。
仕方ないから、頑張るしかない。イヤイヤやると、マヨチュチュになってしまうからだ。
そんなこと考え、「オレはいったいなにをしているんだぁ!?」と自らを叱責し、ワケがわからなくなりながらも、少しだけ残った「やりたいこと」をやる。
旨いもの食って、酒飲んで、セックスして、ぐっすり寝る。これが残った「やりたいこと」だ。他には、ない。
でも、こればかりやっていると金も無くなるし、じきに飽きてくるので、働いてみる。
仕事は楽しくないし、やりたくもないが、イヤイヤやって自分がつまらない原稿書いたなぁと思うのは、激しくストレスになるので、頑張る。それの繰り返しだ。
その繰り返しで、なんとか頑張っているうちに、その『夢』とか『目標』に出会えたら幸せなのかね?


































